So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の5件 | -

保守主義の哲学---2018年12月論文、「反・フェミニズム論(2)」 [政治]

image001.png

------------------------------------------------------------------------------------

 読者の皆様へ。

 いつも私の拙ブログをお読み頂きありがとうございます。

 この度、本年7月に執筆いたしました論文『良心の務めとしての反フェミニズム論』の続編として、論文『フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)』を執筆いたしました。

 なお、今回の論文は日本フェミニズム(女性学)の言説の出鱈目さ(非科学)と日本政府の行ってきた男女共同参画行政(特にジェンダー・フリー教育)の反人間性をすべて暴露する目的で、かなり力を入れてまとめたつもりです。

 今後、皆様がフェミニストらと様々な議論をする際の「理論的攻撃材料」という意味合いで上記のような大げさな論文標題となっています。

 かなりの文章量ですが、図表等も交えながら、誰もが分かるように最大限の努力をしたつもりです。ぜひご一読ください。なお、前回7月の論文も合わせてお読みいただければ、なお理解しやすいと思います。

 201812月論文〔PDFファイル〕リンク

 →フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)

 20187月論文〔PDFファイル〕リンク

 →良心の務めとしての反フェミニズム論

【私のホームページ】

 →エドマンド・バークREVIVAL

 2018年(平成30年)121日兵庫県姫路市にて執筆。

 エドマンド・バークを信奉する保守主義者、Kentarou_Ichimura.

 

2018128日付)

【ホームページの移行に関する重要なお知らせ】

 読者の皆様へ。

 私のホームページ、標題『保守主義 エドマンド・バーク リヴァイヴァル』(→http://www.geocities.jp/burke_revival/)をいつも御愛顧いただき、誠にありがとうございます。

 これまで当該ホームページは、「Yahoo!ジオシティーズ(有料版)」にて運営してまいりましたが、「Yahoo!ジオシティーズ」の全サービス終了の告知に伴い、下記の新ホームページ、標題『エドマンド・バーク保守主義Revival』に内容同一のまま、(まるごと)移行することといたします。

 【移行先】

 HPエドマンド・バーク保守主義Revival

 →https://burkeanmem.sakura.ne.jp/

 なお、「Yahoo!ジオシティーズ」のサービスは、20193月末をもって終了するため、本日より20193月末までは移行期間として、新旧の両ホームページを(内容同一で)併存させ、201941日以降は「新HPのみの運営」となる見込みです。

 読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、今後とも当該HPをより一層ご愛顧頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

HP作成者 Kentarou _Ichimuraより。

 

 20181211日≫

 ☆ IPCCの「人為的CO2の地球温暖化主因説」は破綻していないのか?

 フランスでは燃料税増税に対する抗議を発端にデモが発生し暴徒化したため、マクロン大統領は増税の延期を発表した。政府(政治)に対する「デモ」と無差別に破壊・窃盗・暴力を振るう違法な「暴徒」とは全く別物だから明確に区別する必要がある。もし「暴徒・暴動をデモと混同して称賛し、支持し、煽り立てる人々または集団」があるならば、日本国においては、国民の生命・安全と私有財産の保護、治安維持のために、それらを禁止(廃止)するしかあるまい。

 それはさておき、このフランスのデモの発端が「炭素税」の目的、すなわち「人為的CO2排出抑制による地球温暖化防止」にあると知ったので、この問題に関する著作を数冊読んでみた。すると非常に興味深い内容が浮かび上がってきた。

 例えば、深井有(中央大学名誉教授) 著『地球はもう温暖化していない---科学と政治の大転換へ』、平凡社新書には以下のような内容が記されている。少しまとめておこう。

 (1)最近20年間の世界の平均気温の実測値は、CO2濃度が単調増加で上昇にもかかわらず、頭打ちから低下の傾向を示している。

  平均気温は、多くの気候モデルによる予測と乖離して行く一方である。これが事実である。

 (2)気候モデルの予測値と平均気温の実測値の大きな乖離についてIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)はその原因を全世界の人々に全く説明せず、乖離した気候モデルを修正せずに使用し続け、将来の平均気温上昇を(高い値に)予測して、早急な排出削減がなければ、地球上の生命に破滅的で不可逆的な影響が出る、などと世界中の人々の危機を煽っている。

 (3)IPCCの気候モデルは、大気中の水蒸気(CO2温暖化に対する負の作用)や雲の作用(アイリス効果)の影響を過少に評価過ぎているため、温暖化の原因が「人為的CO2による」との結論が誘導されるとともに、温暖化の過大予測の原因となっていると世界の多くの科学者(気象学者ら)が論文等で指摘しているが、IPCCはそれを無視し隠蔽している。

 (4)「クライメートゲート事件」---IPCCによるデータ改ざんや人為的CO2温暖化説に不都合な事実の隠蔽工作などに関する関係者のメールのやり取りが大量に世界に流出した事件(20091119日から3回にわたって流出「クライメートゲート1.03.0」と言われる。)---以降、IPCCの「人為的CO2温暖化説」に対する世界の国々・科学者の信頼・信用は失墜した。

 その結果、

 200911月オーストラリア、12月フランスで温暖化対策法案が議会で否決。

 2010年 米国でも法案化は実現せず、下院の地球温暖化特設委員会は解散。

 201011月カナダでも法案が上院で否決。

 2013年オーストラリアでは、気候変動エネルギー省が廃止、20147月に炭素税が廃止。

 2014年英国では国内の気候変動関係の組織が大幅に縮小、関連予算も41%カット。

 20145月の欧州議会選挙では温暖化対策見直しを主張するグループが多くの議席を獲得。

 2015年にスイスでは炭素税導入に関する国民投票を928で否決。

 2014年の気候サミットでは国連の呼びかけにドイツ・インド・英国・カナダ・オーストラリア・ロシア・中国の首脳が欠席を表明する事態が生じ潘国連事務総長とオバマ米大統領を慌てさせた。

 (5)このように世界の国々はIPCC主導の地球温暖化キャンペーンから距離をおこうとしているのに、日本国ではマスコミも政治家も官僚も「IPCCの人為的CO2地球温暖化主因説」に対するこのような問題を全く報道せず、国会で議論もせず、国民に説明もせず、温暖化防止のために年間4兆円を費やしてきた。

 

 以上が、深井有(中央大学名誉教授) 著『地球はもう温暖化していない---科学と政治の大転換へ』、平凡社新書で述べられている内容のほんの一部であるが、これらが真実であるならば、我が国のお偉いさん方(マスコミ・政治家・官僚など)の頭の中は、一体どうなっているのだろうか?と私は首をかしげざるを得ない。

 この著書の他にも同様の問題を扱った著書はいくつもあるので興味ある方は何冊かを合わせて読むことで、何が真実かを自分で確かめて頂きたい。

 なお、この件に関して、毎日新聞の記事を2件掲載しておく。

 毎日新聞の記事では、上記のIPCCに関する世界中の国々・科学者の疑惑と不信など、一切無視して、「日本国は温暖化対策が足りなすぎる!もっと金をつぎ込め!」と煽っているだけの煽動文書ではないか。毎日新聞は日本国民に真実を伝える気も、日本国民の不利益を回避して、利益へと導いていこうとする問題意識は全くないようである。つまり日本国民にとって読む価値のない新聞であろう。

 

 【毎日新聞】(最終更新 20181122 2040)

 ----------

 ■ 気象 世界の温室効果ガス濃度、最高を更新@世界気象機関(WMO)は22日、主要な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の2017年の世界平均濃度が405.5ppm(ppmは100万分の1、体積比)に達し、過去最高を更新したと発表した。WMOは「濃度の増加が止まる兆候はなく、地球温暖化や海面上昇、異常気象の増加などに拍車をかけている」としている。

 CO2濃度は16年から2.2ppm増加。ペースは最近10年(年2.24ppm増)とほぼ同じだった。産業革命前の水準(約278ppm)と比べると約1.5倍に達し、CO2より温室効果の強いメタンも約2.6倍に増えた。

 地球温暖化問題を話し合う国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)が12月2日からポーランドで開催され、産業革命前からの気温上昇を2度未満にすることを目指す「パリ協定」の実施指針採択を目指している。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気温は既に約1度上昇しており、WMOは「早急な排出削減がなければ、地球上の生命に破滅的で不可逆的な影響が出る」と指摘する。【大場あい】

