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保守主義の哲学---安倍内閣の退位特例法と4/30退位式典の本質(正体)を知れ! [政治]

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退位特例法と4/30退位式典の本質(正体)を正確に知るべし!

 

(1) この度の皇位の御代替わりが、今上陛下の“譲位”の御意向(御意思)から発するものであることは明らかである。

今上陛下は201688日のテレビ御諚(お言葉)で次のように述べられた。

陛下の御諚(お言葉)の一部を以下に示す。

 

天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか・・・考えて来たことを話したい」

 

「私は・・・伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し・・・日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考え・・・」

 

「これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考える・・・」

 

「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。」

 

「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」

 

「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを,切に願っています。」

 

この御諚において、今上陛下が高齢により天皇としての重責を十全に果たせなくなることを案じられ、天皇としての責務を縮小せず、摂政を置くのではなく、皇位の御代替わりをしたい御意向(御意思)を示されたのは明白である。 

テレビ御諚を拝聴したすべての日本国民がそのように正しく認識したはずである。

また陛下は御諚で

・ 「伝統の継承者として,これを守り続ける責任」

・ 「我が国の長い天皇の歴史」

・ 「天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことへの祈念」

等についても触れられていることから、陛下の御意向である皇位の御代替わりは、“譲位”を意味していることも明白である。

なぜなら、日本国二千年の皇位継承の歴史において皇位の御代替わりの方式は、

 

・ 「崩御・践祚」

・ 「譲位・受禅」

 

という二方式の伝統・慣習---それは“慣習法”としての“皇位継承法”である---しか存在しないからである。

 

つまり、初代・神武天皇から一二五代・今上陛下に至る日本国天皇の皇位継承法には、「退位」や「生前退位」という、語彙も、概念も、実例(先例)も微塵も存在しないのである。

また、テレビ御諚(以前も)以後も、天皇・皇后両陛下および皇族方は、皇位の御代替わりについて、一貫して皇位継承法を遵守した正語“譲位”を使用しておられることからも、今上陛下の御意向が奇怪語「退位」を意味するのではなく、皇位継承による“譲位”の御意向であったことに議論の余地はない。

 すなわち、今上陛下の201688日のテレビ御諚(お言葉)は、

『今上陛下が皇位継承法にもとづく“譲位”による皇位の代替わりをしたい御意向(御意思)を全日本国民に表明されたものである』

と正しく理解する必要がある。

この正しい理解が「退位特例法」と「4/30退位式典」の本質(正体)を見抜くための前提条件となる。

 

(2) “譲位”は皇位継承法及び現行日本国憲法に照らして合法かつ合憲と解釈可能であるが、「退位」が違法かつ違憲であるのは明白である。

 

 (2)-1 “法”は明文憲法や議会立法を支配し、制限する。

 “皇位継承法”は日本国天皇の皇位継承の歴史・伝統・慣習に依拠する“普遍の規則”である。

“法”とは、君主やその他の統治者の意思(=勅令・布告・命令など)、明文憲法、および議会立法などの上位にあって、それらを制限し、支配する

そして“法”によって権力者の意思の暴走を抑制・制限し、統治を永遠の道理と不易の人間道徳とに服従せしめ、人々の生命・私有財産・自由を保護する(自由主義)原理を“法の支配”と言う

つまり、この“法の支配”の原理に照らせば、皇位継承“法”である“譲位”から逸脱する(違反する)「天皇の退位」を定めた国会立法(「退位特例法」の制定)が、日本史上最悪級の“違法”行為に相当すると容易に理解できるはずである。

 

(2)-2 皇位継承法と現行日本国憲法とにおける“正しい法理”を理解せよ。

日本国憲法 第一条

日本国憲法第一条は、日本国の国制である立憲君主の天皇制度を定めた条文である。

第一条は、天皇の在位を絶対条件とする。天皇位が空位となれば第六条、第七条は機能せず、日本国の国政は混乱又は停止することから明らか。

第一条の国民の総意が奉戴するのは、天皇制度そのものであり、特定の御代の特定の天皇ではない。

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

「憲法第一条が定める《国民の総意》が奉戴するのは、《天皇制度》や《天皇制度の〔抽象的/一般的〕天皇》である。皇位継承する具体的な個々の新天皇を指すものではない。当たり前だろう。憲法第一条は立憲君主の天皇制度を定めた条項であり、それ以外ではない。」(中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle版 、位置No.1638-1641)

すなわち、いかなる特定の天皇も国制である天皇制を放棄する権限はない。つまり、皇位継承を伴う“譲位”をする権限は持ち得ても、皇位継承を伴わない(天皇位を空位にする)「退位」をする権限はない。

 

但し、『明治皇室典範義解』に

「(権臣の強迫や南北朝の乱の源因となった歴史を鑑み、)本條に践祚を以て先帝崩御の後に即ち行わるる者と定めたるは、上代の恒典に因り中古以来譲位の慣例を改むる者なり」とあるように、明治皇室典範以後は“譲位の禁止”が大原則とされた。

 

また、第一条の「国民の総意」とは、ポツダム宣言に関するバーンズ回答「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」を挿入したものであるから、第一条は「(終戦以後も)日本国民は自由意思によって立憲君主の天皇制度(国制)を奉戴し続ける」という決意表明の条項である。

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

 「そもそも憲法第一条の《国民の総意》は、占領中の1946年作で、対日降伏条件《ポツダム宣言》補足の《バーンズ回答》がまだ生きており、《国民の総意》の原泉《バーンズ回答》をそのまま挿入したもの。つまり、《国民の総意》 は、“天皇制度を存続させるか否かは日本国民が決定せよ” という意味だから、皇位継承に関する事柄とは全く無縁。明白以上に明白であろう。」(中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle 版、位置No.1650-1654

 

日本国憲法 第二条

日本国憲法第二条は、“万世一系の世襲の皇位”を明文化した条項であり、皇位継承は“皇位継承法”を明文化した“皇室典範”に遵うことと規定している。

“皇室典範”とは日本国二千年の歴史が明示する「真理が証明済みの慣習法(中川八洋、上掲書)」を明文化(銘典化)したものであるから、改正や増補を行う場合でも「立法は、“法”の下で、すなわち“法”に違わない範囲 内でしか、してはならない(中川八洋、上掲書)」という法の支配”の大原則を絶対遵守しなければならない

このため、明治皇室典範(および明治憲法)においては、皇室典範の改正や増補から、臣民の干渉(帝国議会の協賛)および個々の天皇の意思(恣意)を排除し、皇族会議及び枢密顧問に諮詢して天皇が勅定することとされていた。

 

明治皇室典範

【前文】

「皇室典範の成るは實に祖宗の遺意を明徴にして子孫の爲に永遠の銘典を貽す所以なり。皇室典範は皇室自ら其の家法を條定する者なり。故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。而して將来已むを得ざるの必要に由り其の條章を更定することあるも、亦帝國議會の協賛を經るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け、子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。又臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり。」

また、〔明治憲法第七十四條〕、〔明治皇室典範第六十二條〕なども参照のこと。

 

つまり、日本国憲法第一条の「国民の総意」とは、「多数決の議決における満場一致」の意味ではないし、第二条の“世襲の皇位”規定にそれを適用することはできない。さらに第二条の「国会の議決」の文言は明治憲法からの「改悪」であるが、その場合でも、国会の立法は、皇位継承“法”に支配され、その範囲を超越してはならない

こうした観点から判断すれば、皇位継承“法”から逸脱した「退位特例法」を、まるで旧ソ連や中国の共産党大会の情景を彷彿とさせる「満場一致」(=憲法第一条「国民の総意」の誤解釈による)で議決した、日本の国会(議員)の無法・無知・無能は最悪レベルと確信できるであろう。このような愚劣・無能極まる国会議員連中は総入れ替えする必要がある

 

日本国憲法 第四条第一項

日本国憲法第四条第一項の「国政に関する権能」の「権能」とは、

国防や外交政策あるいは内閣の首班・閣僚人事に対する《国王大権》のことをさす。憲法第四条第一項はこれらの《国王大権=政治権能》を日本の天皇は有さないとの、立憲君主の大権に関する最狭義の定義を採用したものである。」(中川八洋、上掲書、No.1811-1820

それゆえ、「退位特例法」の国会審議時に、日本共産党の塩川鉄也議員の質問に対する菅義偉内閣官房長官の答弁、

 

「文言(=陛下の御ことば)を今般の立法の直接の端緒として位置付けた場合には、憲法第四条第一項に違反する恐れがあり、(このため)文言を(特例法第一条に)使用しないことにした」

 

というのは日本国憲法の「トンデモ改竄解釈であり、《非・国政の皇位継承問題は、国政である》とする真っ赤な嘘の大詭弁である(中川八洋、上掲書)」。

また、2017年年6月1日の衆議院議院運営委員会で横畠裕介内閣法制局長官次のように述べた。

 

「天皇の交代という国家としての重要事項が天皇の意思によって行われるものとした場合、これを国政に関する権能の行使に当たるものではないと言えないのではないかという問題がある

 

この答弁が全く意味不明の誤魔化し答弁であることは、それを聞いた(読んだ)中学生でもはっきりと理解できる。内閣法制局長官という職にある者がこのような意味不明の誤魔化し答弁をせざるを得なかったのは、国政ではない皇位継承問題を憲法第四条第一項と牽強付会的に結び付けて解釈しようとしたためである。

ちなみに、横畠裕介内閣法制局長官の上記説明を裏返せば、「国政に関する権能の行使に当たると明確には言えない」という意味にすぎない。横畠裕介内閣法制局長官の答弁を聞くに、「印象操作」の才能だけは天才的であるとわかる。

 

さて、以上のことをまとめると次のとおりである。

・ 日本国二千年の伝統・慣習としての皇位継承“法”

・ 立憲君主の天皇制度を規定した日本国憲法第一条

・ 皇位の世襲継承(=国民の意思介入を排除する)を規定した憲法第二条

に照らして、“譲位”は合法・合憲と解釈可能であるが、「退位」は違法・違憲で絶対不可である

また、「皇位継承問題は非・国政」であるから、憲法第四条第一項の《国王大権=政治権能》とは無関係である、とするのが、“唯一の正しい法理”である。

 

(3) 安倍内閣の「退位特例法」と「4/30退位の礼」の本質(正体)を見極めよ。

 

「退位特例法」の国会審議において、菅義偉内閣官房長官は次のようにも述べた。

「天皇陛下のおことばは、これまでのご活動を続けられることが困難となるというお気持ちを、国民に向けて発せられたもので、退位の意向を示されたものではなく・・・」

この答弁の意味は、今上陛下が退位の御意向を示され、それによって政府が動いて国会が「退位特例法」を制定したことになると憲法第四条第一項に違反するから、

「一貫して退位は天皇陛下のご意思によるものではなく、天皇陛下がご高齢であり、ご公務が十分にできなくなっておられることなどの客観的な状況を受けて政府が検討し、国民の代表機関である国会が退位を実現する法律を制定したとの論理を採用している」(産経新聞web版、2018220日付、【正論】八木秀次・麗澤大学教授、「皇位継承の儀式における課題」)

