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保守主義の哲学H27‐‐‐小論文 『自由主義の反撃』 [政治]

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 読者の皆様へ

 H27年最初の小論文『自由主義の反撃』がようやく完成しました!

 内容、図表ともに丁寧に仕上げましたので、思った以上に多大な時間がかかってしまいました。

 申し訳ありませんでした。

 取り急ぎ、ブログ公開たします。

 かなりの文章ボリュームなので、できればプリントアウトしてお読み下さい。

 【小論文H27自由主義反撃 

      

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問1(平成27512日)】

      

 エドマンド・バーク曰く、

      

 「貴方がたフランス(→大阪府市)の文筆家達や政治家達(→府知事や市長)・・・は、他者の智恵に全く敬意を払いません。他方自分自身のそれには、満腔の自信を以て捧げます。

 

 彼らにとっては、物事の仕組みが古いということはそれを破壊する充分な動機となるのです。

 

 新規なものとなると彼らは、慌てて建てた建物の耐久性がどの位あるのか、懸念らしきものは何も持っていません。というのも、自分の時代以前には何もなされなかったか、なされたとしてもごく僅かだと考え、希望はすべて(自分達の新規な)発見にありと考える連中にとって、耐久性は目的ではないからです。

 

 彼らは真に論旨一貫して、およそ永続性をもたらすものはすべて有害なりと考え、従がってまたあらゆる既存制度に執念深い戦いを挑みます。

 

 彼らの考えでは、政府(→地方自治体・公共団体の制度や境界等)は衣服の流行のように取りかえられるものであって、それで殆ど害も無いのです。またどんな国家の憲法(→憲法の代議制の定め)にとっても、目先の便宜(→珍奇な大阪都構想の実現)以外には愛着の原理など不要なのです。

 

 彼ら(→大阪市長)と為政者(→大阪市議会)との間には一種独特の契約があって、それは為政者(→大阪市議会)を拘束はしても相務性は全く持たず、民衆の権威(→実質上、大阪市議会という代議制の決定を無視して行われる住民投票)は、自ら(→大阪市長)の意志以外の如何なる理由も必要とせずこの契約(→前回の大阪市議会選挙の結果市議会の決定)を解除する権利を保有する、彼ら(→大阪府知事大阪市長)はこういった意見を以ているかの如き口ぶりを何時もしています。

 

 己の国自体(→大阪府大阪市府内の他の市町村)に対する愛着ですら、国(→大阪府・市の制度)が自分達(→大阪維新の会)の移り気な計画のどれかに合致する限りのものでしかありません。

 

 つまりそれは、瞬間、瞬間の彼らの考えの中にたまたま浮かんで来る国家計画(→珍奇な大阪都構想)と共に始まりまた終わる(=前回の大阪市議会議員選挙の結果と大阪市長選の結果及び大阪市民を代表する大阪市議会の議論や決定)など完全に無視するのです。」

 (バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、111112頁、丸カッコ内:私の置きかえ

  

 

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問2(平成2751223:30)】

  

 エドマンド・バーク曰く、

 

 「貴方がたの政治家たちが大胆で勇敢な才能の印と考えているものは、実は嘆かわしい能力欠如の証明にしかすぎません。

 

 ・・・彼らは普通の事柄は何でも利用できないものと諦めているのです。

 

 彼らの治療法体系の中では食餌療法は無視されています。

 

 しかし中でも最も悪いことは、彼らが普通の方法で普通の病気を治すのをかくも見限っているのは、単に理解力の欠陥に起因しているのではなくて、何か底意地の悪い性質によるのではないかと疑われることです。

 

 貴方がたの立法者は、あらゆる知的職業、高い身分、公的地位などについての自分の意見を、風刺屋どもの喚き声や戯声を借りて形成して来たようです。

 

 しかしこの風刺屋ども自身、自分の言葉に一字一句責任を持たされるとなれば驚愕するに違いありません。

 

 こうした声だけに耳を傾けることによって、貴方がたの指導者達は、すべての事柄をただ悪徳や誤謬という側面からだけ見てしまいます。

 

