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保守主義の哲学---国民を権利の侵害から保護するのは法と美徳(道徳)のみである! [政治]

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 18世紀英国のエドマンド・バーク(Edmund
Burke
)が“人間の真の諸権利(=文明社会の文明人の権利)”について述べた主著『フランス革命の省察』の次の一節は世界標準ではあまりにも有名なものである。

 なぜか、世界中で日本国のみ、バーク哲学は一切教育されず、無視され続けている!

 バーク曰く、

 「〔私が人々に諸権利を与えたり、与えなかったりする力が仮にあったとしても〕私は人間の真の諸権利を理論上否認するつもりは毛頭ありませんし、同様に、実際的にもそれらを人間に与えなくてもよいなどという心情は全く持っておりません。

 彼ら(=フランス革命を支持する革命教会の輩)の誤った諸権利(=人権)の主張を否定する場合でも、彼らの主張する偽りの諸権利によって完全に破壊されてしまうであろう真正の諸権利を侵害する意図など私にはありません。

 文明社会というものが人間の利益に合致するように形成されているならば、そのために形成された利益すべてが人間の権利となります。

 つまり、文明社会とは善の制度なのであり、法とは文明社会を支配して作用している最良の善の制度そのものなのです。

 (それゆえ、文明社会の)人間は法の支配の下において(のみ)生きる権利を持っています。」

 (出典:バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、7476頁に対応。出典;Edmund Burke, “Reflections on the revolution in
France”, Dover publications, Inc, pp.55-57.
私〔=ブログ作成者〕が訳出。アンダーライン、丸カッコ:私〔=ブログ作成者〕の補足。〔  〕内:バーク。)

 詳細については私〔=ブログ作成者〕の次の頁を参照してください。

 →http://www.geocities.jp/burke_revival/rrifh240304.pdf

 http://www.geocities.jp/burke_revival/rorifrance.htm

 以上を簡潔に要約すると、文明社会の文明人(文明国の国民)の諸権利とは、自由文明が形成した“法の支配の原理(自由の自生的秩序)”を統治者(政府)と被統治者(国民)が共に遵守することによって保護さ得る諸権利のことであり、自然法に基づく自然権としての裸の「人間の権利(人権)」とは異質のものであるということである。

 また、このことに関しては、ノーベル経済学賞受賞者であり、二十世紀最大の自由主義政治哲学者であるFA・ハイエクもバークと同様に次のように述べている。

 ハイエク曰く、

 「(法という)個人の正しい行動ルールの一つ一つが、個々人の対応する一つの権利を生み出すというのが『権利〔right〕』という名詞の意味である。

 行動ルール(=法)が個々人の領域を定めているかぎり、(定められた)自分の領域に対する権利をもつのであり、それ(=その意味での権利)を守る際には仲間の共感や支持が得られるだろう。」

 (出典:『ハイエク全集「法と立法と自由〔Ⅱ〕」』、春秋社、140頁、アンダーライン:私〔=ブログ作成者〕の補足。)

 さらにハイエクは言う。

 「『各個人の生存と活動のために、安全で自由な領域を与える不可分な境界線を設定する規則が、法である(FC・サヴィニー)。』

 このように、前世紀の偉大な法学者のひとりは自由の法についての基本的な考え方を述べた。法を自由の基礎とするこの法概念はそれ以後ほとんど失われてきている。この章の主な目的は…この法概念を再発見し、より正確にしようとすることである。」

 (出典:『ハイエク全集Ⅰ‐6「自由の条件〔Ⅱ〕」』、春秋社、23頁、アンダーライン:私〔=ブログ作成者〕の補足。)

 以上のハイエクの理論を要約すれば、各個人の自由領域の境界線を与えるのが法であるから、政府と国民が共に法の支配を遵守することによってのみ、政府権力が制限され、国民の自由と諸権利が保護されるということである。

 これは上掲のバーク理論と全く同義であることがわかるであろう。

 しかしながら、文明社会の文明人の自由と諸権利を保護するものは法とその遵守だけでは十分ではない。

 古来普遍の社会(国家)の道徳的規則や伝統・慣習等も、法ほどには拘束力(強制力)が強くないが、各個人がそれらを遵守する義務を果たす社会であるほどに、社会生活が円滑で容易になることは誰しも理解できることであろうし、それが我々の社会の現実である。

 ハイエク曰く、

 「私的領域内における行為が国家による強制行為の適切な対象でないという事実は、自由社会においてそのような行為が世論あるいは非難の圧力からも免除されることを必ずしも意味しない