という理屈であるらしい。

 

しかし、もしこの理屈が「退位特例法」制定の真の趣旨であるとすれば、それは恐るべきことを意味している。

なぜなら、それは、天皇陛下の直接の御意向(御意思)もないのに(=直接の御意向の有無とは無関係に)、天皇陛下の御様子等の客観的な状況から、国民(=政府)の側が勝手な判断・推測をして、天皇陛下に「退位」して頂くよう促す(=政府・国民の独断で天皇を退位させる)ことを可能にすることが「退位特例法」の本質(正体)であると暴露していることに他ならないからである。

そして菅義偉内閣官房長官は、国会答弁の中で次のようにも述べている。

「法案の作成に至るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例となりうる

先例化を明言したのである。

この発言は「国民(=政府)の側の勝手な判断・推測によって天皇陛下に退位を迫ることは今後もありうる」との明言である。

要するに安倍内閣・自民党が成立させた「退位特例法」は、「天皇制廃止の共産革命に合法性(正当化)の口実を与える法律」と命名するのが最も正しい呼称なのである。

 

そしてこの「天皇制廃止の共産革命に合法性(正当化)の口実を与える法律」に従って行われる「4/30退位の式典」について、安倍晋三内閣及び与党自民党は、あろうことか真逆に「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重した式典である」と嘘宣伝をしており、「4/30退位式典」終了まで(否、おそらくそれ以後も)日本国民を騙し通すつもりのようである。

また、安倍内閣の御用学者と堕したのか、八木秀次・麗澤大学教授も「4/30退位の式典」について、真理を真逆に転倒して次のように述べている。

 

「皇位継承儀式の伝統は重視しつつも、退位、即位の儀礼に憲法違反の疑いを残してはならない皇位の正統性に瑕疵が生ずるからだ。」(産経新聞web版、2018220日付、【正論】八木秀次・麗澤大学教授、「皇位継承の儀式における課題」 より引用。)

 

実際には、“譲位・受禅の儀”が合法・合憲と解釈可能で、皇位の正統性にも瑕疵など生じない

逆に「退位特例法にもとづく4/30退位礼(5/1即位礼との分離実施)」の方が、「皇室の皇位継承の伝統を跡形もなく破壊し尽くす非暴力の共産革命(中川八洋、上掲書)」なのである。

 

(4) “譲位・受禅の儀”によってのみ、皇位継承は法的効力を有する(=皇位の正統性を持つ)。

 

これまでに述べたことをまとめると、

譲位”は合法・合憲と解釈可能であるが「退位」は明らかに違法・違憲であるから、今上陛下の御代替わりの儀式は、「5/1譲位・受禅の儀」(同時実施)としてこそ、“合法性と正統性とを有する皇位継承の儀”となるのである

 

最後に、前回のブログ冒頭で述べたことを反復する。

日本国の“天皇制度”と“皇位継承法”は二千年の歴史を通じて連綿と世襲継承されてきた事実そのものによって“時効の国制”である。それゆえ現在及び将来の日本国民は、祖先が行ってきたそのままに、それを奉戴し、護持し続ける“義務”がある。

 なぜなら、皇位継承の伝統と慣習を貫いている“世襲の原理”と“時効の原理”が天皇制度だけでなく、日本国の国土の領有・保全・防衛における合法性と日本国民の生命(安全)・私有財産・自由と諸権利の永続性をも保障する根本原理だからである。

すなわち、天皇制度の安定的継承と日本国民の自由と諸権利の安定的保障とは、一体不可分のものである。

前者の“法”を平然と侵犯する政府権力は、何れ必ず、後者の自由と諸権利をも同様に(さらに容易く)侵害するに至るだろうと警戒しなければならない。

 

【さらに詳しく知るために必読の参考文献】

・ 中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇「悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民の世襲義務』、ヒカルランド

・ 中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle

 

【必読のブログ・ホームページ等】

中川八洋ゼミ講義

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オノコロこころ定めて

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≪フェミニズム反駁関連の論文抜粋≫

フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)

良心の務めとしての反フェミニズム論

≪皇位継承関係の論文抜粋≫

永遠性への貢献

 

以 上。 


2019316日》 追記。

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 1.『天皇「退位」式は、〝廃帝〟と宣告する人民法廷: 〝譲位〟禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』、Kindle

 2.『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民の世襲義務

 3.『悠仁天皇と皇室典範

 4.『小林よしのり「新天皇論」の禍毒

 5.『女性天皇は皇室廃絶男系男子天皇を、奉戴せよ

 6.『皇統断絶女性天皇は、皇室の終焉

 7.中川八洋/渡部昇一『皇室消滅

 

 これらの著作群は、「皇統」、「天皇制度」、「皇位継承」、「伝統・慣習と法」、「憲法」等について正しく語るために読むべき必読書。これらすべてを何度も読み、正しく理解し、真理(真実)を頭に叩き込む努力をするならば、天皇制廃止を企む共産革命家や憲法学者の嘘言説(妄言)になど一切惑わされずに真理(真実)を見抜く能力が養われるでしょう。

 

 

y エドマンド・バークを信奉する保守主義者こと、 image005.png

以下の追記事項も参考にしてください。


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【拡散依頼】安倍内閣は日本国の本源的かつ不可侵的“皇位継承法”を踏襲せよ! [政治]


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日本国二千年の本源的かつ不可侵的“皇位継承法”

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 日本国の“天皇制度”と“皇位継承法”は二千年の歴史を通じて連綿と世襲継承されてきた事実そのものによって“時効の国制”である。それゆえ現在及び将来の日本国民は祖先が行ってきたそのままにそれを奉戴し、護持し続ける“義務”がある。

 なぜなら、皇位継承の伝統と慣習を貫いている“世襲の原理”と“時効の原理”が天皇制度だけでなく、日本国の国土の領有・保全・防衛における合法性と日本国民の生命(安全)・私有財産・自由と諸権利の永続性をも保障する根本原理だからである。すなわち、天皇制度の安定的継承と日本国民の自由と諸権利の安定的保障とは一体不可分のものなのである。

 また、明治皇室典範の前文に「皇室の家法は祖宗に承け、子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。又臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり。」とあるのは、日本国の“皇位継承法”に偶発的な恣意(権力)が介入するのを抑制・制限し、“法の支配”の原理に服従させるためである。つまり、天皇主権、国会主権、および国民主権などの「主権」の介入を完全排除するためである。法と道徳によるいかなる抑制(支配)も受けない無制限の権力を意味する「主権」意識こそ、統治者が君主であるか、貴族であるか、民衆であるか等に関わらず、彼(彼ら)を専制政治、侵略戦争、国民大虐殺などの悪逆非道に走らせる「本質」に他ならないのである。

 さて、日本国の“皇位継承法”には「退位」という概念も語彙も存在しない。「退位」という歴史事例(先例)もない。皇位継承は“崩御・践祚(即位)”か“譲位・受禅(即位)”かのいずれかのみである。 

 それゆえ、天皇皇后両陛下(及び皇族方)は、TV御諚や記者会見において「退位」という語彙を使用されず、一貫して正語「譲位」を使用されている。天皇陛下(皇室)として“皇位継承法”の遵守に徹しておられるのである。

 このように日本国の“皇位継承法”にその概念も語彙もなく、歴史上の“先例”もなく、現在の天皇皇后両陛下および皇族方も使用されていない語彙「退位」を公然と使用することは「不敬罪」であり、そのような者は「非国民」である。これに加えて、1時間程度(即ち1日以内)の所要時間で行うことができる「譲位・受禅の儀」を意図的に排斥し、「4/30今上陛下の退位の礼」と「5/1皇太子殿下の即位の礼」とに分断する者は正真正銘の「逆賊」である。この場合「退位は譲位の意味で使用している」などと嘘八百をいくら言い繕っても全く無意味である。なぜなら、“譲位”とは、皇位継承法により「皇位を祖宗に承け、子孫に伝える継承の儀式」でなければならないからであり、「4/30退位、5/1即位」の分断実施では決して“譲位”になり得ないからである。

 天皇制度を奉戴する日本国を愛する真正の日本国民は、

 「4/30退位、5/1即位の分断実施は皇統断絶の危機であり、絶対反対・阻止!」

 「5/1譲位受禅の儀式として、皇位継承法を厳格に踏襲せよ!」

 と声を挙げなければならない。

 なお、「退位」という語彙は、「コミンテルン32テーゼ」から引き継がれる「天皇制廃止の共産革命」を目論む共産主義者の特殊な政治語彙である。このことに関する詳細内容は、中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇』などを精読して頂きたい。


 なお、安倍内閣が行おうとしている「4/30退位の礼、5/1即位の礼」の分断実施の異常事態については、私の大親友である「うまやど様」がHP、ツイッターなどで分かりやすくまとめられ、発信されています。また、危機周知のためのPDF版の「拡散ビラ」も作成しておられます。詳しくは下記のリンクを参照してください。

 【オノコロこころ定めて】



 ≪2019年(平成30年)28日追記1≫

 ☆「4/30退位の礼、5/1即位の礼」の2日間分断実施と「5/1譲位・受禅の儀」のどちらが違法・違憲かに関する私見です。

 これは現在及び将来の日本国・日本国民の存亡に関わる極めて重大な内容です。

 読者の皆様も、一緒に真剣に考えて下さい。

 日本国憲法 第1章(第1条から第8条)の規定は、日本国の国制においては「天皇の在位」を絶対前提としている。古来の伝統・慣習としての皇位継承法(皇室典範)も「天皇位の空位」など全く想定していない。これは疑う余地のない事実である。

 それゆえ、たとえある天皇が個人として、天皇位から退くことがあるとしても、日本国の国制としての天皇制度を放棄することはできない(そのような権限はない)

 すなわち、ある天皇が“譲位”せずに「退位」することは、天皇位の空位(=国制の空白)を故意に招く「国制の放棄」に相当し、どの特定の天皇にもそのような権限は与えられていない。それゆえ、古来の皇位継承法に「退位」の概念も語彙もないし、現行の日本国憲法の第1章の全規定も天皇の在位を絶対前提としているのである。つまり、皇位継承を伴わない「天皇の退位」こそ、日本国の国制を重大な危機に晒す「国政に関する権能(憲法第4条)」の行使に相当するがゆえに憲法違反と考えるべきである

 一方、今上陛下から皇太子殿下への皇位継承を伴う「譲位・受禅」は、すでに皇室典範によって“皇太子殿下”に皇位が世襲継承されることが定まっているのであるから、「譲位・受禅の儀」は“法の厳粛な施行”の儀式にすぎない。ここに今上陛下の政治的な意思(恣意)が入り込む余地は微塵もなく、その行為が憲法第4条「国政に関する権能」に当たるとはとても言い難い。また、「譲位・受禅」の場合、天皇位の空位は生じず、「国制の放棄」も生じ得ない。つまり、合“皇位継承法”かつ合“日本国憲法”である。