 しかし、逆説とも聞こえましょうが、一般的には、誤謬を見つけて見せびらかすのを慣わしとする人間というものは改革の仕事には堪えません。これは疑いもなく真実です。

 

 というのも彼らの精神は、公正で善なる事柄を認識するための鋳型を具えていないばかりか、習性によって、そうした公正で善なる事柄を眺めることに何ら歓びを感じないようになっているからです。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、215頁)

 

  

 ☆【大阪都構想に関する私の疑問3(平成275132245)】

 

 エドマンド・バーク曰く

 

 「私は、我々の幸福な状態は、我が憲法(our constitution)に---それもそのどこか一部分にではなく全体に---負っていると思っています。

 

 言い換えれば、数回の再吟味や改革を通じて付加変更されて来た部分だけではなく、そこで我々が手付かずにして置いた部分にもまた大きく負っているということなのです。

 

 我が国の人々は、真に愛国的で自由独立な精神にとっては、自分たちが所有しているものを(破壊してしまうのではなく、)破壊から守るべく、為すべきことが幾らでもある、と思うに違いありません。

 

 私は変更をもまた排する者ではありません

 

 しかしたとえ変更を加えるとしても、それは保守するためでなければなりません。

 

 大きな苦痛があれば、何らかの対策を講じなければなりませんが、いざ実行の段には祖先の実例に倣わねばなりません。

 

 私は、修繕をする場合にはできる限り建築物の修繕のような方法を取るつもりです。

 

 賢明な注意綿密周到さ、気質的というよりはむしろ善悪判断を弁えた小心さ、これらが、最も断固たる行為をする際に我々の祖先が則った指導原理(慎慮)の中にはありました。

 

 彼らはあの光---つまり、フランス人の(革命)紳士諸君が自分達はそれに大いに与っていると我々に吹聴するあの光り(=啓蒙思想・設計主義)---照らされていなかったために人間とは無知で誤り易いものであるという強い印象の下に行動したものでした。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、313頁)

 

 

 ☆☆☆【大阪都構想に関する私の疑問・THE END(平成2751708:05)これは、下記のコメント欄よりブログ本文へUPしたものです。

 

 なぜ、橋下徹大阪市長は、維新の会の主張する大阪都構想を市議会の議決で決定する手続きを取らないのだろうか?

 

 代議制という制度(=市議会)は民意を反映しておらず、住民投票のみが民意である!という意味であろうか?

 

 日本国憲法は、その第八章で、地方自治に関し、間接デモクラシー(=代議制)の原則を定めており、地方自治法において、その地方議員の選挙権・被選挙権は「日本国民」にあると定めているのであるが・・・なぜ?

 

 すなわち、憲法の定める「地方自治」とは「住民自治」の意味ではないのであるが・・・なぜ?

 

 中川八洋 筑波大学名誉教授 曰く、

 

 「直接参加型デモクラシーは、それを是としたワイマール憲法体制こそがヒットラーの全体主義の母体になったように、また<人民民主主義>のソ連体制を正当化する根拠となったように、自由社会を全体主義に<転化>していく機能をもっている。

 

 地方分権推進法第71項の<住民参加の充実>は、日本国憲法にも背反するし、自由社会の日本を守るために断固として否定されるべきものである。」(中川八洋『国が滅びる---教育・家族・国家の自壊』、徳間書店、192193頁)

 

 また、市民が直接審議(あるいは直接投票)の多数決原理に参加する場合の弊害の一つについて、

 

 エドマンド・バークは次のように述べている、

 

 「人間の心は、各人が(直接)審議に参加した会議での勝ち誇る多数派の投票結果より、遥かに容易に、国家から全体的な委任を得た一人もしくは少数の者(=代表者)が決定する議事(=議会の決定)に黙従する傾向がある。

 

 (直接)投票に敗れた側はその途中の口論で興奮して不機嫌になった挙句の果てに最終的な敗退への怨念を(勝った側に対して)抱くのが関の山である・・・」(『バーク政治経済論集』、法政大学出版局、659660頁、丸カッコ内:私の補足)

 

 バークが言うように、大阪都構想に関する住民投票は、その賛否の結果如何に関わらず、後々まで大阪市民を賛成派・反対派に分断する投票をさせたことによる、感情的なしこりを必ず残すだろう。

