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保守主義の哲学H27‐‐‐小論文 『自由主義の反撃』 [政治]

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 読者の皆様へ

 H27年最初の小論文『自由主義の反撃』がようやく完成しました!

 内容、図表ともに丁寧に仕上げましたので、思った以上に多大な時間がかかってしまいました。

 申し訳ありませんでした。

 取り急ぎ、ブログ公開たします。

 かなりの文章ボリュームなので、できればプリントアウトしてお読み下さい。

 【小論文H27自由主義反撃 

      

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問1(平成27512日)】

      

 エドマンド・バーク曰く、

      

 「貴方がたフランス(→大阪府市)の文筆家達や政治家達(→府知事や市長)・・・は、他者の智恵に全く敬意を払いません。他方自分自身のそれには、満腔の自信を以て捧げます。

 

 彼らにとっては、物事の仕組みが古いということはそれを破壊する充分な動機となるのです。

 

 新規なものとなると彼らは、慌てて建てた建物の耐久性がどの位あるのか、懸念らしきものは何も持っていません。というのも、自分の時代以前には何もなされなかったか、なされたとしてもごく僅かだと考え、希望はすべて(自分達の新規な)発見にありと考える連中にとって、耐久性は目的ではないからです。

 

 彼らは真に論旨一貫して、およそ永続性をもたらすものはすべて有害なりと考え、従がってまたあらゆる既存制度に執念深い戦いを挑みます。

 

 彼らの考えでは、政府(→地方自治体・公共団体の制度や境界等)は衣服の流行のように取りかえられるものであって、それで殆ど害も無いのです。またどんな国家の憲法(→憲法の代議制の定め)にとっても、目先の便宜(→珍奇な大阪都構想の実現)以外には愛着の原理など不要なのです。

 

 彼ら(→大阪市長)と為政者(→大阪市議会)との間には一種独特の契約があって、それは為政者(→大阪市議会)を拘束はしても相務性は全く持たず、民衆の権威(→実質上、大阪市議会という代議制の決定を無視して行われる住民投票)は、自ら(→大阪市長)の意志以外の如何なる理由も必要とせずこの契約(→前回の大阪市議会選挙の結果市議会の決定)を解除する権利を保有する、彼ら(→大阪府知事大阪市長)はこういった意見を以ているかの如き口ぶりを何時もしています。

 

 己の国自体(→大阪府大阪市府内の他の市町村)に対する愛着ですら、国(→大阪府・市の制度)が自分達(→大阪維新の会)の移り気な計画のどれかに合致する限りのものでしかありません。

 

 つまりそれは、瞬間、瞬間の彼らの考えの中にたまたま浮かんで来る国家計画(→珍奇な大阪都構想)と共に始まりまた終わる(=前回の大阪市議会議員選挙の結果と大阪市長選の結果及び大阪市民を代表する大阪市議会の議論や決定)など完全に無視するのです。」

 (バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、111112頁、丸カッコ内:私の置きかえ

  

 

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問2(平成2751223:30)】

  

 エドマンド・バーク曰く、

 

 「貴方がたの政治家たちが大胆で勇敢な才能の印と考えているものは、実は嘆かわしい能力欠如の証明にしかすぎません。

 

 ・・・彼らは普通の事柄は何でも利用できないものと諦めているのです。

 

 彼らの治療法体系の中では食餌療法は無視されています。

 

 しかし中でも最も悪いことは、彼らが普通の方法で普通の病気を治すのをかくも見限っているのは、単に理解力の欠陥に起因しているのではなくて、何か底意地の悪い性質によるのではないかと疑われることです。

 

 貴方がたの立法者は、あらゆる知的職業、高い身分、公的地位などについての自分の意見を、風刺屋どもの喚き声や戯声を借りて形成して来たようです。

 

 しかしこの風刺屋ども自身、自分の言葉に一字一句責任を持たされるとなれば驚愕するに違いありません。

 

 こうした声だけに耳を傾けることによって、貴方がたの指導者達は、すべての事柄をただ悪徳や誤謬という側面からだけ見てしまいます。

 

 しかし、逆説とも聞こえましょうが、一般的には、誤謬を見つけて見せびらかすのを慣わしとする人間というものは改革の仕事には堪えません。これは疑いもなく真実です。

 

 というのも彼らの精神は、公正で善なる事柄を認識するための鋳型を具えていないばかりか、習性によって、そうした公正で善なる事柄を眺めることに何ら歓びを感じないようになっているからです。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、215頁)

 

  

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問3(平成275132245)】

 

 エドマンド・バーク曰く

 

 「私は、我々の幸福な状態は、我が憲法(our constitution)に---それもそのどこか一部分にではなく全体に---負っていると思っています。

 

 言い換えれば、数回の再吟味や改革を通じて付加変更されて来た部分だけではなく、そこで我々が手付かずにして置いた部分にもまた大きく負っているということなのです。

 