 ところが、安倍内閣(内閣法制局)によると、「5/1譲位・受禅の儀」(1日間)の方が日本国憲法第4条違反(違憲)であり、「4/30退位礼、5/1即位礼」(2日間)の方が第4条合憲なのだと言う。理由は、今上陛下から皇太子殿下へ皇位を「譲る」行為が「国政に関する権能」に相当し、憲法違反なのだという理屈である。

 このような理屈は、天皇(皇室)に対する途方もない「不敬」であり、また、皇位継承法、日本国憲法に関する「究極の出鱈目解釈」と言えよう。

 現状では、今上陛下及び皇族方が一貫して「譲位」であると仰せであるにも関わらず、安倍内閣(法制局)の方が、陛下に「退位」を迫り、「国制の放棄」に等しい「天皇位の空位、国制の空白」を生じさせようと躍起になっている始末である。

 すなわち、古来の皇位継承法に叛逆し、現行の日本国憲法第1章の絶対前提を蔑ろにする重大な憲法違反を犯そうとしているのは、今上陛下ではなく、安倍内閣(内閣法制局)の側であると言えよう。

 さて、読者の皆様はどのように考えられるだろうか。


 ≪2019年(平成30年)29日追記2≫追記1をもう少し掘り下げてみました。

 うまやど様のツイッターの中から引用。

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 「政府は皇位を『譲る』側面を徹底的に抹消し、伝統的な譲位宣命も削除。天皇の意思で皇位を譲るのは憲法4条に抵触する(内閣法制局の見解)ので、政府の言う『退位』は言葉遣いの問題ではなく『譲位ではない』ことを表す政府推奨用語。神器も政府が一旦没収してから皇太子殿下へ下賜。ことごとく先例無視」

 (引用終わり)

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 つまり、安倍内閣(内閣法制局)の見解では、

 今上陛下から皇太子殿下への皇位の継承を伴わない「退位」は、実際には、「天皇の在位を絶対条件とする日本国憲法第一章の全条項に違反し、天皇位の空位を恣意的に生む国制の放棄に相当するから、国政に関する権能(憲法第4条)の危険な行使に相当する」にもかかわらず「合憲」であり、

 逆に、「今上陛下が、一天皇としては皇位を退かれるが、天皇制度という国制の放棄は許されないので、皇位継承法(皇室典範)に従って既に皇位継承者と定まっている皇太子殿下へ皇位を継承される譲位・受禅儀式(今上陛下の政治的意思の入る余地はなく国政に関する権能とは言い難い)は、合・皇位継承法、合・日本国憲法である」にもかかわらず「違憲」である、

 と解釈していることになる。

 これは、正誤逆さまの途方もない出鱈目であろう。

 もし今上陛下の「意思(御意向)」はどんなものでもすべて憲法第4条の「国政に関する権能」に該当すると解釈するならば、「退位」であれ、「譲位」であれ、それが今上陛下の「意思(御意向)」から発していることは、小学生でもわかる自明の理。この解釈では、一方が憲法第4条「合憲」、他方が「違憲」などという理屈は全く成立しない。また、このような解釈をするならば、安倍内閣(法制局)は「天皇陛下が意思して行為すること」それ自体を認めないと言っているのと同値になるから、天皇陛下・皇族方を「精神・意思のない機械・ロボット」あるいは「主人に絶対隷属の奴隷・下僕」とみなしている証拠であり、非人間的悪逆非道共産主義的であると言えよう。

 次に、もし天皇の「意思(御意向)」が「国政に関する権能の行使」に該当するならば「違憲」であり、該当しないならば「合憲」であると解釈する場合には、次のような結論になるはずである。

 すなわち、天皇の「退位」は、天皇位に恣意的な空位をもたらし、天皇制度という国制の放棄に相当する(当然、それは国政に重大な悪影響を及ぼしかねない行為である)から、まさに「退位」こそ、天皇の意思による(憲法第4条の)国政に関する機能の危険極まる行使であると解釈され「違憲」とみなされる。

 他方、「譲位・受禅(即位)」は、皇位継承法(皇室典範)の厳格な施行の儀式であり、そこに(憲法第4条の)国政に関する権能の行使に相当するような天皇の政治的意思が入り込む余地は微塵もなく、天皇位の空位も生じない(国制は十全に継承・維持される)から、「退位」ではなく「譲位・受禅」こそ、“合・皇位継承法”かつ“合・日本国憲法”であると解釈し得るのであろう。

 つまり、「4/30退位の礼、5/1即位の礼」の分断実施の方が違法・違憲であり、「5/1譲位・受禅」(同日実施)の方が合法・合憲であるのは明らかであろう。

 このように警鐘を鳴らしても、(これまでの私の経験上)おそらく安倍晋三首相・菅義偉内閣官房長官の率いる与党自民党は、聞く耳をもたず無視し、「4/30退位の礼、5/1即位の礼」の分断実施を強行するであろう。しかし、この分断実施の事実は、皇統に対する日本史上例のない憎むべき大叛逆行為となるから、永遠に映像・文字などに記録されて後世に伝えられる。数十年後、数百年後の後世の歴史家なり、政治学者なりは、この記録史料から2019年(平成30年)の安倍内閣・与党自民党は、天皇(皇室)に牙をむいた「保守偽装の極左・逆賊政党」であったと評価するであろう。

 重要なことは、現在の安倍自民党は、日本共産党その他の反日野党に徹底的に騙されて、天皇制廃止の共産革命実行の主犯格に祭り上げられる策謀に嵌っていることに全く気付いていないこと。

 日本共産党にしてみれば、自らの手を直接汚さずに、憎むべき安倍内閣に天皇制廃止の共産革命の一部を代行してもらえるのだから、こんなに喜ばしいことはあるまいだから退位特例法にも全員一致で賛成したのである。将来、日本共産党をはじめとする反日野党は「退位特例法も、退位・即位の儀式もすべて、当時の政権与党であった安倍晋三自民党と公明党が決定し実施した事柄であり、野党であった我が党には何の責任もない。」と堂々と責任逃れする(が、これはまさに事実であり、歴史家も必ずそう判断する)ことは明白であるが、それを予測し警戒する能力すらない(=事実上の脳死状態)。

 もし、後世の日本国民から「天皇に叛逆した逆賊」の汚名を着せられたくないならば、安倍晋三内閣と与党自民党は、皇位“継承”の儀式としての「/1譲位・受禅」(同日実施)に変更すべきであろう。


 2019214日 追記3

 中川八洋 筑波大学名誉教授 最新刊(kindle版)情報。

 『天皇「退位」式は、〝廃帝〟と宣告する人民法廷: 〝譲位〟禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』

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  この中川八洋先生の著書を冷静に精読すれば、安倍内閣・与党自民党が実施しようとしている「430日(退位礼)と同年51日(即位の儀)」の分断実施が「日本国憲法違反」であり、「退位特例法第2条違反」の疑いが強いことも明白である。

 また、安倍内閣の使用する語彙「退位」が、譲位・受禅の儀(=皇位継承法・皇統永続)とは真逆の「天皇制廃止の共産革命(の儀式)」(=皇統断絶)の企てであることがはっきりと理解できるはず。そもそも、上掲書を読んでもこれを理解できない者は、最も正確な意味において、保守主義者でもないし保守派(民族系)でもない。

 また、上掲書を読めば、安倍晋三内閣と与党自民党議員らが常々口にしている、「天皇陛下万歳!」、「天皇(皇室)を崇敬せよ!」、「皇統の悠久・弥栄を祈念する」、「皇室制度を絶対護持せよ」、「二千年間天皇制度を護持してきた、日本国祖先への尊崇の念を持て!」、「法の支配を遵守せよ!」、及び「日本国の伝統・慣習・文化を護持せよ!」、「日本固有の領土を守れ・奪還せよ!」等々のすべてが口からデマカセの大法螺でしかなく、真の意味で愛国心のある保守派の国民を騙す、詐欺的パフォーマンスでしかないことがわかるはずである。

 保守派(民族系)の中でも良識ある人々には、上記著書を読んで、冷静に現在の危機的状況を理解頂き、我われが守るべきは特定時代に生まれては消える特定の内閣や政党や個人」ではなく、“過去から未来へと続く悠久の日本国の皇統・天皇制度と日本国民の平和と静謐と安全”であることに気付いて頂きたい。

 そして皇統・天皇制度の護持のために「5/1譲位・受禅の儀」の実現に、共に声をあげて頂きたいと思います

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保守主義の哲学---2018年12月論文、「反・フェミニズム論(2)」 [政治]

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 読者の皆様へ。

 いつも私の拙ブログをお読み頂きありがとうございます。

 この度、本年7月に執筆いたしました論文『良心の務めとしての反フェミニズム論』の続編として、論文『フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)』を執筆いたしました。

 なお、今回の論文は日本フェミニズム(女性学)の言説の出鱈目さ(非科学)と日本政府の行ってきた男女共同参画行政(特にジェンダー・フリー教育)の反人間性をすべて暴露する目的で、かなり力を入れてまとめたつもりです。

 今後、皆様がフェミニストらと様々な議論をする際の「理論的攻撃材料」という意味合いで上記のような大げさな論文標題となっています。

 かなりの文章量ですが、図表等も交えながら、誰もが分かるように最大限の努力をしたつもりです。ぜひご一読ください。なお、前回7月の論文も合わせてお読みいただければ、なお理解しやすいと思います。

 201812月論文〔PDFファイル〕リンク

 →フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)

 20187月論文〔PDFファイル〕リンク

 →良心の務めとしての反フェミニズム論

【私のホームページ】

 →エドマンド・バークREVIVAL

 2018年(平成30年)121日兵庫県姫路市にて執筆。

 エドマンド・バークを信奉する保守主義者、Kentarou_Ichimura.

 

2018128日付)

【ホームページの移行に関する重要なお知らせ】

 読者の皆様へ。

 私のホームページ、標題『保守主義 エドマンド・バーク リヴァイヴァル』(→http://www.geocities.jp/burke_revival/)をいつも御愛顧いただき、誠にありがとうございます。

 これまで当該ホームページは、「Yahoo!ジオシティーズ(有料版)」にて運営してまいりましたが、「Yahoo!ジオシティーズ」の全サービス終了の告知に伴い、下記の新ホームページ、標題『エドマンド・バーク保守主義Revival』に内容同一のまま、(まるごと)移行することといたします。

 【移行先】

 HPエドマンド・バーク保守主義Revival

 →https://burkeanmem.sakura.ne.jp/

 なお、「Yahoo!ジオシティーズ」のサービスは、20193月末をもって終了するため、本日より20193月末までは移行期間として、新旧の両ホームページを(内容同一で)併存させ、201941日以降は「新HPのみの運営」となる見込みです。

 読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、今後とも当該HPをより一層ご愛顧頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

HP作成者 Kentarou _Ichimuraより。

 

 20181211日≫

 ☆ IPCCの「人為的CO2の地球温暖化主因説」は破綻していないのか?