 

 このような直接投票による、大阪市民の感情的分断(亀裂)という懸念(心配)を推量できない(しない)こと自体、既に、橋下徹大阪市長の無能さの証明ではないか、と私には思えるが。

 

 また、大阪府と大阪市の2重行政の弊害の解消する手段として、大阪市を特別区に解体してしまうという珍奇な「都構想」以外に、決してありえない!と言うならば(→大阪市長と大阪府知事は両者が同じ維新の会の所属でありながら、である!)、これも両名の真正の無能の証明以外の何であろうか、と私には思えるが。

 

 それは兎も角、大阪市民は、都構想に関して、何度も何度も市長選や市議選をさせられ、その上なおまた「住民投票」までもさせられるとは、橋下大阪市長の舞台(掌)の上で踊らされるピエロのようである。

 

 隣の県から眺めていても、気の毒に思えてならない。

 

 ちなみに、マスコミや反対意見の住民等から、橋下市政について文句や罵声を浴びた場合にテレビや新聞で見聞きした、橋下徹大阪市長の口癖(の主旨)は、

 「そう思うなら、選挙で落としてくれればいい!」

 

 という、吐き捨てるような言葉であったと、私は記憶している。

 

 さて、大阪市民は、本日どのような決断をされるのだろうか?

 

 他所様の都道府県の事ではあるが、私は、興味津々で、投票結果を見守っている次第である。


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BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年5月14日(木)≫
 
 【中川八洋掲示板】 更新情報

 (2015年5月13日付)
 ◇ 安倍晋三総理よ、八月九日を“対ロ<国恥>記念日”と定め、政府主催の“満洲・樺太犠牲者追悼式典”を留萌で盛大に挙行せよ。この日、日本国民すべては、満洲と樺太の二方角に追悼の黙祷を捧げようではないか
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/13/113805

 (2015年5月9日付)
 ◇ 昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

 (2015年4月30日付)
 ◇ 西尾幹二はなぜ、64歳のとき突然、“集団ヒステリー” 「鬼畜米英!教」の宣教師になろうと決心したのか ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(21)
 → http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/30/145811

 ☆ 真実を見抜く洞察力を養うために、必ず読みましょう! ☆
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-14 00:43) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

≪平成27年5月14日(木)その2≫

 良識ある日本国民であり、かつ大阪府民でもあり、かつ大阪市民でもある人々は、橋下徹大阪市長(&維新の会)の掲げる、「大阪都構想」の賛否投票(住民投票)へ行く前に、
 ほんの1、2時間程をさいて(=電車の中での、スマートホンのパズドラ等をする手を止めて!)、
 中川八洋『国が亡びる---教育・家族・国家の自壊』、徳間書店、第7章&第8章、180~222頁(「あとがき」含む)をさらっと読んでから、大きく深呼吸して、投票に出かけましょう!
 ズバリ、自分たちの将来がかかっているのですから、個々人が真剣に自分の頭で熟考してから、投票に行くべきでしょう!

 特に、187頁の図ー1、図―2を対比して、≪地方自治≫でない「住民投票」=「住民自治」の左翼・極左思想の真意を理解しましょう。

 そうすれば、良識ある日本国民なら、≪大阪都構想 No!≫、≪橋下徹の政治手法 No!≫と投票せざるを得ないでしょう。

 日本国民として、大阪の健闘を祈ります。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-14 07:33) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年5月14日(木)その3≫

 【産経WEBニュース】
 (2015.5.13 17:20)
 ◆ 「無駄解消に大なた必要」菅官房長官は理解示す、維新は歓迎
菅義偉官房長官は13日の記者会見で、大阪市を廃止し、5つの特別区を新設する「大阪都構想」の賛否を決める17日の住民投票に関し、「(行政の)二重構造と無駄を排除する必要性は全国どこでも同じだ。無駄を解消するには、大なたを振るう必要がある」と述べ、重ねて理解を示した。