 →https://mainichi.jp/articles/20181123/k00/00m/040/089000c

 ----------

 

 【毎日新聞】(最終更新2018 1211 1201)

 ----------

 ■ 温暖化対策ランク、日本は49位 5段階評価で最低グループ

 ドイツのシンクタンク「ジャーマンウオッチ」などは10日、ポーランドで開催中の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)で、温暖化対策の国別ランキングを発表した。日本は5段階評価で最低のグループに入る49位(昨年50位)だった。

 ランキングは、世界56カ国と欧州連合(EU)を対象に、国民1人当たりの温室効果ガス排出量エネルギー供給に占める再生可能エネルギーの割合――など14の指標を分析した。

 ランキング13位は該当なし。温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」が掲げる産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑える目標達成に向けて、十分な取り組みをしている国がなかったためだという。4位は再生可能エネルギーなどの指標で評価が高かったスウェーデン(同4位)。5位はモロッコ(同6位)、6位はリトアニア(同5位)だった。

 日本は、過去5年で再生可能エネルギー導入が進んだことなどは評価されたが、2030年度までに13年度比26%減という温室効果ガス削減目標などが不十分だと評価された。パリ協定からの離脱を表明した米国は59位(同56位)。最下位はサウジアラビア。世界最大の排出国・中国は再生可能エネルギー導入拡大などで33位(同41位)で、5段階評価で初めて真ん中のグループに入った。【大場あい】

 →https://mainichi.jp/articles/20181211/k00/00m/040/091000c

 ----------

以 上。


 ≪20181216日≫

 【産経新聞】

 ■ パリ協定、途上国に共通基準 20年実施に向け本格始動

 →https://www.sankei.com/world/news/181216/wor1812160004-n1.html

 ----------

 跳び上がって喜ぶ議長の写真がとても印象的だね。

 〇 気候予測モデルと衛星観測実測値の乖離

image003.png

 気候モデル(予測値)と実測値は明らかに大きく乖離している。

 この理由を説明できないモデルによる「気温変化の将来予測」にどれほどの信頼性があるのだろうか?

 〇 35万年前から現在に至るCO2濃度と気温変化の推移図

 image006.png

 このグラフを見れば、地球の気候変動(気温変化及びCO2濃度)の循環は太古の時代から存在しているのは明らかであろう。つまり、この地球の気候変動の循環は(産業革命以後の)人為的排出CO2量とは無関係に起こる現象である。つまり、(人為的排出CO2ではない)地球(公転や自転などの活動)、太陽活動、宇宙線などの要因(働き・作用)によって生じるのである。要するに地球の気候変動は(産業革命以降の)人為的排出CO2だけが要因で生じるものではない。

 またグラフは、上記の外的要因が、まず地球の気温を上昇させ、次に海水温が上昇し、海水中のCO2が大気中に放出されることでCO2濃度が上昇する過程を示している。それ故にCO2濃度の変動と気温変動に時間的ラグがある(CO2濃度のピークが気温変化のピークより遅れる)と説明される。

 ※ 上記2つの図は、深井有『地球はもう温暖化していない』平凡社新書より抜粋(説明書きは私の加筆)。

 〇 各国のCO2排出量の推移(BP統計)

 image008.png

 CO2排出量はChina(中国共産党)がダントツNo.1であるが、China(中国共産党)COP24合意では、資金支援をする側なのか、される側なのか?

 

 【毎日新聞】

 ■ COP24 一部の合意を断念、先進・途上国間に相違

 →https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181214-00000099-mai-env

 ・大きな対立点の一つが、途上国に対する先進国の資金支援。「『資金』の問題は途上国にとって非常に重要だ」。インドやブラジル、中国などの新興国の代表が会場で記者会見し、先進国側の姿勢を批判。

 

 また、HUFFPOSTはパリ協定の目的をわかりやすく説明している。

 【HUFFPOST

 →https://www.huffingtonpost.jp/2017/06/07/paris-agreement_n_16993784.html

 ■ パリ協定とは? とっても大事な2つの理由【わかりやすく解説】

 ・化石燃料を使わないことを目指す、人類史上初の国際ルールだから。

 ・気温上昇を2度未満に抑制するためにはもうほとんどの化石燃料を燃やすことができない。化石燃料をたくさん使ってきた人類近代史を大きく変えることになる。

 

以 上。

 

 20181218日≫

 世界経済フォーラム(WEF)の「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」は果たして信用できるのか?

 HUFFPOST

 ■ ジェンダーギャップ指数2018、日本は110位でG7最下位「日本は男女平等が進んでいない」G7で最下位。

 https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/17/gender-gap-2018-japan_a_23618629/?utm_hp_ref=jp-homepage

 -------------------------------------------

 ということなのだが、実は、世界経済フォーラム(WEF)のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(順位)は、

 「ごく一部の例だけを、≪男女比≫という基準のみに基づいて男女平等度を評価し、国ごとに格付けするというこの指数については、平均寿命の男女比と出生時の男女比など異質な指標を総合し単純に平均を出すという計算方式、何を指数に選ぶのかなどのウエイトづけ、計算根拠など多くの疑問」

 があるという批判もあるのである。

 【参 考】「ジェンダーギャップ指数は、適切な指標か」

 →https://webfemi.wordpress.com/2016/10/03/gendergap-tekisetsu/

 そして、この批判(指摘)は、下記に示す国連のジェンダー不平等指数GII(国連開発計画『人間開発報告書』)では、日本国が21/159カ国(2015年、値は0~1の間の値をとり、0が男女の完全平等の状態を表す。)であることを見れば、妥当であるように思えるのである。

 * 国連では、計算手法等のすべてをHPで公表している。

 【国連開発計画『人間開発報告書』】HP

 →http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human_development/human_development1/hdr_2016.html

 

image001.png

 (注)この表は内閣府男女共同参画局HPに掲載されている。但し、色文字は私が記載。

 【内閣府男女共同参画局】HP「男女共同参画に関する国際的な指数」

 →http://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

 

 マスコミなどは、毎年世界経済フォーラム(WEF)のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(順位)が発表されるとすぐに大きく取り上げるが、国連開発計画『人間開発報告書』で毎年発表されている「ジェンダー不平等指数」でのランキングは報道されているのだろうか?あまり聞いたことがない。

 私は、以前から世界経済フォーラムの指数による日本国の順位について疑問を抱いていたので、今回少し詳しく調べてみたらこのような国連の統計データが存在することをはじめて知ったほどである。

 このような状況を総合的に勘案すると、私には、左翼マスコミと日本フェミニズムが結託して偏向した情報を国内で流布させることによって、日本国の男女不平等状況を実体よりも極端に過大化して日本国民に信じ込ませているのではないかと疑いたくなるのだが、読者の皆様はどのように思われるだろうか?

 

→→本文のつづき。


nice!(0)  コメント(2) 

保守主義の哲学---知っておくべき「ジェンダー」、「共参法」に関する豆知識 [政治]

image001.png

---------------------------------------------------------------------------------------


 フェミニストが、男女の生物学的・医学的な性別による区別と性別役割を躍起になって否定するのは、男女の性別役割のすべては、出生後の子供の育て方、つまり子供の育つ社会的・文化的環境が子供に押し付けるものなのだ(だから、「男らしさ」や「女らしさ」を子供に教えてはならないのだ)、と決めつけたいからである。これが、フェミニストの好む性別論、ジェンダー(=社会的・文化的に形成された性別)である。

 これを端的に言い直せば、次のようになる。

 「人間の性別は、地球上の全生物に働いている自然の摂理には依拠せず、人間自身が意図的に操作・決定できるのだ」

 これが日本フェミニズムのジェンダー論の真意であるが、なんと欺瞞に満ちた思想であろうか。良識のある正常な人間からすれば、狂気としか言いようがない。彼らは、自然の摂理と人間としての良心に対して、もっと謙虚な態度になるべきではないか。

 例えばフェミニストが男女の脳の性差等を執拗に否定するのも、この狂気の思想を擁護したいがためにする議論であって、胎児の脳の形成過程において(解剖学的または機能的に)わずかでも男女の性差があると知られれば、彼らのジェンダー理論が破綻するから、必死になって否定するのである。