 ・・・道徳的規則(=moral rules)や慣習(=conventions)は法(=the law)よりも拘束力が弱いけれども、法(the law)よりも重要で不可欠な役割を演ずるべきものであり、そしておそらく法の厳格な支配(=the strict rules of law)と同様に社会生活を容易にすることはほとんど疑いえない。

 これらの道徳的規則は一般的に守られているだけで、普遍的には守られていない(=他者から強制されるものでなく、個人の自発的義務であるから)ことを我々は知っている。

 しかしそういうことを知っていること自体が有益な手引きとなり、(行為の結果の)不確実性を減らすのである(=provides useful guidance
and reduces uncertainty.
)。

 ・・・時にはこれらの非強制的な規則は一つの実験的段階をあらわし、のちに修正された形で法に発展するかもしれない。

 より一般的にはそれらは多少とも無意識的な慣習の適応性の遠因(=a flexible background)を与えるのであって、大多数の人びとの行為の道標として役立つのである」

 (出典:『ハイエク全集Ⅰ-6「自由の条件〔Ⅱ〕」』、春秋社、2122頁、丸カッコ内および傍点:私〔=ブログ作成者〕の補足。なお、丸カッコ内の用語は、F. A. Hayek,
Constitution of Liberty: Part
Freedom and the lawから引用したものである。)

 以上のことから、この小論で私〔=ブログ作成者〕が述べたい主旨をまとめれば、以下の通りである。

 すなわち、所謂「人権侵害」(正確には“国民の権利の侵害”と言うべき)を極小化するためには、現在の「人権教育」をいくらしても本質的な解決にならないだろうということである。

 なぜなら、国民の権利の侵害を極小化するためには、国民の自由と諸権利の本質的源泉である“法と道徳の遵守義務”を教育することが最も肝要だからである。

 第一の方法は、自由主義の法哲学(英米法の哲学)を日本国の大学(院)法学科・政治学科・社会学科等及び中学校・高等学校等での公民・社会科(政治・倫理・経済)教育に取り入れることである(=法と法の支配を学ばせること)。

 第二の方法は、小学校から正直・良心・誠実・謙遜・謙虚・寛大・度量・礼儀・自立・習慣・勤勉・忍耐・克己・忠実・勇気・尊敬・孝行・博愛・協力などの美徳(道徳)教育を行うこと(=美徳・道徳を教え、知らせること。決して国家主義的な強制はしてはならい。)が必要である。

 さらに分かりやすく例えるならば、人権とは自己の権利を主張する「槍」である。

 また現在、広く行われている「他者の人権を侵害してはいけない!」という「人権教育」とは「自分は槍を振り回す自由(権利)を最大限認めながら、かつ他者には槍で突いてはならない!」と教えるものである。

 だが、それならば、どうすれば他者を槍で突かずに行動できるか?とか、どのような場合のどのような行為が他者を槍で突くことになるか?その一般性・普遍性は何か?とかと問えば、人権教育では「相手の気持ち(身)になって考えよ!」とか「相手を思いやる気持ちを持ちなさい!」などとかしか教えだけである。

 これだけでは、到底、国民の権利の侵害の極小化などできるはずがあるまい。

 なぜなら、ここでの本質的問いである「どうしたら他者の人権を侵害せずにすむか?」、「どういう場合にどう対応すれば(一般的・普遍的に)人権侵害避けられるか?」、「どうしたら相手の気持ちになって考えられるか」等々を各個人に明確に教えるものは“自由と諸権利”を保護する“法と道徳”でしかないからである。自明ではないか。

 さて、本小論の最後に、最近の「都議会・国会でのヤジ問題」について、ハイエクとバークの著作から一節を掲げておきたい。

 良識ある日本国民は、マスメディア・政治家等に対して私〔=ブログ作成者〕がこれらの一節を敢えて取り上げて、具体的に意味せんとしていることを洞察して頂ければ幸いである。

 ハイエク曰く、

 「強制と同様に、詐欺と欺瞞はある人があてにしている基礎条件をごまかすことによって、詐欺師が人(他者)におこなってもらいたいことをさせることである。

 詐欺師が成功する場合には、だまされた者は(強制された場合と)同じように(だました者の)本意ならざる道具となり、自分の目的を達成することなしに他人の目的に奉仕することになる。