 都構想の実現を目指す維新の党の馬場伸幸国対委員長は記者会見で「維新と全く同じ理念をお持ちだ」と歓迎した。

 菅氏は自民党の二階俊博総務会長が都構想反対を明言したことには「個人としての発言だろう」と述べた。
 (記事ここまで)
 ◆◆◆

 びっくりする発言ですね。

 菅義偉官房長官の本音が見事に出た!という感じの暴言ですね。

 そもそも、純粋な地方政治(=住民投票)の問題に、国(政府)の官房長官が賛否を匂わす発言をすること自体、かなり非常識だが、馬鹿官僚には自覚できないらしい。

 また、さらに驚くのは、仮に、つい口を滑らせてしまったのだとても、普通は、自分の身内である、<自民党大阪府連>側をバックアップする発言をするのが政党人だと思いきや、何と、敵方の維新の会の橋下徹を支持する発言をした。

 これを端で聞いていると、「この人の頭の中はおかしいのか?」と多くの国民が驚き呆れてものも言えない状態になるが、そのこと自体がどうも直観できないほどダメらしい。

 地方議会の議決が自分の意に合わないと、直ぐに市長選挙や住民投票をして、無理やり自分の意志を押し通す、何でもありの独裁政治屋が橋下徹の本性なのは、これまでの彼の行動と彼の政策の失敗で明白ではないか?

 菅が橋下を支持するのは、独裁的な性根が同じだからだろうか?

 橋下徹がこれまでにやったことは何か?
 思い出してみたまえ。
 ・公募区長、公募校長が、住民や生徒の父兄に対するセクハラや暴言の不祥事で一体何人辞任したか?数えるのも嫌になる。
 ・最初はあんなに、橋下徹を評価し、我慢強かった石原慎太郎でさえ、最後は我慢しきれず、やっぱり「橋下は、馬鹿者」と見限って袂を分かって去って行った。
 ・わけのわからん一人相撲の「大阪市長選」。
 ・維新の会の政治家の傲慢不遜な態度と不祥事の多さ&離党騒ぎ。解党騒ぎ。
 ・在日米軍批判のためにした、「沖縄米軍に慰安婦はどうですか?」発言。橋下の慰安婦発言の最初の「真意」はこれだけ。
  あとは言い訳的に歴史問題に括っただけ。似非保守系の票集めのカメレオンになる目的。毛バリにすぐ食いつく、産経新聞はこれに泥酔。ほめちぎり。
 ・橋下VS共産党、橋下VS労組/日教組は、左翼・極左内での内ゲバ戦争で、左翼・極左と真に対峙する我々真正保守(自由)主義とは無関係、というよりすべて180度真逆。橋下は、左翼だから。
 ・橋下徹ありき(人気)の維新の会の「大阪都構想」だが、橋下の賞味期限が切れたら誰がその後を継ぐ?
  芸人の人気ではなく、政治理論で維新の会を引っ張れる人物が、彼の他に誰かいるか?誰もいない。なぜなら、有名人気タレントもいないし、維新には政治理論など、「破壊」以外は「無」だからだ。だから、都構想がうまく機能する保証など何もない。

 隣の県から見ていると、大阪人(大阪市民)は、どうしてこんなバカ政党「維新の会の思い付き発案」に自分の将来を託す気になれるのだろうか?と不思議でならない。

 芸人風土の「大阪」のゆえだろうか?
 もしそうならば大阪はやはり「都」にはなれまい、というのが逆説的な真実ではないか。

 兎に角、菅は強権政治が好みのようだ。
 何となく素性が割れてきたか?
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-14 20:00) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 +α
 維新の会の暴挙に、とある高校の入学試験(=特定の学科)の独断的中止もあった!
 (→悲惨な事件があったのはあったが、高校入試を中止する必要など皆無なかったのに。受験生や父兄の意見など一切無視して、突然強硬に・・・)
 まだまだ思い出す(書き出す)ときりがないが、今日はここまで。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-14 20:08) 

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≪平成27年5月17日≫

 【これは、私個人の疑問です。】
 なぜ、橋下徹大阪市長は、維新の会の主張する大阪都構想を市議会の議決で決定する手続きを取らないのだろうか?
 代議制という制度(=市議会)は民意を反映しておらず、住民投票のみが民意である!という意味であろうか?
 日本国憲法は、その第八章で、地方自治に関し、間接デモクラシー(=代議制)の原則を定めており、地方自治法において、その地方議員の選挙権・被選挙権は「日本国民」にあると定めているのであるが・・・なぜ?
 すなわち、憲法の定める「地方自治」とは「住民自治」の意味ではないのであるが・・・なぜ?