 フランスでは燃料税増税に対する抗議を発端にデモが発生し暴徒化したため、マクロン大統領は増税の延期を発表した。政府(政治)に対する「デモ」と無差別に破壊・窃盗・暴力を振るう違法な「暴徒」とは全く別物だから明確に区別する必要がある。もし「暴徒・暴動をデモと混同して称賛し、支持し、煽り立てる人々または集団」があるならば、日本国においては、国民の生命・安全と私有財産の保護、治安維持のために、それらを禁止(廃止)するしかあるまい。

 それはさておき、このフランスのデモの発端が「炭素税」の目的、すなわち「人為的CO2排出抑制による地球温暖化防止」にあると知ったので、この問題に関する著作を数冊読んでみた。すると非常に興味深い内容が浮かび上がってきた。

 例えば、深井有(中央大学名誉教授) 著『地球はもう温暖化していない---科学と政治の大転換へ』、平凡社新書には以下のような内容が記されている。少しまとめておこう。

 (1)最近20年間の世界の平均気温の実測値は、CO2濃度が単調増加で上昇にもかかわらず、頭打ちから低下の傾向を示している。

  平均気温は、多くの気候モデルによる予測と乖離して行く一方である。これが事実である。

 (2)気候モデルの予測値と平均気温の実測値の大きな乖離についてIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)はその原因を全世界の人々に全く説明せず、乖離した気候モデルを修正せずに使用し続け、将来の平均気温上昇を(高い値に)予測して、早急な排出削減がなければ、地球上の生命に破滅的で不可逆的な影響が出る、などと世界中の人々の危機を煽っている。

 (3)IPCCの気候モデルは、大気中の水蒸気(CO2温暖化に対する負の作用)や雲の作用(アイリス効果)の影響を過少に評価過ぎているため、温暖化の原因が「人為的CO2による」との結論が誘導されるとともに、温暖化の過大予測の原因となっていると世界の多くの科学者(気象学者ら)が論文等で指摘しているが、IPCCはそれを無視し隠蔽している。

 (4)「クライメートゲート事件」---IPCCによるデータ改ざんや人為的CO2温暖化説に不都合な事実の隠蔽工作などに関する関係者のメールのやり取りが大量に世界に流出した事件(20091119日から3回にわたって流出「クライメートゲート1.03.0」と言われる。)---以降、IPCCの「人為的CO2温暖化説」に対する世界の国々・科学者の信頼・信用は失墜した。

 その結果、

 200911月オーストラリア、12月フランスで温暖化対策法案が議会で否決。

 2010年 米国でも法案化は実現せず、下院の地球温暖化特設委員会は解散。

 201011月カナダでも法案が上院で否決。

 2013年オーストラリアでは、気候変動エネルギー省が廃止、20147月に炭素税が廃止。

 2014年英国では国内の気候変動関係の組織が大幅に縮小、関連予算も41%カット。

 20145月の欧州議会選挙では温暖化対策見直しを主張するグループが多くの議席を獲得。

 2015年にスイスでは炭素税導入に関する国民投票を928で否決。

 2014年の気候サミットでは国連の呼びかけにドイツ・インド・英国・カナダ・オーストラリア・ロシア・中国の首脳が欠席を表明する事態が生じ潘国連事務総長とオバマ米大統領を慌てさせた。

 (5)このように世界の国々はIPCC主導の地球温暖化キャンペーンから距離をおこうとしているのに、日本国ではマスコミも政治家も官僚も「IPCCの人為的CO2地球温暖化主因説」に対するこのような問題を全く報道せず、国会で議論もせず、国民に説明もせず、温暖化防止のために年間4兆円を費やしてきた。

 

 以上が、深井有(中央大学名誉教授) 著『地球はもう温暖化していない---科学と政治の大転換へ』、平凡社新書で述べられている内容のほんの一部であるが、これらが真実であるならば、我が国のお偉いさん方(マスコミ・政治家・官僚など)の頭の中は、一体どうなっているのだろうか?と私は首をかしげざるを得ない。

 この著書の他にも同様の問題を扱った著書はいくつもあるので興味ある方は何冊かを合わせて読むことで、何が真実かを自分で確かめて頂きたい。

 なお、この件に関して、毎日新聞の記事を2件掲載しておく。

 毎日新聞の記事では、上記のIPCCに関する世界中の国々・科学者の疑惑と不信など、一切無視して、「日本国は温暖化対策が足りなすぎる!もっと金をつぎ込め!」と煽っているだけの煽動文書ではないか。毎日新聞は日本国民に真実を伝える気も、日本国民の不利益を回避して、利益へと導いていこうとする問題意識は全くないようである。つまり日本国民にとって読む価値のない新聞であろう。

 

 【毎日新聞】(最終更新 20181122 2040)

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 ■ 気象 世界の温室効果ガス濃度、最高を更新@世界気象機関(WMO)は22日、主要な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の2017年の世界平均濃度が405.5ppm(ppmは100万分の1、体積比)に達し、過去最高を更新したと発表した。WMOは「濃度の増加が止まる兆候はなく、地球温暖化や海面上昇、異常気象の増加などに拍車をかけている」としている。

 CO2濃度は16年から2.2ppm増加。ペースは最近10年(年2.24ppm増)とほぼ同じだった。産業革命前の水準(約278ppm)と比べると約1.5倍に達し、CO2より温室効果の強いメタンも約2.6倍に増えた。

 地球温暖化問題を話し合う国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)が12月2日からポーランドで開催され、産業革命前からの気温上昇を2度未満にすることを目指す「パリ協定」の実施指針採択を目指している。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気温は既に約1度上昇しており、WMOは「早急な排出削減がなければ、地球上の生命に破滅的で不可逆的な影響が出る」と指摘する。【大場あい】

 →https://mainichi.jp/articles/20181123/k00/00m/040/089000c

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 【毎日新聞】(最終更新2018 1211 1201)

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 ■ 温暖化対策ランク、日本は49位 5段階評価で最低グループ

 ドイツのシンクタンク「ジャーマンウオッチ」などは10日、ポーランドで開催中の国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)で、温暖化対策の国別ランキングを発表した。日本は5段階評価で最低のグループに入る49位(昨年50位)だった。

 ランキングは、世界56カ国と欧州連合(EU)を対象に、国民1人当たりの温室効果ガス排出量エネルギー供給に占める再生可能エネルギーの割合――など14の指標を分析した。

 ランキング13位は該当なし。温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」が掲げる産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑える目標達成に向けて、十分な取り組みをしている国がなかったためだという。4位は再生可能エネルギーなどの指標で評価が高かったスウェーデン(同4位)。5位はモロッコ(同6位)、6位はリトアニア(同5位)だった。

 日本は、過去5年で再生可能エネルギー導入が進んだことなどは評価されたが、2030年度までに13年度比26%減という温室効果ガス削減目標などが不十分だと評価された。パリ協定からの離脱を表明した米国は59位(同56位)。最下位はサウジアラビア。世界最大の排出国・中国は再生可能エネルギー導入拡大などで33位(同41位)で、5段階評価で初めて真ん中のグループに入った。【大場あい】

 →https://mainichi.jp/articles/20181211/k00/00m/040/091000c

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以 上。


 ≪20181216日≫

 【産経新聞】

 ■ パリ協定、途上国に共通基準 20年実施に向け本格始動

 →https://www.sankei.com/world/news/181216/wor1812160004-n1.html

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 跳び上がって喜ぶ議長の写真がとても印象的だね。

 〇 気候予測モデルと衛星観測実測値の乖離

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 気候モデル(予測値)と実測値は明らかに大きく乖離している。

 この理由を説明できないモデルによる「気温変化の将来予測」にどれほどの信頼性があるのだろうか?

 〇 35万年前から現在に至るCO2濃度と気温変化の推移図

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 このグラフを見れば、地球の気候変動(気温変化及びCO2濃度)の循環は太古の時代から存在しているのは明らかであろう。つまり、この地球の気候変動の循環は(産業革命以後の)人為的排出CO2量とは無関係に起こる現象である。つまり、(人為的排出CO2ではない)地球(公転や自転などの活動)、太陽活動、宇宙線などの要因(働き・作用)によって生じるのである。要するに地球の気候変動は(産業革命以降の)人為的排出CO2だけが要因で生じるものではない。

 またグラフは、上記の外的要因が、まず地球の気温を上昇させ、次に海水温が上昇し、海水中のCO2が大気中に放出されることでCO2濃度が上昇する過程を示している。それ故にCO2濃度の変動と気温変動に時間的ラグがある(CO2濃度のピークが気温変化のピークより遅れる)と説明される。

 ※ 上記2つの図は、深井有『地球はもう温暖化していない』平凡社新書より抜粋(説明書きは私の加筆)。

 〇 各国のCO2排出量の推移(BP統計)

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 CO2排出量はChina(中国共産党)がダントツNo.1であるが、China(中国共産党)COP24合意では、資金支援をする側なのか、される側なのか?

 

 【毎日新聞】

 ■ COP24 一部の合意を断念、先進・途上国間に相違

 →https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181214-00000099-mai-env

 ・大きな対立点の一つが、途上国に対する先進国の資金支援。「『資金』の問題は途上国にとって非常に重要だ」。インドやブラジル、中国などの新興国の代表が会場で記者会見し、先進国側の姿勢を批判。

 

 また、HUFFPOSTはパリ協定の目的をわかりやすく説明している。

 【HUFFPOST

 →https://www.huffingtonpost.jp/2017/06/07/paris-agreement_n_16993784.html

 ■ パリ協定とは? とっても大事な2つの理由【わかりやすく解説】

 ・化石燃料を使わないことを目指す、人類史上初の国際ルールだから。

 ・気温上昇を2度未満に抑制するためにはもうほとんどの化石燃料を燃やすことができない。化石燃料をたくさん使ってきた人類近代史を大きく変えることになる。

 

以 上。

 

 20181218日≫

 世界経済フォーラム(WEF)の「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」は果たして信用できるのか?