 我々は(強制と詐欺・欺瞞の)両方を包含するような単一の言葉は持っていないが、強制について述べたすべてのことはそれらにも同様にあてはまる」

 (出典:『ハイエク全集Ⅰ-6「自由の条件〔Ⅱ〕」』、春秋社、18頁、丸カッコ内およびアンダーライン:私〔=ブログ作成者〕の補足)。

 バーク曰く、

 「現実のものであれ、推定に基づくものであれ、美徳と叡智以外には(国家を)統治するための資格はありません

 実際に美徳と叡智を持つ人なら誰でも身分、境遇、職業、商売の如何を問わず、地位と名誉に至る旅券を神から授かるのです。

 ・・・あらゆる事柄は開かれているべきですが、(美徳と叡智に)無関心に誰にでも開かれているというわけではありません。」

 (出典:バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、6465頁に対応。出典;Edmund
Burke, “Reflections on the revolution in France”, pp.48.
私〔=ブログ作成者〕が訳出。丸カッコ、アンダーライン:私〔=ブログ作成者〕の補足。)

 平成26710日執筆。神戸市にて。

 本文、以上。

 ◇◇◇◇◇

 真正保守(自由主義)の参考サイトの紹介

 中川八洋公式掲示板

 【参 考】

 〔=ブログ作成者〕の最近の記事一覧(も面白いから読んでね!)

 【バーク/ハイエクらの政治哲学の基礎を学ぶHP

 →Edmund Burke(エドマンド・バーク)の系譜

 →美徳ある自由を生きましょう!

 →真正の保守主義とは何か?

 →『美徳冊子「さあ、自助の精神を取り戻そう」』

 →フェミニズムの禍毒(フェミニズムに毒された女性の末路)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第1回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第二回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第三回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第四回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第五回:最終回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第六回:補足回)

 →ロシアとの平和条約締結は日本国の亡国への道である

 →ルソー主義の呪縛を滅すための試書 


保守主義の哲学---侵略行為と自衛行為を区別しない抽象語「戦争」ってなんだろうか? [政治]

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 【新聞記事から】

 閣議決定で大江健三郎さんら会見 「平和憲法ひっくり返した」

 (神戸新聞NEXT 2014/7/1 21:46

 →http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201407/0007105206.shtml

  ■■■■■

 集団的自衛権行使容認に反対する憲法学者や作家による「戦争をさせない1000人委員会」のメンバーが1日、国会近くの星陵会館で記者会見し、作家の大江健三郎さんが「(政府の決定は)日本の平和憲法をひっくり返した」と批判した。

 大江さんは「私は憲法が定める平和主義と民主主義を一番大切に思っているが、安倍首相は戦後日本を悪い時代と考え、憲法を大切なものと考えていない」と指摘した。

 作家の落合恵子さんも「集団的自衛権の行使容認で国民の命を守ると言うが、日本が戦争して敵国と見なされれば、国民の命を危機にさらすことになる」と強調した。

 ■■■■■

 「戦争をさせない」、「日本が戦争をして」あるいは「戦争ができる国」等々。

 集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する左翼・極左運動家、職業革命家がこぞって発する、このお決まりの修飾語を欠いた単独フレーズ「戦争」であるが、国際法(学)・国際政治(学)・世界史の教訓等々にあまりにも無知で、度を越えた幼稚思想である。

 例えば、「戦争の放棄に関する条約(Kellogg-Briand Pact 1928」では侵略戦争を「国家の政策の手段としての戦争(war as an instrument of national policy)」と定義して自衛戦争と明確に区別している。

 このことは条文自体だけでなく、1928428日の米国国際法学会におけるケロッグの講演内容からも明らかである。

 また、国連憲章においては、

 冒頭で「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争

war, which twice in our lifetime has brought untold sorrow to mankind)」として修飾語を付して「歴史事実としての2度の世界大戦」の意味で用いられている。

 それ以外の国連憲章の条文では、「戦争」ではなく、一貫して次のような用語を使用し、侵略行為と自衛行為を明確に区別している。

 いくつか例を挙げておく。

 【1条1

 「平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊

 (threats to the peace, and for the suppression of acts of aggression or other breaches of the peace

 【24

 「4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない

All Members shall refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state,
or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations.
)」

 【6章 紛争の平和的解決CHAPTER VI: PACIFIC SETTLEMENT OF DISPUTES)】

 【33

 1.いかなる紛争でも継続が国際の平和及び安全の維持を危うくする虞のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない。

 2.安全保障理事会は、必要と認めるときは、当事者に対して、その紛争を前記の手段によって解決するように要請する。

 (The parties to any dispute, the continuance of which is likely to endanger the maintenance of international peace and security, shall, first of all, seek a solution by negotiation, enquiry, mediation, conciliation, arbitration, judicial settlement, resort to regional agencies or arrangements, or other peaceful means of their own choice.

 2.The Security Council shall, when it deems necessary, call upon the parties to settle their dispute by such means.