 中川八洋 筑波大学名誉教授 曰く、

 「直接参加型デモクラシーは、それを是としたワイマール憲法体制こそがヒットラーの全体主義の母体になったように、また<人民民主主義>のソ連体制を正当化する根拠となったように、自由社会を全体主義に<転化>していく機能をもっている。
 地方分権推進法第7条1項の<住民参加の充実>は、日本国憲法にも背反するし、自由社会の日本を守るために断固として否定されるべきものである。」(中川八洋『国が滅びる---教育・家族・国家の自壊』、徳間書店、192~193頁)

 また、市民が直接審議(あるいは直接投票)の多数決原理に参加する場合の弊害の一つについて、
 エドマンド・バークは次のように述べている、

 「人間の心は、各人が(直接)審議に参加した会議での勝ち誇る多数派の投票結果より、遥かに容易に、国家から全体的な委任を得た一人もしくは少数の者(=代表者)が決定する議事(=議会の決定)に黙従する傾向がある。
 (直接)投票に敗れた側はその途中の口論で興奮して不機嫌になった挙句の果てに最終的な敗退への怨念を(勝った側に対して)抱くのが関の山である・・・」(『バーク政治経済論集』、法政大学出版局、659~660頁、丸カッコ内:私の補足)

 バークが言うように、大阪都構想に関する住民投票は、その賛否の結果如何に関わらず、後々まで大阪市民を賛成派・反対派に分断する投票をさせたことによる、感情的しこりを残すだろう。
 このような直接投票による、大阪市民の感情的分断(亀裂)という懸念(心配)を推量できない(しない)こと自体、既に、橋下徹大阪市長の無能さの証明ではないか、と私には思えるが。
 また、大阪府と大阪市の2重行政の弊害の解消する手段として、大阪市を特別区に解体してしまうという珍奇な「都構想」以外に、決してありえない!と言うならば(→大阪市長と大阪府知事は両者が同じ維新の会の所属でありながら、である!)、これも両名の真正の無能の証明以外の何であろうか、と私には思えるが。
 それは兎も角、大阪市民は、都構想に関して、何度も何度も市長選や市議選をさせられ、その上なおまた「住民投票」までもさせられるとは、橋下大阪市長の舞台(掌)の上で踊らされるピエロのようである。
 隣の県から眺めていても、気の毒に思えてならない。

 ちなみに、マスコミや反対意見の住民等から、橋下市政について文句や罵倒を浴びた場合に必ず見聞きした、橋下徹大阪市長の口癖(の主旨)は、

 「そう思うなら、選挙で落としてくれればいい!」

 という吐き捨てるような言葉であったと、私は記憶している。

 さて、大阪市民は、本日どのような決断を下されるのだろうか?

 よそ様の都道府県の事ではあるが、私は、興味津々で、投票結果を見守っている。
 
 以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-17 02:13) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

訂正
罵倒を浴びた→罵声を浴びた
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-17 02:18) 

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 ≪平成27年5月23日≫
 【産経WESTニュース】その1
 (2015.5.13 11:40)
 水族館イルカ問題「世界中からのいじめみたい」和歌山知事が不快感
http://www.sankei.com/west/news/150513/wst1505130045-n1.html
 ☆☆☆
 和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲されたイルカを購入していることを理由に、日本動物園水族館協会(JAZA)が世界動物園水族館協会(WAZA)から会員資格を停止されたことについて、和歌山県の仁坂吉伸知事は13日の定例会見で「世界中からのいじめみたいな気がする」と述べ、不快感を示した。
 仁坂知事は、捕獲されたイルカの展示について「『イルカがかわいそう』などの議論があるが、水族館では捕ってきた魚などを多く展示している」と指摘。「繁殖させたものだけを展示するのであれば、水族館の展示は何分の一かになってしまうのではないか。その点も含め、フェアに考えてもらいたい」と述べた。
 今後の対応については「民間の話なので政府がどこまでできるか分からないが、情報収集とともに水産庁に働きかけるなどして、最大限努力していきたい」と話した。
 ☆☆☆
 【産経WESTニュース】その2
 ドクロ旗振りかざす「シー・シェパード」、クジラ漁解禁でまたも出没…捕鯨逆風の中、「太地町」で続く神経戦 →http://www.sankei.com/west/news/141222/wst1412220001-n1.html