 我が国の人々は、真に愛国的で自由独立な精神にとっては、自分たちが所有しているものを(破壊してしまうのではなく、)破壊から守るべく、為すべきことが幾らでもある、と思うに違いありません。

 

 私は変更をもまた排する者ではありません

 

 しかしたとえ変更を加えるとしても、それは保守するためでなければなりません。

 

 大きな苦痛があれば、何らかの対策を講じなければなりませんが、いざ実行の段には祖先の実例に倣わねばなりません。

 

 私は、修繕をする場合にはできる限り建築物の修繕のような方法を取るつもりです。

 

 賢明な注意綿密周到さ、気質的というよりはむしろ善悪判断を弁えた小心さ、これらが、最も断固たる行為をする際に我々の祖先が則った指導原理(慎慮)の中にはありました。

 

 彼らはあの光---つまり、フランス人の(革命)紳士諸君が自分達はそれに大いに与っていると我々に吹聴するあの光り(=啓蒙思想・設計主義)---照らされていなかったために人間とは無知で誤り易いものであるという強い印象の下に行動したものでした。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、313頁)

 

 

 ☆☆☆【大阪都構想に関する私の疑問・THE END(平成2751708:05)これは、下記のコメント欄よりブログ本文へUPしたものです。

 

 なぜ、橋下徹大阪市長は、維新の会の主張する大阪都構想を市議会の議決で決定する手続きを取らないのだろうか?

 

 代議制という制度(=市議会)は民意を反映しておらず、住民投票のみが民意である!という意味であろうか?

 

 日本国憲法は、その第八章で、地方自治に関し、間接デモクラシー(=代議制)の原則を定めており、地方自治法において、その地方議員の選挙権・被選挙権は「日本国民」にあると定めているのであるが・・・なぜ?

 

 すなわち、憲法の定める「地方自治」とは「住民自治」の意味ではないのであるが・・・なぜ?

 

 中川八洋 筑波大学名誉教授 曰く、

 

 「直接参加型デモクラシーは、それを是としたワイマール憲法体制こそがヒットラーの全体主義の母体になったように、また<人民民主主義>のソ連体制を正当化する根拠となったように、自由社会を全体主義に<転化>していく機能をもっている。

 

 地方分権推進法第71項の<住民参加の充実>は、日本国憲法にも背反するし、自由社会の日本を守るために断固として否定されるべきものである。」(中川八洋『国が滅びる---教育・家族・国家の自壊』、徳間書店、192193頁)

 

 また、市民が直接審議(あるいは直接投票)の多数決原理に参加する場合の弊害の一つについて、

 

 エドマンド・バークは次のように述べている、

 

 「人間の心は、各人が(直接)審議に参加した会議での勝ち誇る多数派の投票結果より、遥かに容易に、国家から全体的な委任を得た一人もしくは少数の者(=代表者)が決定する議事(=議会の決定)に黙従する傾向がある。

 

 (直接)投票に敗れた側はその途中の口論で興奮して不機嫌になった挙句の果てに最終的な敗退への怨念を(勝った側に対して)抱くのが関の山である・・・」(『バーク政治経済論集』、法政大学出版局、659660頁、丸カッコ内:私の補足)

 

 バークが言うように、大阪都構想に関する住民投票は、その賛否の結果如何に関わらず、後々まで大阪市民を賛成派・反対派に分断する投票をさせたことによる、感情的なしこりを必ず残すだろう。

 

 このような直接投票による、大阪市民の感情的分断(亀裂)という懸念(心配)を推量できない(しない)こと自体、既に、橋下徹大阪市長の無能さの証明ではないか、と私には思えるが。

 

 また、大阪府と大阪市の2重行政の弊害の解消する手段として、大阪市を特別区に解体してしまうという珍奇な「都構想」以外に、決してありえない!と言うならば(→大阪市長と大阪府知事は両者が同じ維新の会の所属でありながら、である!)、これも両名の真正の無能の証明以外の何であろうか、と私には思えるが。

 

 それは兎も角、大阪市民は、都構想に関して、何度も何度も市長選や市議選をさせられ、その上なおまた「住民投票」までもさせられるとは、橋下大阪市長の舞台(掌)の上で踊らされるピエロのようである。

 

 隣の県から眺めていても、気の毒に思えてならない。

 

 ちなみに、マスコミや反対意見の住民等から、橋下市政について文句や罵声を浴びた場合にテレビや新聞で見聞きした、橋下徹大阪市長の口癖(の主旨)は、

 「そう思うなら、選挙で落としてくれればいい!」

 

 という、吐き捨てるような言葉であったと、私は記憶している。

 

 さて、大阪市民は、本日どのような決断をされるのだろうか?

 

 他所様の都道府県の事ではあるが、私は、興味津々で、投票結果を見守っている次第である。


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