 HUFFPOST

 ■ ジェンダーギャップ指数2018、日本は110位でG7最下位「日本は男女平等が進んでいない」G7で最下位。

 https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/17/gender-gap-2018-japan_a_23618629/?utm_hp_ref=jp-homepage

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 ということなのだが、実は、世界経済フォーラム(WEF)のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(順位)は、

 「ごく一部の例だけを、≪男女比≫という基準のみに基づいて男女平等度を評価し、国ごとに格付けするというこの指数については、平均寿命の男女比と出生時の男女比など異質な指標を総合し単純に平均を出すという計算方式、何を指数に選ぶのかなどのウエイトづけ、計算根拠など多くの疑問」

 があるという批判もあるのである。

 【参 考】「ジェンダーギャップ指数は、適切な指標か」

 →https://webfemi.wordpress.com/2016/10/03/gendergap-tekisetsu/

 そして、この批判(指摘)は、下記に示す国連のジェンダー不平等指数GII(国連開発計画『人間開発報告書』)では、日本国が21/159カ国(2015年、値は0~1の間の値をとり、0が男女の完全平等の状態を表す。)であることを見れば、妥当であるように思えるのである。

 * 国連では、計算手法等のすべてをHPで公表している。

 【国連開発計画『人間開発報告書』】HP

 →http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human_development/human_development1/hdr_2016.html

 

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 (注)この表は内閣府男女共同参画局HPに掲載されている。但し、色文字は私が記載。

 【内閣府男女共同参画局】HP「男女共同参画に関する国際的な指数」

 →http://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

 

 マスコミなどは、毎年世界経済フォーラム(WEF)のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(順位)が発表されるとすぐに大きく取り上げるが、国連開発計画『人間開発報告書』で毎年発表されている「ジェンダー不平等指数」でのランキングは報道されているのだろうか?あまり聞いたことがない。

 私は、以前から世界経済フォーラムの指数による日本国の順位について疑問を抱いていたので、今回少し詳しく調べてみたらこのような国連の統計データが存在することをはじめて知ったほどである。

 このような状況を総合的に勘案すると、私には、左翼マスコミと日本フェミニズムが結託して偏向した情報を国内で流布させることによって、日本国の男女不平等状況を実体よりも極端に過大化して日本国民に信じ込ませているのではないかと疑いたくなるのだが、読者の皆様はどのように思われるだろうか?

 

→→本文のつづき。


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保守主義の哲学---知っておくべき「ジェンダー」、「共参法」に関する豆知識 [政治]

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 フェミニストが、男女の生物学的・医学的な性別による区別と性別役割を躍起になって否定するのは、男女の性別役割のすべては、出生後の子供の育て方、つまり子供の育つ社会的・文化的環境が子供に押し付けるものなのだ(だから、「男らしさ」や「女らしさ」を子供に教えてはならないのだ)、と決めつけたいからである。これが、フェミニストの好む性別論、ジェンダー(=社会的・文化的に形成された性別)である。

 これを端的に言い直せば、次のようになる。

 「人間の性別は、地球上の全生物に働いている自然の摂理には依拠せず、人間自身が意図的に操作・決定できるのだ」

 これが日本フェミニズムのジェンダー論の真意であるが、なんと欺瞞に満ちた思想であろうか。良識のある正常な人間からすれば、狂気としか言いようがない。彼らは、自然の摂理と人間としての良心に対して、もっと謙虚な態度になるべきではないか。

 例えばフェミニストが男女の脳の性差等を執拗に否定するのも、この狂気の思想を擁護したいがためにする議論であって、胎児の脳の形成過程において(解剖学的または機能的に)わずかでも男女の性差があると知られれば、彼らのジェンダー理論が破綻するから、必死になって否定するのである。

 しかし、彼らのジェンダー理論は、ジョン・マネーの「双子の症例」の虚構と欺瞞を、ミルトン・ダイアモンド博士の医学論文『小児および青年期医学の記録』とジョン・コラピント著『ブレンダと呼ばれた少年』とが暴いた時点で

 ---半陰陽でもホルモン分泌異常でもない、正常な男児として生まれたデイヴィッド・レーマーが、男性器を焼失する医療ミスに遭遇し、女児に性転換され、ブレンダと名付けられ、完全に女性として(の家庭環境で)育てられたが、15歳の時、彼は、自ら女の性に耐えられず、男性と性自認して再度男子への性転換を受けた時点で(人体実験された彼は、哀れにも38歳の若さで自ら命を絶ったのである。)---

とっくの昔に破綻しているのである。

 もし、先に述べたフェミニストのジェンダー論が正しいならば、ブレンダは生得的には、正常な男性として生まれたが性転換し、社会的・文化的には完全に女性として育てられたのだから、自分の性を女性であると自認するはずであったが、実際には、自らの意思で男性と自認したのだから。ちなみに、ブレンダが自分の出生が正常な男子であり、女子として育てられた生い立ちについての真実は、ブレンダがデイヴィッドに再度性転換する直前まで誰からも知らされていなかった。

 なお、フェミニストが生得的な性差を否定するのであれば、「ジョン・マネーの仮説では性自認の門の開放期間が一年半だったがブレンダになったのは一年九ヶ月の時で、三ヶ月遅かった」は全く反論になり得ない。自明ではないか。

 このように、ジョン・マネーが唱えた「社会的・文化的な環境が与えるジェンダー・ロール(性役割)が、ジェンダー・アイデンティティー(性自認)=性別を決定する」という仮説は破綻しているにもかかわらず、日本国の男女共同参画社会基本法と男女共同参画行政・教育は、このマネーのジェンダー論を肯定する日本フェミニズム・女性学に依拠してなされてきたのである。

 例えば、日本のフェミニズム研究の必読書である『女性学教育/学習ハンドブック』と『差異の政治学』では、マネーの破綻したジェンダー理論を否定することもなく、逆に喝采して次のように述べている。

 まず、『女性学教育/学習ハンドブック』には、こう書かれている。

 「社会的には、<女である>あるいは<男である>と認識することをジェンダー・アイデンティティー<性自認>という。解剖学的な性と性自認とが一致しない場合もある。J.マネーはその著『性の署名』の中で、長い間女の子として育てられた子どもは、たとえ解剖学的に男の子であっても女の子としての性自認が形成されているので、女としての役割を習得する。つまり性自認の方が解剖学的な性よりも強力である事例を報告している。性自認と解剖学的性を一致させるために性転換手術を受ける人もいる」(国立女性教育会館 女性学・ジェンダー研究会編著『女性学教育/学習ハンドブック』、有斐閣、2002年版、p103

 次に、上野千鶴子の『差異の政治学』ではこう書かれている。

 「マネーとタッカーは、生物学的性差のうえに、心理学的性差、社会学的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した」、「セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した」(上野千鶴子『差異の政治学』、岩波書店、2002版、p10

 ※ なお、日本フェミニズムの依拠するジョン・マネー以外のジェンダー論としてマルクス主義フェミニストであるクリスティーヌ・デルフィ(仏)のジェンダー論があるが、要約すれば、

 「性別役割としてのgenderは、生物学的・医学的性別(sex)を基礎として構築されるのではなく、まず社会的慣行という抑圧があって、それがgenderを作りだし、genderが解剖学的sexを作りだしたのだ」

という仮説である。しかし、これはデルフィ自身が、著書の中で「仮説」であり、「冒険的な企て」であり、「実証されるまでには数年かかるだろう」(デルフィ『なにが女性の主要な敵なのか』、勁草書房、183頁)と述べているが、それから約半世紀たった現在においても実証などされていない「仮説」である。

 だが、常識的に考えてみよ。人類社会を現在から、過去へと巻き戻せばよい。

 現在→約7500年前に数千人規模の首長制社会が誕生→約1万年前に農耕・牧畜による定住生活始まる→約7万~20万年前に言葉の使用始まる→約60万年前に脳の大きさが現代人並みになる→約100万年前に火を用いて調理を始める→約200万年前に狩猟・採集生活、50人規模の小集団→約700万年前に人類の祖先誕生・直立歩行、という風に。

 各々の時代で男女(雄雌)の社会的・文化的な性別役割(ジェンダー)は異なるとは言えても、どうして自然の摂理である男女(雄雌)の生物学的・医学的性別(セックス)が、ジェンダーによって作られた、などと断定したり実証したりできるだろうか。不可能である。

 また逆に、約700万年前から現在に向かって時間を進めてみれば、人類が、男女(雄雌)の生物学的・医学的性別(セックス)を基礎にして、試行錯誤を繰り返しながら、各時代の社会形態へと漸進的・連続的に文化を進化させてきたことがわかるだろう。しかし、もしも各々の時代において、その時代に生きる人々が、(現代のフェミニストだけが言うように)男女の性別と役割文化とを教えられなかった(学ばななかった)ならば、現在でも人類は、ただ1世代が生まれては死に、また1世代が生まれては死ぬということを繰り返すだけの、多くの下等な生物と何ら異なる所がなかったであろうと想像できよう。

 つまり、男女の性別を基礎にして進化する文化を学び、後代に伝え教えることの繰り返しが、人類を人類たらしめてきたのである。

 また、周囲の世界を見渡してみよ。セミやトンボのような昆虫をはじめ、多くの生物は、誰かに社会的・文化的に教えられなくても、生得的な本能によって雌は雌、雄は雄の行動をとるように作られ、行動しているのだから、地球上の生物の一員である人類も生得的性別をもっているはずだ、と考えるのが自然であろう(但し、人間行動の進化は、他の動物の行動とは異なり、遺伝的進化の影響よりも文化的進化の影響が大きいというのが生物学や文化人類学などで得られている知見ではある)

 

 長谷川真理子(進化生態学者、理学博士)氏は、著書『オスとメス=性の不思議』の最終章で、フェミニストの文化進化万能論を次のように批判している。

「誤った立場の二番目のものは、ヒトは他の生物とはまったく異なる存在であり、生物学的説明はヒトにはまったく通じない、生物学から学ぶものは何もないとする態度です。この立場は、とくに一部のフェミニストの間に見られ、生物学的説明は、この立場の人々からは、現状の社会悪を肯定する議論として警戒されます

 この立場の人々は性差などというものはほとんどが文化的に作られるもので、男女は生殖器以外には生物学的に差はないと考えているようです。

 私は、先日、このような立場のアメリカ人が書いた本を読んでいるときに、男女のからだの大きさの性的二型も、文化的に作り出されたものだと論じているのを見つけて驚きました。その人は、平均して男性の方が女性よりもからだが大きいのは、歴史的、地理的にほとんどの社会で、女の子は男の子よりも栄養価の低いものを食べさせられ、女の子の服装は、男の子の服装よりも非活動的、制限的であり、女の子は男の子よりもスポーツをすることを奨励されないことからくる文化的結果だと論じていました。

 私自身も、性差の多くは文化的に作られたり、または生物学的に存在するものが文化的に増幅されてできていると考えていますが、あらゆる性差が文化的に作られたもので、ヒトという生き物が他の動物とはまったく異なり、生物学的制約とはいっさい無縁のものだとは思っていません

 雄と雌のからだの構造、生理学、生化学は非常に異なるものであり、その究極的理由は、第1章から第7章までの間にくわしく検討してきましたように、雄と雌では受けている淘汰の種類が非常に違うからです。ヒトにいたって、その淘汰の様子はかなり変化しました。しかし、科学的に検証していくのではなくて、何もかもを文化と学習のせいだと強弁していくのも、非科学的な態度だと思います。」(長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』、講談社現代新書、235頁)