 ☆☆☆
 【写真】ドクロ旗振りかざす「シー・シェパード」、クジラ漁解禁でまたも出没…捕鯨逆風の中、「太地町」で続く神経戦
http://www.sankei.com/images/news/141222/wst1412220001-p1.jpg
 (本文省略:リンク先の新聞記事をお読みください)
 ☆☆☆

 世界中の良識ある人々は、「≪クジラ・イルカ等特定動物種・主権教団≫シー・シェパード(SS)」のような反人類主義かつ動物種差別主義の「環境テロ団体(組織)」の主張の中には、”真なる動物愛護”の精神など微塵もなく、そこにあるのは、狂詩人J・J・ルソー的な、見せかけの似非「友愛・博愛・憐憫」でしかないことに即座に気付くであろう。

 例えば、世界各国に固有の法・伝統・慣習・宗教信仰にもとづく食習慣や食に関する規律の相違は、国際社会における国連会議、主要国サミット、各国政府間会議(会合)においては深く尊重され、各国代表の会食時には、会議主催国は、各国代表者の食習慣(慣習)に対し、細心・厳重の注意を払って、非礼なきようにメニューを選定する。

 これが、世界の自由主義国家間の(→これは社会主義国家や共産主義国家でさえ、外賓に対して、最低限守る)マナーである。

 ところが、このような各国の食文化に対する尊重姿勢にも関わらず、太地町と数百年以上に及ぶ日本国の伝統的なクジラ・イルカ漁

 (注:
 外国人の方々には知っておいて頂きたいが、そこには
 ・必要以上に捕獲しない<殺生をしない>
 ・クジラやイルカを軽蔑・侮蔑するのでも、差別的に特別視するのでもなく、牛や豚や鶏・・・などの他の動物と同等に尊重して扱い、それらの生命をすべて尊いものとして扱う
 ・が、必要最小限の国民生活の要求の為にやむを得ず、「南無阿弥陀仏・・・等々」と念仏を唱えたり、毎年、海の神々に祈祷して感謝して、それらを捕獲してきた、
 という日本国民の古来の法・慣習・道徳・宗教観
 があるのである。
 しかしながら、日本通の親日的な外国人でさえ、そのような日本国民の道徳観・宗教観は、なかなか理解して頂けない。我々日本国民の発信力が弱いのも原因かもしれないが、今後は機会あるごとに、私なりに微力ながら発信していきたいと思う。)

 に対する根拠なき嫌がらせのファックス・電話・メール・手紙が毎日のように寄せられ、抗議団体やグループ等々が頻繁にやってきて抗議行動で太地に居座るなどして、太地町役場職員の公務や漁民(=太地町民)の安全な生活に大きな支障をきたしている。

 それらの投書等の内容の中には
 「日本人は(イルカ)虐殺民族だ!」
 「(イルカ)ジェノサイドだ!」
 などといった、あたかも最小限のクジラ・イルカ漁が、

 ・ロベスピエールのキギロチン台フル稼働や、
 ・ヒットラーのガス室
 ・レーニンの食糧徴発隊によるラズヴョールストカ(食糧徴発)の農民餓死政策
 ・スターリンの強制移住と強制収容所
 による人種・民族(=人間)虐殺

 と限定的イルカ漁の区別・差別ができない、精神科の病院か永久監獄送りが真に妥当する狂人からの妄想・幻覚的な誹謗中傷の類であるようだ。

 日本国政府・和歌山県(知事及び県警)・海上保安庁等は一体となって、法的に許されるあらゆる手段・チャンネルを用いて、このようなクジラ・イルカたち以下の、原始的野蛮人を「排除」すべきであろう。

 ちなみに、役場の電話やファックス等には、県警が逆探知機器等を提供して、送信者の身元・住所を確実に特定できるするようにできないだろうか?