 しかし、彼らのジェンダー理論は、ジョン・マネーの「双子の症例」の虚構と欺瞞を、ミルトン・ダイアモンド博士の医学論文『小児および青年期医学の記録』とジョン・コラピント著『ブレンダと呼ばれた少年』とが暴いた時点で

 ---半陰陽でもホルモン分泌異常でもない、正常な男児として生まれたデイヴィッド・レーマーが、男性器を焼失する医療ミスに遭遇し、女児に性転換され、ブレンダと名付けられ、完全に女性として(の家庭環境で)育てられたが、15歳の時、彼は、自ら女の性に耐えられず、男性と性自認して再度男子への性転換を受けた時点で(人体実験された彼は、哀れにも38歳の若さで自ら命を絶ったのである。)---

とっくの昔に破綻しているのである。

 もし、先に述べたフェミニストのジェンダー論が正しいならば、ブレンダは生得的には、正常な男性として生まれたが性転換し、社会的・文化的には完全に女性として育てられたのだから、自分の性を女性であると自認するはずであったが、実際には、自らの意思で男性と自認したのだから。ちなみに、ブレンダが自分の出生が正常な男子であり、女子として育てられた生い立ちについての真実は、ブレンダがデイヴィッドに再度性転換する直前まで誰からも知らされていなかった。

 なお、フェミニストが生得的な性差を否定するのであれば、「ジョン・マネーの仮説では性自認の門の開放期間が一年半だったがブレンダになったのは一年九ヶ月の時で、三ヶ月遅かった」は全く反論になり得ない。自明ではないか。

 このように、ジョン・マネーが唱えた「社会的・文化的な環境が与えるジェンダー・ロール(性役割)が、ジェンダー・アイデンティティー(性自認)=性別を決定する」という仮説は破綻しているにもかかわらず、日本国の男女共同参画社会基本法と男女共同参画行政・教育は、このマネーのジェンダー論を肯定する日本フェミニズム・女性学に依拠してなされてきたのである。

 例えば、日本のフェミニズム研究の必読書である『女性学教育/学習ハンドブック』と『差異の政治学』では、マネーの破綻したジェンダー理論を否定することもなく、逆に喝采して次のように述べている。

 まず、『女性学教育/学習ハンドブック』には、こう書かれている。

 「社会的には、<女である>あるいは<男である>と認識することをジェンダー・アイデンティティー<性自認>という。解剖学的な性と性自認とが一致しない場合もある。J.マネーはその著『性の署名』の中で、長い間女の子として育てられた子どもは、たとえ解剖学的に男の子であっても女の子としての性自認が形成されているので、女としての役割を習得する。つまり性自認の方が解剖学的な性よりも強力である事例を報告している。性自認と解剖学的性を一致させるために性転換手術を受ける人もいる」(国立女性教育会館 女性学・ジェンダー研究会編著『女性学教育/学習ハンドブック』、有斐閣、2002年版、p103

 次に、上野千鶴子の『差異の政治学』ではこう書かれている。

 「マネーとタッカーは、生物学的性差のうえに、心理学的性差、社会学的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した」、「セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した」(上野千鶴子『差異の政治学』、岩波書店、2002版、p10

 ※ なお、日本フェミニズムの依拠するジョン・マネー以外のジェンダー論としてマルクス主義フェミニストであるクリスティーヌ・デルフィ(仏)のジェンダー論があるが、要約すれば、

 「性別役割としてのgenderは、生物学的・医学的性別(sex)を基礎として構築されるのではなく、まず社会的慣行という抑圧があって、それがgenderを作りだし、genderが解剖学的sexを作りだしたのだ」

という仮説である。しかし、これはデルフィ自身が、著書の中で「仮説」であり、「冒険的な企て」であり、「実証されるまでには数年かかるだろう」(デルフィ『なにが女性の主要な敵なのか』、勁草書房、183頁)と述べているが、それから約半世紀たった現在においても実証などされていない「仮説」である。

 だが、常識的に考えてみよ。人類社会を現在から、過去へと巻き戻せばよい。

 現在→約7500年前に数千人規模の首長制社会が誕生→約1万年前に農耕・牧畜による定住生活始まる→約7万~20万年前に言葉の使用始まる→約60万年前に脳の大きさが現代人並みになる→約100万年前に火を用いて調理を始める→約200万年前に狩猟・採集生活、50人規模の小集団→約700万年前に人類の祖先誕生・直立歩行、という風に。

 各々の時代で男女(雄雌)の社会的・文化的な性別役割(ジェンダー)は異なるとは言えても、どうして自然の摂理である男女(雄雌)の生物学的・医学的性別(セックス)が、ジェンダーによって作られた、などと断定したり実証したりできるだろうか。不可能である。

 また逆に、約700万年前から現在に向かって時間を進めてみれば、人類が、男女(雄雌)の生物学的・医学的性別(セックス)を基礎にして、試行錯誤を繰り返しながら、各時代の社会形態へと漸進的・連続的に文化を進化させてきたことがわかるだろう。しかし、もしも各々の時代において、その時代に生きる人々が、(現代のフェミニストだけが言うように)男女の性別と役割文化とを教えられなかった(学ばななかった)ならば、現在でも人類は、ただ1世代が生まれては死に、また1世代が生まれては死ぬということを繰り返すだけの、多くの下等な生物と何ら異なる所がなかったであろうと想像できよう。

 つまり、男女の性別を基礎にして進化する文化を学び、後代に伝え教えることの繰り返しが、人類を人類たらしめてきたのである。

 また、周囲の世界を見渡してみよ。セミやトンボのような昆虫をはじめ、多くの生物は、誰かに社会的・文化的に教えられなくても、生得的な本能によって雌は雌、雄は雄の行動をとるように作られ、行動しているのだから、地球上の生物の一員である人類も生得的性別をもっているはずだ、と考えるのが自然であろう(但し、人間行動の進化は、他の動物の行動とは異なり、遺伝的進化の影響よりも文化的進化の影響が大きいというのが生物学や文化人類学などで得られている知見ではある)

 

 長谷川真理子(進化生態学者、理学博士)氏は、著書『オスとメス=性の不思議』の最終章で、フェミニストの文化進化万能論を次のように批判している。

「誤った立場の二番目のものは、ヒトは他の生物とはまったく異なる存在であり、生物学的説明はヒトにはまったく通じない、生物学から学ぶものは何もないとする態度です。この立場は、とくに一部のフェミニストの間に見られ、生物学的説明は、この立場の人々からは、現状の社会悪を肯定する議論として警戒されます

 この立場の人々は性差などというものはほとんどが文化的に作られるもので、男女は生殖器以外には生物学的に差はないと考えているようです。

 私は、先日、このような立場のアメリカ人が書いた本を読んでいるときに、男女のからだの大きさの性的二型も、文化的に作り出されたものだと論じているのを見つけて驚きました。その人は、平均して男性の方が女性よりもからだが大きいのは、歴史的、地理的にほとんどの社会で、女の子は男の子よりも栄養価の低いものを食べさせられ、女の子の服装は、男の子の服装よりも非活動的、制限的であり、女の子は男の子よりもスポーツをすることを奨励されないことからくる文化的結果だと論じていました。

 私自身も、性差の多くは文化的に作られたり、または生物学的に存在するものが文化的に増幅されてできていると考えていますが、あらゆる性差が文化的に作られたもので、ヒトという生き物が他の動物とはまったく異なり、生物学的制約とはいっさい無縁のものだとは思っていません

 雄と雌のからだの構造、生理学、生化学は非常に異なるものであり、その究極的理由は、第1章から第7章までの間にくわしく検討してきましたように、雄と雌では受けている淘汰の種類が非常に違うからです。ヒトにいたって、その淘汰の様子はかなり変化しました。しかし、科学的に検証していくのではなくて、何もかもを文化と学習のせいだと強弁していくのも、非科学的な態度だと思います。」(長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』、講談社現代新書、235頁)