 また、F.A.ハイエクが言うように、「文化は自然的なものでも人為的なものでもなく、また遺伝的に伝えられたものでも、合理的に設計されたものでもない。それは、学習された行動ルールの伝統である。文化的進化は、意識的に制度を構築する人間の理性(=意思)の結果ではなく、文化と理性が同時に発展した過程の結果である。」(『ハイエク全集Ⅰ‐10「法と立法と自由〔Ⅲ〕」』、春秋社、155頁)

 それ故に、男性(という階級)が、女性(という階級)を支配・抑圧するために、意図的・計画的に、文化や文化的性別(ジェンダー)を作り出して、女性に押し付けることなどできない。できると考えるのは、(フェミニストが)近代合理主義の最悪の誤謬である、デカルト的設計主義的合理主義(=ハイエク)の誤謬に陥っているからであるそして、文化や文化的性別(ジェンダー)が、誰の意図的設計による押し付けでもないとすれば、そもそも、男女がジェンダーから解放(=フリー)されなければならない根拠など何もないのである。男女間の差別の解消に必要となるのは、自生的に形成された文化からの解放(破壊)ではなく、文化の修正または改善なのである。

 また、男女共同参画基本法を審議した、悪名高い「基本法検討小委員会」第4回(平成10323日)議事録では、委員である文化マルキストたちによる(法律を通すための)国民・国会議員騙しの謀議が延々となされている(詳しくは、『男女平等バカ』、宝島社、p109p112および山本彰編著『ここがおかしい男女共同参画』、世界日報社、p101p110などを参照して頂きたい。)

 この議事録の中で、最も重要な部分は、当時、ジェンダーとかジェンダー・バイアスを規定した「国際条約」は一つもなく、また、ジェンダー・バイアスの撤廃(=ジェンダー・フリー)を目指すことを規定した諸外国の法律もない、ということを委員たちは承知していながら、最も過激な男女共同参画基本法の強引な成立を目指していた、という事実である。

 要するに、当時の日本国民と国会議員は、「日本は男女平等について遅れている」と文化フェミニストに騙されて、世界で最も過激で急進的な法律をまんまと成立させられた、ということである。

 ジョン・マネーのジェンダー仮説が破綻している事実を隠蔽した上、「日本は欧米諸国に比べて遅れているから」と日本国民と国会議員を欺いて成立させた法律「共参法」は、即抜本改正するか廃止するのが当然ではないだろうか。

 さて、ここまで述べると、左翼陣営やフェミニスト達から、男女共同参画基本法には「社会的・文化的に形成された性別」、「ジェンダー」、「ジェンダー・フリー」などの用語は規定されていないではないか、という反論がおこりそうなので、これに対して少々説明を加えておこう。

 男女共同参画社会基本法案(以下、「共参法」と記す。)に関する、1999513日の参院総務委員会において、「法律の<前文>は不要」と主張する政府委員を相手に、民主党の小宮山洋子参議院議員が<前文>挿入などの修正案を提出し、同年521日に協議修正された<前文>が提出された。この修正追加された<前文>とは以下のとおりである。

「少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は・・・(以下省略)」

 問題は、この<前文>中の「性別にかかわりなく」の解釈である。男女共同参画ビジョン等の策定に関わった大沢真理をはじめとするフェミニストの多くは著書の中で、この文言を「ジェンダーにかかわりなく(=ジェンダー・フリー)」の意味だと強弁しており、実際にも、男女共同参画基本計画(平成12年策定)の中には、「ジェンダーに敏感な視点」という文言が挿入され、国及び地方の男女共同参画行政・教育の各機関は、「性別にかかわりなく」の意味を事実上そのように解釈して、これまでに日本全国で、過激な性教育、男女混合騎馬戦(組体操)、男女同室着替え、男女混合名簿、呼称の「さん付け統一」、あらゆるものに対するジェンダー・チェック、男女共学化、過激な地方自治体条例の制定・・・等々の数々の悪政を行ってきたのである(ちなみに、純粋な男女の区別は差別ではない。オリンピック競技を男女に分けて行うのは、世界中の国々・人々の合意事項であり、決して差別とは言わないのだから、自明であろう。)

 それでは、政府(行政)は、この「性別にかかわらず」をどう解釈しているのかと言えば、これがまたいい加減・出鱈目の極みなのである。

 内閣府男女共同参画局(『逐条解説 男女共同参画社会基本法』、ぎょうせい、p80)では解釈の参考として、次のように説明している。

「<参考5>『性別にかかわりなく』

 『性別にかかわりなく』との文言は政府原案の中にはなく、前文のみで使われている用語である。前文は前述のとおり参議院で修正されたものであり、この部分の解釈について国会審議でも明確にされていない。

 この用語についての解釈の参考としては、412日の参議院本会議では、男女共同参画社会と法案の意義について質問があり、『男であるとか女であるとかという性別にかかわらず、男女がお互いの個性や長所を認めつつ、かけがえのないパートナーとして喜びも責任も分かち合っている社会・・・』と小渕恵三内閣総理大臣が答弁している。」

 つまり、少なくとも小渕首相は、<男女がお互いの個性や長所を認めつつ>と述べているのである。

 ところが、平成161029日の衆院内閣委員会で、細田博之官房長官は、民主党・小宮山洋子議員から共参法<前文>の「性別にかかわりなく」の意義を質問され、「社会的、文化的に形成された性別、ジェンダーにとらわれることなく、一人一人の個性や能力が多様であるので、それを尊重し、多様な選択を認め合うという趣旨である」と答え、共参法<前文>における「性別」が「ジェンダー」の意味であり、「にかかわりなく」が「にとらわれることなく(=フリー)」であると明言したのである。

 我が国の政府(行政府)及び国会のこの出鱈目な、国民を欺き、嘲笑しているかのような態度は、一体何なのだろうか?

 また、先に述べた悪名高い「基本法検討小委員会」第4回(平成10323日)における、委員である文化マルキストたちによる(法律を通すための)国民・国会議員騙しの謀議

 →政府原案にはなかった共参法<前文>を1999513日の参院総務委員会で挿入するよう強固に主張したのは、フェミニスト(を代表しての)小宮山洋子であった。

 →この<前文>に対する解釈を平成11年の小渕首相の<男女がお互いの個性や長所を認めつつ>から、平成16年の細田博之官房長官の<社会的、文化的に形成された性別、ジェンダーにとらわれることなく>に変えさせる質問をしたのもフェミニスト(を代表しての)小宮山洋子であった。

 という流れを踏まえれば、ジェンダーという用語を直接使用しない共参法を成立させ、後になって、修正追加しておいた共参法<前文>中の「性別にかかわりなく」を「ジェンダー・フリー」に解釈させるというフェミニストらの謀略の筋書きに、日本国民及び国会議員は、まんまと騙されたと考えてよかろう

 しかし、共参法の成立と解釈の過程において騙されたこと以上に、日本国民にとって遥かに深刻なのは、共参法の施行が与えてきた日本国民へのダメージの方である。なぜなら、共参法の施行は、ジョン・マネーの破綻した<双子の症例>の日本国民に対する社会実験であると解するのが、正しい理解だからである。

 つまり、狂気の医学者ジョン・マネーが共参法・男女共同参画会議・内閣府男女共同参画局等に対応し、ジョン・マネーのデイヴィッド・レーマー(ブレンダ)への生体実験が日本国民への共参法の施行に対応するのである。

 ジョン・マネーは、(半陰陽でもホルモン分泌異常でもない)正常な男子を性転換手術と育て方(生育環境)によって女子(=人間)に変えられると信じた。

 それに対して男女共同参画会議や内閣府男女共同参画局等はどうか。

 彼らは共参法の成立以後、法律の強制力を盾にして(半陰陽でもホルモン分泌異常でもない全体人口の99%以上の)正常な男子または女子として生まれた日本国民に対して、「男らしさも女らしさも教えず、全否定するジェンダー・フリー教育」を子供たちに強制執行することによって、男女の性別意識すら持つことができない「人間未満の非人間」に改造しようと試みてきたのである。これが、フェミニズムの「男女の本質的平等」の本質であり、「性別にかかわらない個人」の本質である。ジョン・マネーよりも数万倍質が悪いと言えよう。

 このような所業(「共参法」)は、正真正銘の「狂気」である。

 冷静に考えてもみよ。生得的な生物学的・医学的性別(sex)を否定され、男らしさ・女らしさを後天的に教育することも否定された(=ジェンダー・フリー)子供たちが、一体如何にして「男女の性自認」をすることが可能なであろうか。

 家庭や学校や社会に対して「男性とは何か、女性とは何かを子供たちに一切教えるな」と政府(地方行政も含む)が法律によって強制するなどという施策は、まさしくレーニン/スターリンの共産主義やヒットラーの国家社会主義が行った社会実験の模倣であり、当該国民や民族を襲った悲惨な運命を真摯に受け止めるならば、決して許されるべきことではない

 共参法とそのジェンダー・フリーとしての解釈は、立法の仮面を付けた犯罪である。

 それとも、内閣府男女共同参画局は、個々の人間(日本国民)は、自分が男性であるか女性であるかを自認する必要はない、性別のない個人であれば十分だ、と言いたいのか。

 あるいは、性別のない個人の人生は、男女の性別をしっかり自認した個人の人生よりも、幸福で、生の充実感があり、自己の存在意義をより良く認識できると言いたいのか。

 どうであれ、兎に角、現在行われている男女共同参画行政は、至急ストップして、徹底的に見直しをする必要がある。

 さらに付け加えれば、共参法の成立過程に関して、酷く出鱈目なものが他にもある。

 審議会等の多数の議事録が紛失しているのである。

 当時、男女共同参画基本法案の国会上程前の審議は、「男女共同参画審議会(総会)」、「基本問題部会」、「基本法検討小委員会」の三つの会合で行われた。総会7回、基本問題部会12回、小委員会13回開催されたが、議事録が公開されたのは、そのうち、総会が2回分、基本問題部会が5回分、小委員会が6回分のみ。

 議事録の大半が存在しないことについて、質問された当時の男女共同参画局の回答(A)は、「現時点では存在しない」であったという。それで済まされたのである。

 Q:初めから存在しなかったのか?

 A:「わからない」

 Q:当初存在したものが、その後に失われたのか?

 A:「それもわからない。とにかく現時点では存在しない。」

(なお、この議事録関連については、『男女平等バカ』、宝島社、p113や山本彰編著『ここがおかしい男女共同参画』、世界日報社、p101などを参照して頂きたい。)

 兎に角、このようにとんでもなく出鱈目かつ国民騙しの過程を経て成立したのが、天下の悪法「共参法」であり、その悪法の効力の下で、男女共同参画会議、男女共同参画局の文化マルキストたちによって、日本国民を強制手術的に改造する目的でなされてきたのが、「ジェンダー・フリー」、「男女の本質的(or実質的)平等」の美名による、男性と女性を区別しない過激な悪徳行政・教育だったのである。

 さて、このような極悪法「男女共同参画社会基本法」をこのまま無制限に放置しておいてよいものだろうか。良いわけがない。放置すれば、現在および将来の日本国・日本国民は、回復不能な致命的損傷を被ること間違いないだろう。

 良識ある日本国民は、我われ真正保守(自由)主義グループとともに、共参法の抜本改正または廃止のために、大きな声をあげて頂きたいと切にお願いするものである。

補足とお願い】以上の問題は、過去の問題ではなく、現在まで変わらず引きずっている問題であることに注意せよ!