 【7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

 CHAPTER VII: ACTION WITH RESPECT TO THREATS TO THE PEACE, BREACHES OF THE PEACE, AND ACTS OF AGGRESSION)】

 【51

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 (Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.

 要するに、侵略行為と(個別的であれ、集団的であれ)自衛権の行使との間に明確な一線を引かず意図的に混同した「戦争(war)」という曖昧言語を振り回す共産主義者・社会主義者らこそ、最も危険な「自由と平和の真なる敵」なのだ、と良識ある日本国民は、正確に理解する必要があるだろう。

 最後に、今から約220年も昔の議論であるが、「自衛(防衛)」に関する、米国建国の父らの憲法議論の一部を『ザ・フェデラリスト』、第41篇から引用しておこう。

 【ザ・フェデラリスト、第41編】

 J・マディソン曰く、

 「外国からの危険に対する保障は、政治社会の根本目的の一つである。

 これはアメリカ連邦の正当に認められた不可欠の目的である。

 この目的を達成するために必要な権限は、連邦議会に有効に与えられなければならない。

 ・・・攻撃してくる側の兵力を制限できないものが、どのような妥当性をもって、防衛に必要な兵力を制限できるだろうか。

 もし、連邦憲法が、すべての外国の野心を抑え、その行動を拘束できるものであるなら、その場合にこそ、憲法は、連邦政府の自由裁量権を用心深く制限し、連邦の安全のための権力行使に制限を課してもよいだろう。

 同様に、我々が敵対するすべての国家の戦争準備と常備軍とを禁止できない限り、どうして平時におけるある程度の戦争準備を禁止しても安全であることができるだろうか。

 安全保障の手段は、(相手国等の)攻撃の手段と攻撃の危険(度)とによってのみ、計ることができるのである。

 安全保障の手段は、これからも長くこのルールによって決定されるだろうし、他の手段によることはないだろう。

 自己保存の衝動に、憲法の障壁で対抗(=反対)しようとしても無駄である。

 そうしようとするのは、無駄というよりも一層悪い。

 なぜなら、(自国の自己保存の衝動に対して憲法を)障壁としようとすることが、憲法そのものに(相手国等による自国の)権力簒奪〔の機会〕を植えつけることになるからであって、そのあらゆる(世界史的)前例は、不必要な多くの権力簒奪を繰り返す種をまくものであることを示している。

 もし、ある国が野心や復讐に備えて訓練された軍隊をつねに維持しておれば、その軍事行動の範囲にある限り、最も平和的な国家もこれに対応した準備をせざるを得ない。」

 ( 出典:A.ハミルトンJ.ジェイ/J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、福村出版199200頁、&‘The Federalist Papers, HamiltonMadisonJay、(  )内私の補足、〔  〕は邦訳版訳者の補足。)


保守主義の哲学---朝日新聞社の唱える「平和主義」とは一体何なのか。 [政治]

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新聞記事から】

 集団的自衛権行使容認、閣議決定へ 公明、受け入れ決定

 (朝日新聞DIGITAL20146302303分)

 ■■■■■

 【本文省略】

 → http://www.asahi.com/articles/ASG6Z5QFMG6ZUTFK00X.html

 ■■■■■

 この記事の中で朝日新聞の極左的本質が現れている面白い箇所がある。

 それは下記の部分である。

 「1日の閣議決定案は、集団的自衛権を使えるように、・・・これまで個別的自衛権の行使を認めてきた3要件を変更。新たな3要件として『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある』場合などの条件を設け、それを満たした場合には、日本が集団的自衛権を使えるようにする。

 公明党は当初、解釈を変えることには慎重で、党内には閣議決定に反対する意見も強かった。しかし、新たな3要件について、『国民の(中略)権利が根底から覆される明白な危険があること』の文言が入るなど・・・最終的に受け入れに転じた。」

 上記引用文下から2行目の、(中略)は朝日新聞の記事そのママで、私が付したものではない。

 この(中略)で略された部分とは、上に書かれているように「生命、自由及び幸福追求の」のたった12文字である。

 言うまでもなく、この12文字は

 (→「自由及び幸福追求」のためには、当然「私的所有権・財産権の保護」も含まれる)

 日本国憲法第13条に規定された文言であり、日本国民が《平和に生活する》ための必要不可欠の基本的条件(=自由の条件)である。

 また、国際社会において日本国・日本国民が、全世界の諸国民がこれらを享受できるよう誠実に努めることが《世界平和・平和主義》の真なる意味である。

 新聞記事には字数制限があるのかもしれないが、朝日新聞社が約900文字の記事全文の中で、この極めて重要な12文字(中略)したことは、朝日新聞社の歪んだイデオロギー的本質を明確に表現していると言えよう。


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