 また、F.A.ハイエクが言うように、「文化は自然的なものでも人為的なものでもなく、また遺伝的に伝えられたものでも、合理的に設計されたものでもない。それは、学習された行動ルールの伝統である。文化的進化は、意識的に制度を構築する人間の理性(=意思)の結果ではなく、文化と理性が同時に発展した過程の結果である。」(『ハイエク全集Ⅰ‐10「法と立法と自由〔Ⅲ〕」』、春秋社、155頁)

 それ故に、男性(という階級)が、女性(という階級)を支配・抑圧するために、意図的・計画的に、文化や文化的性別(ジェンダー)を作り出して、女性に押し付けることなどできない。できると考えるのは、(フェミニストが)近代合理主義の最悪の誤謬である、デカルト的設計主義的合理主義(=ハイエク)の誤謬に陥っているからであるそして、文化や文化的性別(ジェンダー)が、誰の意図的設計による押し付けでもないとすれば、そもそも、男女がジェンダーから解放(=フリー)されなければならない根拠など何もないのである。男女間の差別の解消に必要となるのは、自生的に形成された文化からの解放(破壊)ではなく、文化の修正または改善なのである。

 また、男女共同参画基本法を審議した、悪名高い「基本法検討小委員会」第4回(平成10323日)議事録では、委員である文化マルキストたちによる(法律を通すための)国民・国会議員騙しの謀議が延々となされている(詳しくは、『男女平等バカ』、宝島社、p109p112および山本彰編著『ここがおかしい男女共同参画』、世界日報社、p101p110などを参照して頂きたい。)

 この議事録の中で、最も重要な部分は、当時、ジェンダーとかジェンダー・バイアスを規定した「国際条約」は一つもなく、また、ジェンダー・バイアスの撤廃(=ジェンダー・フリー)を目指すことを規定した諸外国の法律もない、ということを委員たちは承知していながら、最も過激な男女共同参画基本法の強引な成立を目指していた、という事実である。

 要するに、当時の日本国民と国会議員は、「日本は男女平等について遅れている」と文化フェミニストに騙されて、世界で最も過激で急進的な法律をまんまと成立させられた、ということである。

 ジョン・マネーのジェンダー仮説が破綻している事実を隠蔽した上、「日本は欧米諸国に比べて遅れているから」と日本国民と国会議員を欺いて成立させた法律「共参法」は、即抜本改正するか廃止するのが当然ではないだろうか。

 さて、ここまで述べると、左翼陣営やフェミニスト達から、男女共同参画基本法には「社会的・文化的に形成された性別」、「ジェンダー」、「ジェンダー・フリー」などの用語は規定されていないではないか、という反論がおこりそうなので、これに対して少々説明を加えておこう。

 男女共同参画社会基本法案(以下、「共参法」と記す。)に関する、1999513日の参院総務委員会において、「法律の<前文>は不要」と主張する政府委員を相手に、民主党の小宮山洋子参議院議員が<前文>挿入などの修正案を提出し、同年521日に協議修正された<前文>が提出された。この修正追加された<前文>とは以下のとおりである。

「少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は・・・(以下省略)」

 問題は、この<前文>中の「性別にかかわりなく」の解釈である。男女共同参画ビジョン等の策定に関わった大沢真理をはじめとするフェミニストの多くは著書の中で、この文言を「ジェンダーにかかわりなく(=ジェンダー・フリー)」の意味だと強弁しており、実際にも、男女共同参画基本計画(平成12年策定)の中には、「ジェンダーに敏感な視点」という文言が挿入され、国及び地方の男女共同参画行政・教育の各機関は、「性別にかかわりなく」の意味を事実上そのように解釈して、これまでに日本全国で、過激な性教育、男女混合騎馬戦(組体操)、男女同室着替え、男女混合名簿、呼称の「さん付け統一」、あらゆるものに対するジェンダー・チェック、男女共学化、過激な地方自治体条例の制定・・・等々の数々の悪政を行ってきたのである(ちなみに、純粋な男女の区別は差別ではない。オリンピック競技を男女に分けて行うのは、世界中の国々・人々の合意事項であり、決して差別とは言わないのだから、自明であろう。)

 それでは、政府(行政)は、この「性別にかかわらず」をどう解釈しているのかと言えば、これがまたいい加減・出鱈目の極みなのである。

 内閣府男女共同参画局(『逐条解説 男女共同参画社会基本法』、ぎょうせい、p80)では解釈の参考として、次のように説明している。

「<参考5>『性別にかかわりなく』

 『性別にかかわりなく』との文言は政府原案の中にはなく、前文のみで使われている用語である。前文は前述のとおり参議院で修正されたものであり、この部分の解釈について国会審議でも明確にされていない。

 この用語についての解釈の参考としては、412日の参議院本会議では、男女共同参画社会と法案の意義について質問があり、『男であるとか女であるとかという性別にかかわらず、男女がお互いの個性や長所を認めつつ、かけがえのないパートナーとして喜びも責任も分かち合っている社会・・・』と小渕恵三内閣総理大臣が答弁している。」

 つまり、少なくとも小渕首相は、<男女がお互いの個性や長所を認めつつ>と述べているのである。

 ところが、平成161029日の衆院内閣委員会で、細田博之官房長官は、民主党・小宮山洋子議員から共参法<前文>の「性別にかかわりなく」の意義を質問され、「社会的、文化的に形成された性別、ジェンダーにとらわれることなく、一人一人の個性や能力が多様であるので、それを尊重し、多様な選択を認め合うという趣旨である」と答え、共参法<前文>における「性別」が「ジェンダー」の意味であり、「にかかわりなく」が「にとらわれることなく(=フリー)」であると明言したのである。

 我が国の政府(行政府)及び国会のこの出鱈目な、国民を欺き、嘲笑しているかのような態度は、一体何なのだろうか?

 また、先に述べた悪名高い「基本法検討小委員会」第4回(平成10323日)における、委員である文化マルキストたちによる(法律を通すための)国民・国会議員騙しの謀議

 →政府原案にはなかった共参法<前文>を1999513日の参院総務委員会で挿入するよう強固に主張したのは、フェミニスト(を代表しての)小宮山洋子であった。

 →この<前文>に対する解釈を平成11年の小渕首相の<男女がお互いの個性や長所を認めつつ>から、平成16年の細田博之官房長官の<社会的、文化的に形成された性別、ジェンダーにとらわれることなく>に変えさせる質問をしたのもフェミニスト(を代表しての)小宮山洋子であった。

 という流れを踏まえれば、ジェンダーという用語を直接使用しない共参法を成立させ、後になって、修正追加しておいた共参法<前文>中の「性別にかかわりなく」を「ジェンダー・フリー」に解釈させるというフェミニストらの謀略の筋書きに、日本国民及び国会議員は、まんまと騙されたと考えてよかろう

 しかし、共参法の成立と解釈の過程において騙されたこと以上に、日本国民にとって遥かに深刻なのは、共参法の施行が与えてきた日本国民へのダメージの方である。なぜなら、共参法の施行は、ジョン・マネーの破綻した<双子の症例>の日本国民に対する社会実験であると解するのが、正しい理解だからである。

 つまり、狂気の医学者ジョン・マネーが共参法・男女共同参画会議・内閣府男女共同参画局等に対応し、ジョン・マネーのデイヴィッド・レーマー(ブレンダ)への生体実験が日本国民への共参法の施行に対応するのである。

 ジョン・マネーは、(半陰陽でもホルモン分泌異常でもない)正常な男子を性転換手術と育て方(生育環境)によって女子(=人間)に変えられると信じた。

 それに対して男女共同参画会議や内閣府男女共同参画局等はどうか。

 彼らは共参法の成立以後、法律の強制力を盾にして(半陰陽でもホルモン分泌異常でもない全体人口の99%以上の)正常な男子または女子として生まれた日本国民に対して、「男らしさも女らしさも教えず、全否定するジェンダー・フリー教育」を子供たちに強制執行することによって、男女の性別意識すら持つことができない「人間未満の非人間」に改造しようと試みてきたのである。これが、フェミニズムの「男女の本質的平等」の本質であり、「性別にかかわらない個人」の本質である。ジョン・マネーよりも数万倍質が悪いと言えよう。