 おそらく、人によっては、上記の問題は過去に生じた問題で、既に是正されているはずであり、何を今更?というかもしれないが、根本的には今でも何も是正されていない。その理由を以下に簡単に記しておく。

 (1)共参法から、ジェンダー・フリーの思想は未だに<消えていない>。

 平成16年(2004年)4月に、内閣府は、「ジェンダー・フリー」は男女共同参画社会が目指すものではないこと、それぞれの地方公共団体における「ジェンダー・フリー」の用語使用についても、今後条例等を制定する場合には、敢えてこの用語は使用しない方がよいとの考え方を示した。だが、現在でも共参法の前文中の「性別にかかわりなく」は消されていない。そして上記の細田博之官房長官の答弁と合わせれば、「ジェンダー(性別に)・フリー(かかわりなく)」という解釈が共参法から消え去っていないのである。また共参法の第4条などは、明らかに実質上のジェンダー・フリー規定である(これについては、私の前回の論文良心の務めとしての反フェミニズム論(PDFを参照されたい)。

 (2)内閣府の使用する用語「ジェンダー」は、マネーやデルフィの定義ではないとは言えない。

 また、同時に内閣府は、国及び地方行政が使用する「ジェンダー」という用語の定義について、1995年の第四回世界女性会議(北京会議)で採択された北京宣言および行動綱領において示された≪生物学的な性別を示す「セックス」に対する「社会的・文化的に形成された性別」≫であると述べた。

 しかし、用語「ジェンダー」の出所を述べたからと言って、何の意味もなく、それが、ジョン・マネーやクリスティーヌ・デルフィなどの定義する「ジェンダー」の意味とは異なるものであるという根拠には一切ならない。

 なぜなら「ジェンダー」概念において最も重要なポイントは、「ジェンダー」と「セックス」との相互関係の定義部分だからである。

 すなわち、

 ①男女の性別は生得的な「セックス」の影響を全く受けず(あるいは生得的な「セックス」など存在せず)、完全に「ジェンダー」によってのみ決定される(→この場合、人間の性別は、自然の摂理に無関係に、生後に人間の意思で決定できることになる。仮にそうだとしても、文化的進化は、あらゆる時代を通じて、すべての人々による自生的過程による形成物であり、誰かの意図的な設計物ではない以上、文化や文化的性別を破壊してもよい、次代に教えなくてよい、男女を中性化しても個人はうまく生きて行ける、などいう狂った結論は決して出てこない。

 と(狂気的に)考えるのか、

 ②先ず、生得的な「セックス」が性別の基礎に存在し、その上に「ジェンダー」が形成されつつ、両者が相互作用しながら性別が形成される(→この場合、人間が生得的な性差を持っている以上、ジェンダーから解放されなければならないとか、男性らしさや女性らしさを教えてはならない、という屁理屈は成立し得ない)

 と(正しく、常識的に)考えるのか、についての説明がされなければ、「社会的・文化的に形成された」などという文言には、ほとんど何の意味もないのである。自明であろう。

 しかし、政府(男女共同参画局)は、共参法の成立以来、このことについて日本国民に一度も真摯に説明することもなく、①の(狂気的で誤謬に満ちた)前提の下で、様々な悪政策を撒き散らして、現在に至っているのである。

 すなわち、(日本フェミニズムの)共参法とそのジェンダー概念の狂気は、決して過去に解決済みの問題ではなく、現在の問題なのであって、一度、けじめ(区切り)をしっかりと付けなければならないのである。

 どうか良識ある日本国民は、現状をこのように正しく認識・理解した上で、共参法の廃止(または抜本的改正)、男女共同参画会議、男女共同参画局の廃止(あるいは抜本的な権限縮小)に向けての運動を拡大して頂くよう、ご協力をお願いしたい次第である。


平成3095補足追加】社会的・文化的性差の解体の危険性の意味について。

 あらゆる社会的・文化的諸制度(とその中に組み込まれた男女の役割)は、過去の人間が意識的に設計したものだから、それを望み通りにつくりかえる(=制度を中立化する)完全な能力が現在の人間にもあるはずだという信念は、「制度」というものの本質を理解し損ねた謬論である。社会的・文化的諸制度は、人間の意識的設計の産物ではなく、自生的に成長した形成物であり、それによってのみ自由社会の秩序は維持され得るのである。

 すなわち、日本フェミニズムによる、自生的に成長した社会的・文化的諸制度とその形成過程で漸進的に組み込まれてきた男女の役割分担や男性らしさ・女性らしさを安易に解体・破棄する行為は、日本文明の解体行為であり、また文明人としての日本国民の国民性(民族性)のみならず、人間性の抹殺行為であって、人道に対する犯罪と言っても過言ではない。

 ハイエク曰く、

 「人間の文明をすべて意識的理性の産物ないし人間の設計の産物と見るならば、あるいは、自分の行為が知らぬ間に築き上げたものを意図的に再創造したり維持したりすることが必ずや可能であると想定するならば、われわれは分不相応に自惚れている文明は個々の知識が累積した結果であるが、社会の中の人間が、自分も他の誰も完全には所有していない一連の知識から常々利益を得ることができるのは、これらすべての知識がいずれかの個的頭脳の中に明示的・意識的に組み合わされることによるのではなく、われわれが理解せずに用いているシンボル、つまり習慣や制度、道具や概念のうちにその知識が体現されることによるのである。人間が成し遂げた最も偉大なことの多くは、意識的に指導された思考の結果ではなく、ましてや多くの個人の意図的に調整された努力の産物でもない。そうではなくて、それは個人が決して完全には理解し得ない役割を果たしている過程の産物なのである。それがどんな個人よりも偉大なのは、まさしく、それが単一の精神の管理しうるのよりも広範な知識の組み合わせに由来するからなのである。」(『ハイエク全集Ⅱ-3「科学による反革命」』、90頁)以上。


 以 上、反日本フェミニズム論の序章として記す。


【平成30年9月9日補足追加】フェミニストは、自然の摂理---それは敬虔な信仰心を持つ人間にとっては、神の摂理である---に謙虚になるべきである。

 次に掲げるのは、ジェンダーの概念が登場した1995年の第四回世界女性会議(北京会議)に向けてマザー・テレサが送った書簡である。しかし北京会議でこの書簡が取り上げられることはなかった。

 なお、私はキリスト教徒ではないし、キリスト教の宣教師でもないから、本ブログの読者に対して、キリスト教の見解を押し付ける意図は全くない。

 しかしながら、一つだけ確実に言えることがある。それは、古今東西の世界の真正保守(自由)主義の哲人達は、一人の例外もなく、

 「この世界には人智を超越した、人智では動かし難い秩序(摂理)---それを自然の秩序(摂理)と呼ぶか、神や神々の秩序(摂理)と呼ぶか、自生的秩序と呼ぶかは別として---が、実在している

 ことを洞察したがゆえに、人間はそうした秩序(摂理)の存在に対して、畏敬し、謙虚であり、保守すべきである、と説いてきたのである。

 そうした意味において、キリスト教徒ではない日本国民も、このマザー・テレサの書簡に謙虚に耳を傾けて欲しいと願うものである。


 1995年第4回世界女性会議(北京会議)へのマザー・テレサの書簡

 親愛なる皆様へ

 第4回世界女性会議で北京にお集まりの全ての方々に神の祝福のあらんことをお祈り申し上げます。私は、この会議によって、あらゆる人々が、神の計画において女性だけに与えられた役割を知り、それを大切なものと受けとめ、さらに尊厳を与えること、それによって、ひいては女性達が一生のうちにこの神の計画を実現できることを希望します。


 私には、なぜ男性と女性は全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々がいるのか理解できません。神より授けられたものは全て善きものでありながら、全てが同じものであるとは限りません。私はよく、私のように貧しき人々のために尽くしたいとおっしゃる方に対して、「私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。しかし、ともに力を合わせれば、神にとって何か素晴らしいことができるのです。」と申し上げます。男性と女性の違いとは、これと同じようなものなのです。


 神は、私達ひとりひとりをお造りになりました。そして、更にありがたいことに、全ての人々を、愛し、愛される存在にして下さっているのです。では、神はなぜあるものを男性に、またあるものを女性にお造りなったのでしょうか。それは、神の愛のひとつの形が女性の愛で表わされ、別の形が男性の愛で表わされるからです。どちらも愛するために造られていながら、それぞれの愛し方が違うように、男性と女性は互いを補い合って完成されるものであり、神の愛を体現するには、どちらか一方よりも両方そろった方が、より神の愛に近づくことができるのです。


 女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れます。母性は神から女性への贈り物。私達は、男女を問わず世界中にこれほどの喜びをもたらしている素晴らしいこの神の贈り物に、どれだけ感謝しなければならないことでしょうか。しかし、私達が、愛することや他者のために尽くすことよりも仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊することにもなりかねません。仕事も、夢も、財産も、自由も、愛に代えることはできません。母性を破壊するものは全て、神から女性への最も大切な贈り物―女性として誰かを愛する力―を破壊するものなのです。


 神は私達に「汝を愛するがごとく隣人を愛せよ」とおっしゃいました。だから、私はまず正しく自分を愛し、それからそれと同じように隣人を愛します。しかし、神が自分をお造りになったことを受け入れないとすれば、どうして自分を愛することなどできるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしませんし、それゆえに隣人を愛することもできません。彼らがもたらすものは、対立と不幸と世界平和の破壊でしかありません。例えば、私がこれまで再三申し上げてきたように、妊娠中絶は現在の世界平和にとって最大の破壊者であり、男女の違いをなくそうとしているのは皆、妊娠中絶に賛成する人々なのです。


 死と悲しみの代わりに、世界に平和と喜びをもたらしましょう。そのためには、神に平和という贈り物を願い、互いに神の子の兄弟として愛し合い、受容し合わなければなりません。子供達が愛することと祈ることを学ぶのに最もふさわしい場は家庭です。家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子供は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。私は、とりわけ裕福な国々で、愛情不足と疎外感から逃れるために薬物に向かう子供達を幾度となく目にして参りました。


 しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子供達は父母の愛の中にかけがえのない神の愛を見ることができ、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。子供は神から家族への最高の贈り物ですが、子供にとっては父と母の両方が必要です。なぜなら、父親は父親らしいやり方、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せるからなのです。ともに祈る家族が離れていくことはありません。そして、家族がひとつであり続ければ、神がそのひとりひとりを愛してこられたように、互いを愛し合っていけるでしょう。愛のあるところには常に安らぎが生まれます。


 心に愛の喜びを抱き続けましょう、そして、出会った全ての人々とその喜びを分かち合いましょう。北京会議の全ての出席者と、この会議によって救われようとしている全ての女性が、ともに愛と安らぎの中で暮し、それぞれの家族とこの世界を神にとって美しいものにするために、おひとりおひとりがマリアのように慎ましく、清らかであることをお祈り申し上げます。


 ともに祈りましょう。

 全てを神の栄光と御心に捧げて。

 神の祝福あらんことを。


 マザー・テレサ MC

 ※ 書簡中の青色の文字着色は、私。


 【補足】神や神々などに関する「一つの見解」程度のくだけた話として読み流してください。

 科学主義が浸透した現代の人々に対して「あなたは神や神々の存在を信じますか?」と尋ねるならば、大多数の人々が確信を持って「存在するはずがない。存在することなど証明できないのだから存在しないと思う」などと即答するだろう。

 ところが、その同じ人々に対して別の質問、「あなたは死後の世界(霊的な世界)が存在すると思いますか、それとも人間が死ねば無に帰するのだから、死後の世界は存在しないと思いますか?」と尋ねた場合には、彼らの確信は一気にトーンダウンして「多分ないと思う、そんなことは死んでみないとわからない」という風な回答に変化する。

 なぜだろうか?