 このような所業(「共参法」)は、正真正銘の「狂気」である。

 冷静に考えてもみよ。生得的な生物学的・医学的性別(sex)を否定され、男らしさ・女らしさを後天的に教育することも否定された(=ジェンダー・フリー)子供たちが、一体如何にして「男女の性自認」をすることが可能なであろうか。

 家庭や学校や社会に対して「男性とは何か、女性とは何かを子供たちに一切教えるな」と政府(地方行政も含む)が法律によって強制するなどという施策は、まさしくレーニン/スターリンの共産主義やヒットラーの国家社会主義が行った社会実験の模倣であり、当該国民や民族を襲った悲惨な運命を真摯に受け止めるならば、決して許されるべきことではない

 共参法とそのジェンダー・フリーとしての解釈は、立法の仮面を付けた犯罪である。

 それとも、内閣府男女共同参画局は、個々の人間(日本国民)は、自分が男性であるか女性であるかを自認する必要はない、性別のない個人であれば十分だ、と言いたいのか。

 あるいは、性別のない個人の人生は、男女の性別をしっかり自認した個人の人生よりも、幸福で、生の充実感があり、自己の存在意義をより良く認識できると言いたいのか。

 どうであれ、兎に角、現在行われている男女共同参画行政は、至急ストップして、徹底的に見直しをする必要がある。

 さらに付け加えれば、共参法の成立過程に関して、酷く出鱈目なものが他にもある。

 審議会等の多数の議事録が紛失しているのである。

 当時、男女共同参画基本法案の国会上程前の審議は、「男女共同参画審議会(総会)」、「基本問題部会」、「基本法検討小委員会」の三つの会合で行われた。総会7回、基本問題部会12回、小委員会13回開催されたが、議事録が公開されたのは、そのうち、総会が2回分、基本問題部会が5回分、小委員会が6回分のみ。

 議事録の大半が存在しないことについて、質問された当時の男女共同参画局の回答(A)は、「現時点では存在しない」であったという。それで済まされたのである。

 Q:初めから存在しなかったのか?

 A:「わからない」

 Q:当初存在したものが、その後に失われたのか?

 A:「それもわからない。とにかく現時点では存在しない。」

(なお、この議事録関連については、『男女平等バカ』、宝島社、p113や山本彰編著『ここがおかしい男女共同参画』、世界日報社、p101などを参照して頂きたい。)

 兎に角、このようにとんでもなく出鱈目かつ国民騙しの過程を経て成立したのが、天下の悪法「共参法」であり、その悪法の効力の下で、男女共同参画会議、男女共同参画局の文化マルキストたちによって、日本国民を強制手術的に改造する目的でなされてきたのが、「ジェンダー・フリー」、「男女の本質的(or実質的)平等」の美名による、男性と女性を区別しない過激な悪徳行政・教育だったのである。

 さて、このような極悪法「男女共同参画社会基本法」をこのまま無制限に放置しておいてよいものだろうか。良いわけがない。放置すれば、現在および将来の日本国・日本国民は、回復不能な致命的損傷を被ること間違いないだろう。

 良識ある日本国民は、我われ真正保守(自由)主義グループとともに、共参法の抜本改正または廃止のために、大きな声をあげて頂きたいと切にお願いするものである。

補足とお願い】以上の問題は、過去の問題ではなく、現在まで変わらず引きずっている問題であることに注意せよ!

 おそらく、人によっては、上記の問題は過去に生じた問題で、既に是正されているはずであり、何を今更?というかもしれないが、根本的には今でも何も是正されていない。その理由を以下に簡単に記しておく。

 (1)共参法から、ジェンダー・フリーの思想は未だに<消えていない>。

 平成16年(2004年)4月に、内閣府は、「ジェンダー・フリー」は男女共同参画社会が目指すものではないこと、それぞれの地方公共団体における「ジェンダー・フリー」の用語使用についても、今後条例等を制定する場合には、敢えてこの用語は使用しない方がよいとの考え方を示した。だが、現在でも共参法の前文中の「性別にかかわりなく」は消されていない。そして上記の細田博之官房長官の答弁と合わせれば、「ジェンダー(性別に)・フリー(かかわりなく)」という解釈が共参法から消え去っていないのである。また共参法の第4条などは、明らかに実質上のジェンダー・フリー規定である(これについては、私の前回の論文良心の務めとしての反フェミニズム論(PDFを参照されたい)。

 (2)内閣府の使用する用語「ジェンダー」は、マネーやデルフィの定義ではないとは言えない。

 また、同時に内閣府は、国及び地方行政が使用する「ジェンダー」という用語の定義について、1995年の第四回世界女性会議(北京会議)で採択された北京宣言および行動綱領において示された≪生物学的な性別を示す「セックス」に対する「社会的・文化的に形成された性別」≫であると述べた。

 しかし、用語「ジェンダー」の出所を述べたからと言って、何の意味もなく、それが、ジョン・マネーやクリスティーヌ・デルフィなどの定義する「ジェンダー」の意味とは異なるものであるという根拠には一切ならない。

 なぜなら「ジェンダー」概念において最も重要なポイントは、「ジェンダー」と「セックス」との相互関係の定義部分だからである。

 すなわち、

 ①男女の性別は生得的な「セックス」の影響を全く受けず(あるいは生得的な「セックス」など存在せず)、完全に「ジェンダー」によってのみ決定される(→この場合、人間の性別は、自然の摂理に無関係に、生後に人間の意思で決定できることになる。仮にそうだとしても、文化的進化は、あらゆる時代を通じて、すべての人々による自生的過程による形成物であり、誰かの意図的な設計物ではない以上、文化や文化的性別を破壊してもよい、次代に教えなくてよい、男女を中性化しても個人はうまく生きて行ける、などいう狂った結論は決して出てこない。

 と(狂気的に)考えるのか、

 ②先ず、生得的な「セックス」が性別の基礎に存在し、その上に「ジェンダー」が形成されつつ、両者が相互作用しながら性別が形成される(→この場合、人間が生得的な性差を持っている以上、ジェンダーから解放されなければならないとか、男性らしさや女性らしさを教えてはならない、という屁理屈は成立し得ない)

 と(正しく、常識的に)考えるのか、についての説明がされなければ、「社会的・文化的に形成された」などという文言には、ほとんど何の意味もないのである。自明であろう。

 しかし、政府(男女共同参画局)は、共参法の成立以来、このことについて日本国民に一度も真摯に説明することもなく、①の(狂気的で誤謬に満ちた)前提の下で、様々な悪政策を撒き散らして、現在に至っているのである。

 すなわち、(日本フェミニズムの)共参法とそのジェンダー概念の狂気は、決して過去に解決済みの問題ではなく、現在の問題なのであって、一度、けじめ(区切り)をしっかりと付けなければならないのである。

 どうか良識ある日本国民は、現状をこのように正しく認識・理解した上で、共参法の廃止(または抜本的改正)、男女共同参画会議、男女共同参画局の廃止(あるいは抜本的な権限縮小)に向けての運動を拡大して頂くよう、ご協力をお願いしたい次第である。


平成3095補足追加】社会的・文化的性差の解体の危険性の意味について。

 あらゆる社会的・文化的諸制度(とその中に組み込まれた男女の役割)は、過去の人間が意識的に設計したものだから、それを望み通りにつくりかえる(=制度を中立化する)完全な能力が現在の人間にもあるはずだという信念は、「制度」というものの本質を理解し損ねた謬論である。社会的・文化的諸制度は、人間の意識的設計の産物ではなく、自生的に成長した形成物であり、それによってのみ自由社会の秩序は維持され得るのである。

 すなわち、日本フェミニズムによる、自生的に成長した社会的・文化的諸制度とその形成過程で漸進的に組み込まれてきた男女の役割分担や男性らしさ・女性らしさを安易に解体・破棄する行為は、日本文明の解体行為であり、また文明人としての日本国民の国民性(民族性)のみならず、人間性の抹殺行為であって、人道に対する犯罪と言っても過言ではない。

 ハイエク曰く、

 「人間の文明をすべて意識的理性の産物ないし人間の設計の産物と見るならば、あるいは、自分の行為が知らぬ間に築き上げたものを意図的に再創造したり維持したりすることが必ずや可能であると想定するならば、われわれは分不相応に自惚れている文明は個々の知識が累積した結果であるが、社会の中の人間が、自分も他の誰も完全には所有していない一連の知識から常々利益を得ることができるのは、これらすべての知識がいずれかの個的頭脳の中に明示的・意識的に組み合わされることによるのではなく、われわれが理解せずに用いているシンボル、つまり習慣や制度、道具や概念のうちにその知識が体現されることによるのである。人間が成し遂げた最も偉大なことの多くは、意識的に指導された思考の結果ではなく、ましてや多くの個人の意図的に調整された努力の産物でもない。そうではなくて、それは個人が決して完全には理解し得ない役割を果たしている過程の産物なのである。それがどんな個人よりも偉大なのは、まさしく、それが単一の精神の管理しうるのよりも広範な知識の組み合わせに由来するからなのである。」(『ハイエク全集Ⅱ-3「科学による反革命」』、90頁)以上。


 以 上、反日本フェミニズム論の序章として記す。


【平成30年9月9日補足追加】フェミニストは、自然の摂理---それは敬虔な信仰心を持つ人間にとっては、神の摂理である---に謙虚になるべきである。

 次に掲げるのは、ジェンダーの概念が登場した1995年の第四回世界女性会議(北京会議)に向けてマザー・テレサが送った書簡である。しかし北京会議でこの書簡が取り上げられることはなかった。

 なお、私はキリスト教徒ではないし、キリスト教の宣教師でもないから、本ブログの読者に対して、キリスト教の見解を押し付ける意図は全くない。

 しかしながら、一つだけ確実に言えることがある。それは、古今東西の世界の真正保守(自由)主義の哲人達は、一人の例外もなく、

 「この世界には人智を超越した、人智では動かし難い秩序(摂理)---それを自然の秩序(摂理)と呼ぶか、神や神々の秩序(摂理)と呼ぶか、自生的秩序と呼ぶかは別として---が、実在している

 ことを洞察したがゆえに、人間はそうした秩序(摂理)の存在に対して、畏敬し、謙虚であり、保守すべきである、と説いてきたのである。

 そうした意味において、キリスト教徒ではない日本国民も、このマザー・テレサの書簡に謙虚に耳を傾けて欲しいと願うものである。


 1995年第4回世界女性会議(北京会議)へのマザー・テレサの書簡

 親愛なる皆様へ

 第4回世界女性会議で北京にお集まりの全ての方々に神の祝福のあらんことをお祈り申し上げます。私は、この会議によって、あらゆる人々が、神の計画において女性だけに与えられた役割を知り、それを大切なものと受けとめ、さらに尊厳を与えること、それによって、ひいては女性達が一生のうちにこの神の計画を実現できることを希望します。


 私には、なぜ男性と女性は全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々がいるのか理解できません。神より授けられたものは全て善きものでありながら、全てが同じものであるとは限りません。私はよく、私のように貧しき人々のために尽くしたいとおっしゃる方に対して、「私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。しかし、ともに力を合わせれば、神にとって何か素晴らしいことができるのです。」と申し上げます。男性と女性の違いとは、これと同じようなものなのです。


 神は、私達ひとりひとりをお造りになりました。そして、更にありがたいことに、全ての人々を、愛し、愛される存在にして下さっているのです。では、神はなぜあるものを男性に、またあるものを女性にお造りなったのでしょうか。それは、神の愛のひとつの形が女性の愛で表わされ、別の形が男性の愛で表わされるからです。どちらも愛するために造られていながら、それぞれの愛し方が違うように、男性と女性は互いを補い合って完成されるものであり、神の愛を体現するには、どちらか一方よりも両方そろった方が、より神の愛に近づくことができるのです。


 女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れます。母性は神から女性への贈り物。私達は、男女を問わず世界中にこれほどの喜びをもたらしている素晴らしいこの神の贈り物に、どれだけ感謝しなければならないことでしょうか。しかし、私達が、愛することや他者のために尽くすことよりも仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊することにもなりかねません。仕事も、夢も、財産も、自由も、愛に代えることはできません。母性を破壊するものは全て、神から女性への最も大切な贈り物―女性として誰かを愛する力―を破壊するものなのです。


 神は私達に「汝を愛するがごとく隣人を愛せよ」とおっしゃいました。だから、私はまず正しく自分を愛し、それからそれと同じように隣人を愛します。しかし、神が自分をお造りになったことを受け入れないとすれば、どうして自分を愛することなどできるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしませんし、それゆえに隣人を愛することもできません。彼らがもたらすものは、対立と不幸と世界平和の破壊でしかありません。例えば、私がこれまで再三申し上げてきたように、妊娠中絶は現在の世界平和にとって最大の破壊者であり、男女の違いをなくそうとしているのは皆、妊娠中絶に賛成する人々なのです。


 死と悲しみの代わりに、世界に平和と喜びをもたらしましょう。そのためには、神に平和という贈り物を願い、互いに神の子の兄弟として愛し合い、受容し合わなければなりません。子供達が愛することと祈ることを学ぶのに最もふさわしい場は家庭です。家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子供は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。私は、とりわけ裕福な国々で、愛情不足と疎外感から逃れるために薬物に向かう子供達を幾度となく目にして参りました。


 しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子供達は父母の愛の中にかけがえのない神の愛を見ることができ、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。子供は神から家族への最高の贈り物ですが、子供にとっては父と母の両方が必要です。なぜなら、父親は父親らしいやり方、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せるからなのです。ともに祈る家族が離れていくことはありません。そして、家族がひとつであり続ければ、神がそのひとりひとりを愛してこられたように、互いを愛し合っていけるでしょう。愛のあるところには常に安らぎが生まれます。


 心に愛の喜びを抱き続けましょう、そして、出会った全ての人々とその喜びを分かち合いましょう。北京会議の全ての出席者と、この会議によって救われようとしている全ての女性が、ともに愛と安らぎの中で暮し、それぞれの家族とこの世界を神にとって美しいものにするために、おひとりおひとりがマリアのように慎ましく、清らかであることをお祈り申し上げます。


 ともに祈りましょう。

 全てを神の栄光と御心に捧げて。

 神の祝福あらんことを。


 マザー・テレサ MC

 ※ 書簡中の青色の文字着色は、私。


 【補足】神や神々などに関する「一つの見解」程度のくだけた話として読み流してください。

 科学主義が浸透した現代の人々に対して「あなたは神や神々の存在を信じますか?」と尋ねるならば、大多数の人々が確信を持って「存在するはずがない。存在することなど証明できないのだから存在しないと思う」などと即答するだろう。

 ところが、その同じ人々に対して別の質問、「あなたは死後の世界(霊的な世界)が存在すると思いますか、それとも人間が死ねば無に帰するのだから、死後の世界は存在しないと思いますか?」と尋ねた場合には、彼らの確信は一気にトーンダウンして「多分ないと思う、そんなことは死んでみないとわからない」という風な回答に変化する。

 なぜだろうか?

 おそらく、多くの人々は、自分が自分の死(やその予感)から遠く離れている時には、神や神々が存在するか否かという問題についてどんな考えを持っていても(無関心であっても)、現実の生活に何ら不都合を感じないのである。しかし、死後の世界の存在の有無について考える時はいつでも、「どんな人間でもいつかは必ず死を迎えるのだ、自分もその例外ではあり得ない」という不可避の現実が意識の中に呼び覚まされる。だから強い確信を持って「死後の世界は存在しない」とは言い切れない(言いたくない)心境に陥るのであろう。

 神や神々に対する信仰の問題は、自分とは無関係の他人事の問題ではあり得ず、自分の臨終の際には、死後の世界の有無に関する問題と不可避的に統合されて、どんな人の心の中にも立ち現れて来る問題なのである。ゆえに、「何人も決して軽視すべからず」ということなのである。

 以 上。

 

  ≪平成30829日(水)【閑話休題】男女関係の心温まるアニメネタ

 ここで私のお薦めアニメを再掲(一部追加)しておきます。

 ジャンルは「恋愛・ドラマ・学園系アニメ」(2018春アニメまで)です。

 アニメ選択の基準は、「男性は男性らしく、女性は女性らしくありながら、男女が互いに尊重し合うことができる時こそ、一人一人の個人にとって、友情、恋愛、仲間、結婚、家族などの人間関係が生まれ、人生のドラマが展開していくのだ」という私の観点から、観るのに良い、観れば心が温まると思われるアニメを厳選しています。(なお、下記作品はすべて良く出来ていて、心温まる作品ばかりです。ですから、順位付けはできません。)