 おそらく、多くの人々は、自分が自分の死(やその予感)から遠く離れている時には、神や神々が存在するか否かという問題についてどんな考えを持っていても(無関心であっても)、現実の生活に何ら不都合を感じないのである。しかし、死後の世界の存在の有無について考える時はいつでも、「どんな人間でもいつかは必ず死を迎えるのだ、自分もその例外ではあり得ない」という不可避の現実が意識の中に呼び覚まされる。だから強い確信を持って「死後の世界は存在しない」とは言い切れない(言いたくない)心境に陥るのであろう。

 神や神々に対する信仰の問題は、自分とは無関係の他人事の問題ではあり得ず、自分の臨終の際には、死後の世界の有無に関する問題と不可避的に統合されて、どんな人の心の中にも立ち現れて来る問題なのである。ゆえに、「何人も決して軽視すべからず」ということなのである。

 以 上。

 

  ≪平成30829日(水)【閑話休題】男女関係の心温まるアニメネタ

 ここで私のお薦めアニメを再掲(一部追加)しておきます。

 ジャンルは「恋愛・ドラマ・学園系アニメ」(2018春アニメまで)です。

 アニメ選択の基準は、「男性は男性らしく、女性は女性らしくありながら、男女が互いに尊重し合うことができる時こそ、一人一人の個人にとって、友情、恋愛、仲間、結婚、家族などの人間関係が生まれ、人生のドラマが展開していくのだ」という私の観点から、観るのに良い、観れば心が温まると思われるアニメを厳選しています。(なお、下記作品はすべて良く出来ていて、心温まる作品ばかりです。ですから、順位付けはできません。)

 興味と時間のある方は、DVDレンタルやアニメ動画配信サイト等でご視聴ください。

 ※ ただし、あくまでも私個人の価値観により選んでおりますので、皆様のアニメ(またはアニオタ)感覚とは非常に異なるかもしれません。その点、あらかじめご了承ください。


 〇 花咲くいろは(P.A.WORKS

 〇 多田君は恋をしない(動画工房)

 〇 四月は君の嘘(A-1Pictures

 〇 君に届けシーズン1,2(Production I.G

 〇 サクラクエスト(P.A.WORKS

 〇 赤髪の白雪姫シーズン1,2(ボンズ)

 〇 ちはやふるシーズン1,2(マッドハウス)

 〇 響け!ユーフォニアムシーズン1、2(京都アニメーション)

 〇 僕らはみんな河合荘(ブレインズ・ベース)

 〇 言の葉の庭(コミック・ウェーブ・フィルム)

 〇 TARI TARIP.A.WORKS

 〇 ゆるキャン▲(C-Station

 〇 凪のあすから(P.A.WORKS

 〇 映画 聲の形(京都アニメーション)

 〇 映画 君の名は(コミック・ウェーブ・フィルム)

 〇 映画 心が叫びたがってるんだ(A-1Pictures


 ※ これらのアニメ制作会社のアニメ自体は、本ブログの記事内容とは一切関係がありません。私が個人的に良いと感じたものを自由選択しただけですので、これらの会社に迷惑のかかるヘイトな政治行為等は厳に慎んで頂きますよう、お願いいたします。


 閑話休題、以 上。

中川八洋 新刊情報等


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保守主義の哲学---良心の務めとしての反フェミニズム論2018 [政治]

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 読者の皆様へ

 私、少し体調を崩して療養しておりましたが、気付けば平成30年(2018年)も、はや7月に入ってしまいました。

 そのような事情もあり、大変遅くなりましたが、ここに本年最初の論文「良心の務めとしての反フェミニズム論」を掲載いたします。

 少々ページ数(文字数)が多くなりましたが、論考の内容は極めて重厚かつ有益であると自負しておりますので、興味ある方は、ぜひ最後までお読みください。




 ☆☆☆☆☆


【私のバーク保守主義解説ホームページ】




 《反フェミニズム関連》




 【平成30729日追記】

 

 〇 自然の摂理としての不動の真実について


  子供を産み育てることは、人類にとって最重要の人間的価値の一つであるということ。このこと自体は、マスメディア、新聞、フェミニズム団体やLGBT団体等の人々が、いかなる批判を加えようとも、どんなに否定しようとも、≪不変の自然の摂理≫の下にあり、また、人類にとって古来からの不動の真実≫であったし、未来永劫そうであり続けるということ。」

  すべての日本国民は、このことだけは決して間違わずに、常に肝に銘じておくべきであろう。

 以 上。


【閑話休題】(平成30722日付追記)

 今回の論文「良心の務めとしての反フェミニズム論」の中に盛り込めなかった内容について、若干の補足をしておきたい。それは、神(日本では天照大御神と八百万の神々である)と宗教および良心、敬虔、畏怖などの宗教的・道徳的信念の大部分は、本能---行動ルールの伝統---理性の三つの人間的価値の中では、「行動ルールの伝統」に属するものだということである。

 すなわち、神(神々)・宗教・宗教的信念などは、その本質上、「理性」では捉えられないものへの対処の試み---行動ルールの伝統の範疇の問題---であるから、合理的でないから信じるに値しないとか、理性によって明証できないから存在しないという理由で、それらの必要性と有益性を否定することはできないのである。

 世界の偉大な保守主義あるいは真正の自由主義の哲学者・思想家・政治家は、皆このことを直観的に理解していたがゆえに、保守主義者であり真正の自由主義者であったのである。

 ここで私が言う、真正の自由主義者とは、フランス啓蒙主義や英国ベンサム派功利主義などから派生した偽りの自由主義ではない、法と道徳の支配を肯定し重視する制限された自由主義を指している。


 ベルジャーエフは、「神」について次のように述べている。

 「もしも世界や人間がそれだけで完全であり、それらを超越する、より高く、より深く、より神秘的な何ものかが存在しないならば、我われは苦しみや悪に耐えることができないであろう。我われが神のみもとに行くのは、我われの理性が神の存在を証明するからではなく、この世が理性の限界を越えたところに存在する神秘に包まれているからなのである。」(『ベルジャーエフ著作集3』、白水社、6465頁、ゴシック文字:私)


 ハイエクは宗教と宗教的信念の重要な役割について次のように述べている。

 「有益な諸伝統が、少なくともそれに従うグループが増大して、自然ないし文化的な選択によって拡大する機会を得るのを可能にするだけ長く、保存され伝達されて来たのは、一部に神話的・宗教的信念のおかげであり、私の信ずるところでは、とりわけ一神教的信念のおかげである。これが意味するのは、好むと好まざるとにかかわらず、我われは一定の慣行の存続を、そしてそこから生ずる文明を、科学的言明と同じ意味では真ではない---あるいは検証可能でもテスト可能でもない---、また明らかに合理的な論証の結果でもない信念の支えに部分的に負っているということである。時として私は、少なくともこのような(一神教的)信念の一部を、少なくとも真価の理解の印として<シンボリックな真理>と呼ぶのがよいのではないかと思う。・・・道徳は我われの理解し得ぬ過程によって決定されたという宗教的な見解は、合理主義者に見られる、人間はその知能を働かせることで、およそ予見しうる以上のことを成就する能力を与えてくれる道徳を発明した、という妄念よりも、(宗教の)意図通りの意味においてではないとしても、ずっと真理に近いのである。以上を念頭におくならば、我われは、自分たちの教えの一部の妥当性についてやや懐疑的になりながらも、なお信仰を失えば道徳の衰退を招くであろうと危惧したがゆえに、それを人々に説き続けた聖職者たちをよく理解し、評価することができるのである。おそらく彼らは正しかった。そして不可知論者でさえ、我われがその道徳を、そして文明のみならず、まさにその生命をも与えた伝統を、その種の科学的には受け入れがたい事実についての主張(=シンボリックな真理を受容することに負っていると認めざるを得ないのである。」(『ハイエク全集Ⅱ-1「致命的な思い上がり」』、春秋社、206207頁、ゴシック文字、(  )内:私)


 バークは、人間の道徳とは神が人間に授けた法であるがゆえに、人間は道徳によって拘束され得る(道徳的義務を受容する良心を持ち得る)のだ、と洞察した。

 「もし、道徳法を形成し強制する全知全能の創造主が存在しないとすれば、時の権力の意思に反する実質的または実定的などんな契約にも、拘束力は存在し得ないだろうと私は思う。この(創造主が存在しないという)仮定によれば、どんな人間集団であっても、彼らが義務を無視するほどに強力になると、義務はもはや義務であることをやめるだろう。我われは抵抗できない権力に対しては、次の唯一の訴えを持つにすぎない。


仮に汝が人類と人間の武器を軽んずるにせよ、

それにしても神々が正邪を記憶し給うことを希望せよ。

---『アエネイス』第一巻---

 私がパリ流哲学の門弟に対して論じているのではないことを当然の前提とすれば、我われ人間の畏怖すべき創造主は存在秩序における人間のあるべき場所の創造主であり、神の摂理によって、我われ人間を、人間の意思ではなく神の意思に基づいて、配置し導き給うがゆえに、この配置によって実質上我われに与えられた場所に帰属する役割を果たすように、我われに命じ給うたのである。我われが人類一般に対して負う義務は、特定の任意協約の結果ではない。それは人間と人間、人間と神との関係に由来するが、この関係は決して選択できる問題ではない。それどころか、我われが人類の中の特定の個人や一定数の人々との間で取り結ぶあらゆる協約の効力は、この上位の義務に依存するのである。」(『バーク政治経済論集「新ウィッグから旧ウィッグへの上訴」』、法政大学出版局、655頁、ゴシック文字、( )内、英語原文からの邦訳修正:私)


以上、by Kentarou Ichimura.


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