 興味と時間のある方は、DVDレンタルやアニメ動画配信サイト等でご視聴ください。

 ※ ただし、あくまでも私個人の価値観により選んでおりますので、皆様のアニメ(またはアニオタ)感覚とは非常に異なるかもしれません。その点、あらかじめご了承ください。


 〇 花咲くいろは(P.A.WORKS

 〇 多田君は恋をしない(動画工房)

 〇 四月は君の嘘(A-1Pictures

 〇 君に届けシーズン1,2(Production I.G

 〇 サクラクエスト(P.A.WORKS

 〇 赤髪の白雪姫シーズン1,2(ボンズ)

 〇 ちはやふるシーズン1,2(マッドハウス)

 〇 響け!ユーフォニアムシーズン1、2(京都アニメーション)

 〇 僕らはみんな河合荘(ブレインズ・ベース)

 〇 言の葉の庭(コミック・ウェーブ・フィルム)

 〇 TARI TARIP.A.WORKS

 〇 ゆるキャン▲(C-Station

 〇 凪のあすから(P.A.WORKS

 〇 映画 聲の形(京都アニメーション)

 〇 映画 君の名は(コミック・ウェーブ・フィルム)

 〇 映画 心が叫びたがってるんだ(A-1Pictures


 ※ これらのアニメ制作会社のアニメ自体は、本ブログの記事内容とは一切関係がありません。私が個人的に良いと感じたものを自由選択しただけですので、これらの会社に迷惑のかかるヘイトな政治行為等は厳に慎んで頂きますよう、お願いいたします。


 閑話休題、以 上。

中川八洋 新刊情報等


nice!(0)  コメント(24) 

保守主義の哲学---良心の務めとしての反フェミニズム論2018 [政治]

image001.png

-----------------------------------------------------------------------

 読者の皆様へ

 私、少し体調を崩して療養しておりましたが、気付けば平成30年(2018年)も、はや7月に入ってしまいました。

 そのような事情もあり、大変遅くなりましたが、ここに本年最初の論文「良心の務めとしての反フェミニズム論」を掲載いたします。

 少々ページ数(文字数)が多くなりましたが、論考の内容は極めて重厚かつ有益であると自負しておりますので、興味ある方は、ぜひ最後までお読みください。




 ☆☆☆☆☆


【私のバーク保守主義解説ホームページ】




 《反フェミニズム関連》




 【平成30729日追記】

 

 〇 自然の摂理としての不動の真実について


  子供を産み育てることは、人類にとって最重要の人間的価値の一つであるということ。このこと自体は、マスメディア、新聞、フェミニズム団体やLGBT団体等の人々が、いかなる批判を加えようとも、どんなに否定しようとも、≪不変の自然の摂理≫の下にあり、また、人類にとって古来からの不動の真実≫であったし、未来永劫そうであり続けるということ。」

  すべての日本国民は、このことだけは決して間違わずに、常に肝に銘じておくべきであろう。

 以 上。


【閑話休題】(平成30722日付追記)

 今回の論文「良心の務めとしての反フェミニズム論」の中に盛り込めなかった内容について、若干の補足をしておきたい。それは、神(日本では天照大御神と八百万の神々である)と宗教および良心、敬虔、畏怖などの宗教的・道徳的信念の大部分は、本能---行動ルールの伝統---理性の三つの人間的価値の中では、「行動ルールの伝統」に属するものだということである。

 すなわち、神(神々)・宗教・宗教的信念などは、その本質上、「理性」では捉えられないものへの対処の試み---行動ルールの伝統の範疇の問題---であるから、合理的でないから信じるに値しないとか、理性によって明証できないから存在しないという理由で、それらの必要性と有益性を否定することはできないのである。

 世界の偉大な保守主義あるいは真正の自由主義の哲学者・思想家・政治家は、皆このことを直観的に理解していたがゆえに、保守主義者であり真正の自由主義者であったのである。

 ここで私が言う、真正の自由主義者とは、フランス啓蒙主義や英国ベンサム派功利主義などから派生した偽りの自由主義ではない、法と道徳の支配を肯定し重視する制限された自由主義を指している。


 ベルジャーエフは、「神」について次のように述べている。

 「もしも世界や人間がそれだけで完全であり、それらを超越する、より高く、より深く、より神秘的な何ものかが存在しないならば、我われは苦しみや悪に耐えることができないであろう。我われが神のみもとに行くのは、我われの理性が神の存在を証明するからではなく、この世が理性の限界を越えたところに存在する神秘に包まれているからなのである。」(『ベルジャーエフ著作集3』、白水社、6465頁、ゴシック文字:私)


 ハイエクは宗教と宗教的信念の重要な役割について次のように述べている。

 「有益な諸伝統が、少なくともそれに従うグループが増大して、自然ないし文化的な選択によって拡大する機会を得るのを可能にするだけ長く、保存され伝達されて来たのは、一部に神話的・宗教的信念のおかげであり、私の信ずるところでは、とりわけ一神教的信念のおかげである。これが意味するのは、好むと好まざるとにかかわらず、我われは一定の慣行の存続を、そしてそこから生ずる文明を、科学的言明と同じ意味では真ではない---あるいは検証可能でもテスト可能でもない---、また明らかに合理的な論証の結果でもない信念の支えに部分的に負っているということである。時として私は、少なくともこのような(一神教的)信念の一部を、少なくとも真価の理解の印として<シンボリックな真理>と呼ぶのがよいのではないかと思う。・・・道徳は我われの理解し得ぬ過程によって決定されたという宗教的な見解は、合理主義者に見られる、人間はその知能を働かせることで、およそ予見しうる以上のことを成就する能力を与えてくれる道徳を発明した、という妄念よりも、(宗教の)意図通りの意味においてではないとしても、ずっと真理に近いのである。以上を念頭におくならば、我われは、自分たちの教えの一部の妥当性についてやや懐疑的になりながらも、なお信仰を失えば道徳の衰退を招くであろうと危惧したがゆえに、それを人々に説き続けた聖職者たちをよく理解し、評価することができるのである。おそらく彼らは正しかった。そして不可知論者でさえ、我われがその道徳を、そして文明のみならず、まさにその生命をも与えた伝統を、その種の科学的には受け入れがたい事実についての主張(=シンボリックな真理を受容することに負っていると認めざるを得ないのである。」(『ハイエク全集Ⅱ-1「致命的な思い上がり」』、春秋社、206207頁、ゴシック文字、(  )内:私)


 バークは、人間の道徳とは神が人間に授けた法であるがゆえに、人間は道徳によって拘束され得る(道徳的義務を受容する良心を持ち得る)のだ、と洞察した。

 「もし、道徳法を形成し強制する全知全能の創造主が存在しないとすれば、時の権力の意思に反する実質的または実定的などんな契約にも、拘束力は存在し得ないだろうと私は思う。この(創造主が存在しないという)仮定によれば、どんな人間集団であっても、彼らが義務を無視するほどに強力になると、義務はもはや義務であることをやめるだろう。我われは抵抗できない権力に対しては、次の唯一の訴えを持つにすぎない。


仮に汝が人類と人間の武器を軽んずるにせよ、

それにしても神々が正邪を記憶し給うことを希望せよ。

---『アエネイス』第一巻---

 私がパリ流哲学の門弟に対して論じているのではないことを当然の前提とすれば、我われ人間の畏怖すべき創造主は存在秩序における人間のあるべき場所の創造主であり、神の摂理によって、我われ人間を、人間の意思ではなく神の意思に基づいて、配置し導き給うがゆえに、この配置によって実質上我われに与えられた場所に帰属する役割を果たすように、我われに命じ給うたのである。我われが人類一般に対して負う義務は、特定の任意協約の結果ではない。それは人間と人間、人間と神との関係に由来するが、この関係は決して選択できる問題ではない。それどころか、我われが人類の中の特定の個人や一定数の人々との間で取り結ぶあらゆる協約の効力は、この上位の義務に依存するのである。」(『バーク政治経済論集「新ウィッグから旧ウィッグへの上訴」』、法政大学出版局、655頁、ゴシック文字、( )内、英語原文からの邦訳修正:私)


以上、by Kentarou Ichimura.


【中川八洋 筑波大学名誉教授 公式ブログ】中川八洋掲示板


 《反フェミニズム関連》



















nice!(0)  コメント(22) 
共通テーマ:学問

ホームページの全面改訂のお知らせ(20171118) [政治]


image001.png


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 読者の皆様へ


 この度、私の主催するホームページの体裁を全面的に改訂いたしましたので、ご報告します。


 これまで私が書き綴ってきた、バーク保守主義、ハイエク自由主義、及びそれらを寸分も逸脱することなく継承されている、日本史上唯一最大のバーク保守主義者であられる中川八洋 筑波大学名誉教授の政治哲学を基礎にした小論等を整理・分類し、読みやすくしました。


 過去に書いたものを整理・分類しながら、「自分ながら、よくここまで書けたものだ」と感慨深くなるとともに、「継続は力なり」という言葉の重みを改めて噛み締めた次第です。




 なお、私の真正の保守主義・自由主義に関するブログ及びホームページは、他の「保守主義」や「自由主義」の定義や歴史の解説だけを講論する空虚で無益な詐欺的ページ群とは、明確に一線を画するものと信じている。


 なぜなら、私のブログ及びホームページは、バークの保守主義やハイエクの自由主義をもって、左翼・極左の全体主義を攻撃し殲滅するための、理論的実戦論を述べたものだからである。


 ゆえに、世界標準レベルの保守主義の意味が皆目わからない者、共産ロシアやナチ・ドイツの歩んだ全体主義(社会主義・共産主義)を信奉する者、美徳ある自由(保守主義)と放縦の自由(リベラル)の区別がさっぱりできず自分が保守や反左翼を自称しながら、結局全体主義への道を突っ走っているにすぎない分裂症的な似非保守連中等々には、私のブログ及びホームページなど、そもそも一切読んでもらわなくて結構。そのような人々は、私の倒す敵ではあっても、愛読者である必要など皆無。


 少々辛辣な物言い方かもしれないが、せっかくのホームページ全面改訂にあたり、私の思いを一言申し添えた次第である。




hata.gif


以 上。


nice!(0)  コメント(10) 

保守主義の哲学---真正保守(自由)主義政党が採るべき政策綱領(案) [政治]


hata.gif


 良識ある日本国民の皆様へ。


 国益無視の、政治家の超ご都合主義の主張など、聞いていても嘘くさくてちっとも信用できず、腹立つだけ。


 ので、真正の保守(自由)主義---バークやハイエクの思想を軸とした政策を思考する保守主義---の政党が仮にあるならば、どのような政策綱領を掲げるべきかを簡単にまとめました。但し、政策分野は、天皇(皇室)、国防、外交のみに限定しています。


 どうぞ一読された上で、今回の総選挙における、各自の投票行動に反映して頂ければ幸いです。





《平成291021日》流石に超一流の詐欺、自民党の政策パンフレット2017!


 今回の総選挙用『自民党政策パンフレット2017』は、さすがに超一流の詐欺師、安倍晋三率いる自民党だけあって、全体の外見は非常に見事な出来栄えである。それは率直に認めよう。

  だがその内容はパンフレット冒頭から、事実の歪曲(虚偽)で覆われている。

  そもそも安倍晋三の言う「国難」とは、その全てではないにしても、大部分は安倍晋三自身の無策と無責任が招いたものであり、それをあたかも政権の外から差し迫った危機であるかのごとく、冒頭から転倒論理で国民を騙す悪意甚だしい詭弁であろう。

  1 北朝鮮脅威に関する、5年間の安倍晋三政権のミサイル・核実験対応及び日本人拉致問題に対する失策は、ほとんどお手上げ、放置状態で、国益毀損甚だしいもの。当の拉致被害者の家族でさえ、日本政府は全く信用できず、米国政府の方が遥かに信用できると訴える始末。最近、米国のトランプ大統領が国連演説で、拉致問題(拉致被害者)に触れてくれたため、日本政府一同が、米国大統領に手を合わせて涙を流す始末。

 2 日本国の人口問題とは、“日本国の人口増加対策”のこと、すなわち“出生数増加”、“出生率回復”のことであって、共産党の造語<少子化社会>を前提としてはならない。

 ちなみに201441日現在の子供(=15歳未満)の数は、1,633万人であり、1981年の2,760万人に比べて1,100万人減少した。日本国が地球から消滅する日は、着実に近づきつつある。だから、日本国の永続、日本民族の存続を真剣に考えるならば、<少子化>とか<少子化社会>を前提としてはならないことなど、小学低学年でも容易に理解できることである。

  ところが、安倍自民党の<少子化社会>を前提にした政策は、今だけよければよい(選挙で票が得られ、自分の政権を長く維持できればよい)、50年後、100年後の日本国の国防力なし、労働力なし、福祉・介護力なしという悲惨で暗澹たる国家の終末状況を全く意に介しない、無責任極まる(あるいは悪意に満ちた)ものである。つまり、安倍晋三は、知性の極貧困性と悪徳の利己主義者であるため、真の「国難」が何かもわからないし、それに対する真正の対策もさっぱりわからない。

 経済発展も国防力も60歳以下の人口絶対数で概ね決定されるから、このためには、平成以降の日本国は「新生児数250万人以上、出生率4.0以上」でなければならないが、安倍自民党は一切、この核心問題に触れない。それどころか造語<希望出生率1.8>を振り回すし、<少子化>を前提とした(=少子化ありきの)ロボット・人工知能頼みの<生産性革命?>とか、将来人口が激減していなくなる前提での<人づくり革命>とは一体何なのか?これを真正の<騙し>、<詐欺>と言わずして何というのだろうか?

 3 <経済的に恵まれなくても、意欲さえあれば(誰でも)進学できる社会>とか<幼児教育の無償化>などは、学力や教育の問題を家庭の経済問題のみに還元する的外れのお粗末思考(イデオロギー)であり、そうした思考自体が子供の学力低下を増大させ、自助の精神に満ちる活力を喪失した暗澹たる社会へと導くのである。どんな分野であれ、偉大な成功者は、概ねすべて、貧困と不運な環境の運命の中に生まれながら、自助の気概を持って勤勉に精励し、苦難を乗り越えて、成功した者たちばかりである。少なくとも、国家(政府)が貧しい個人に経済的な援助を施しさえすれば、個々の国民の知性や徳性や身体能力が本人の理想や希望どおりになるはずだという思い込みは、単なる幻想でり、捨てるべきである。

 4 消費税を増税し、その使途を<全世代をあまねく支える社会保障制度にする>などとの主張は、マルクス経済学のとうに破綻した<同一労働・同一賃金>政策や、日本国民から国家が勤労意欲を強制的に削ぎ落す<残業の規制(→実際には、企業が生存していくには、仕事量の最低ラインは減らせないから、残業は一向になくならず、残業代未払いのサービス残業が増大するだけとなる。>政策などと合わせ、安倍自民党は、(国家)社会主義政党です(これから社会主義国家に大きく舵を切ります)との宣言であろう。

 5 上記1~4に加え、先にブログで述べた、天皇(皇室)、日本国皇統・日本国の祖先への大叛逆、反国益の異常な親露外交、対露・対レッドチャイナ・対北朝鮮の国防(軍事力増強)政策における無策・無能、および憲法や法や政治哲学が何なのかさえ、さっぱりわからない誤魔化しの憲法改正論、等々を合わせ考えれば、安倍晋三・自民党がこの衆議院選挙で過半数を越える与党となっても(自民党が与党であることは不変だろうが)、日本国の内政的・外交的・軍事的危機は、増大するばかりで、低減する要素(見込み)は何もない。だから、安倍晋三の高級な役者演技の文言である、<国難突破のため>であるとか、<北朝鮮危機に備えるため>であるとか、<この国を守り抜く>のは安倍自民党だけだ!、などという訴えは、概ねすべて、言葉自体と実際の施策が真っ逆さまに転倒した虚偽である。


image001.png

nice!(0)  コメント(1) 
前の5件 | -