 ※最後に一言【注意点】を述べておく。
  外国(海外)からの、クジラ・イルカ漁批判に限らず、歴史問題における日本国(日本国民)に対する批判は、それが
 ・外国政府が公式に表明したものか、
 ・国連直属の国際機関の公式声明(宣言)等か、
 ・国際法や国際慣習に基づく論拠があるか、
 ・準公的機関あるいは特定イデオロギー組織・団体(支部)による単なる社会攪乱運動によるものか、
 ・全く私的個人の信念によるものか、
 等々慎重に区別・峻別して対応する必要がある。
  これらすべてを混同して引用して、何でもかんでも「他国政府がそういっている、他国民全員ががそう考えている」と騒ぎ立てるのは、常識を逸脱した愚かな議論になるので、慎重であるべきだろう。

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-23 08:39) 

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 ≪平成27年5月23日≫その2
 【補 足】
 シー・シェパード(SS)あるいはそのバックにいる世界各国の「緑の党」(=中は真っ赤のスイカ党)のような野蛮人らが、クジラ・イルカと人間とを区別せできず、あたかもクジラ・イルカ類を「人間そのもの」であるかのように扱って、日本国その他の国の、限定的イルカ漁を「虐殺だ!」「ジェノサイドだ!」と狂気の言論をまき散らす、精神構造は極めてシンプルである。
 彼ら自身は、その言動から、人類の大多数から嫌われている、反(嫌)人類主義者であり、かつその根底にマルクス主義やマルクス・レーニン主義に基づく文明社会・国家を憎悪し破壊したい衝動と信仰があるから、彼らは人類としての国境・国家を持たない!(マルクス/エンゲルス『共産党宣言』参照)。
 要するに、彼らは、根無し草人間、ディアスポラ、エグザイルを嗜好するから、通常の国家から離脱して、世界の海洋域が彼らの国家なのであり、その海洋(=国家・帝国)での、最も知的な動物種であるとされる、クジラ・イルカ類は、彼らの国民なのである。
 だから、彼らの口から通常の文明人から見れば異常でしかない、「虐殺」とか「ジェノサイド」という思想や言論が発生するのである。
 簡単明瞭であろう。
 要するに、彼らはクジラ・イルカ類のを束ねる海洋域の皇帝(か国王か、あるいは神か?)になりきっている、狂った文明人失格の野蛮人にすぎないのである。
 小学生、中学生諸君にもご理解頂けたであろうか?
 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-23 09:28) 

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 ≪平成27年5月24日≫

 【閑話休題】

 今日は政治哲学は一休みして、テレビ・ドラマ等の話。

 (1) 昨日(5月23日)土曜ワイド劇場『警視庁捜査一課長---ヒラから成り上がった最強の刑事』を見た。

 私事で恐縮であるが、私が高校2年か3年の時だったかと思うが、初めてアイドルのプロマイドを買って、常に財布に入れて持ち歩いていた。
 そのアイドルが、言うまでもない、あこがれの斉藤由貴さんであった。
 それ以来ずっと大ファンで、他のアイドル

 (→今では、「アイドル」という言葉自体が時代遅れかもしれないが、当時の1980年代は、まさに「なんてったって、アイドル!」という時代であった。)

 のプロマイドは、それ以外持ったことがない程の大ファンで、今でも斉藤由貴さんは、相も変わらず、私の永遠のアイドルであり、大ファンである。ご活躍されているのをテレビで見るとととも嬉しくなって、つい見てしまいます。

 また、同ドラマの他の出演者、内藤剛志さん、金田明夫さん、そして本田博太郎さん等々、俳優・女優の皆さんが、とても良い味を出されていて、「OK!」です。

 ドラマの内容も大変、好感がもてるし、刑事・警察官らの誠実と良識とが、終始ドラマの中で貫かれており、観終わったときの後味が大変良かったと思う。
 これからも、さらに良い作品を制作して放送して頂きたいと願います。
 応援しております。

 (2) さて、斉藤由貴さんがらみで、ドラマ『遺留捜査』。
 
 これも結構面白いのでよく観ている。
 ただ少し不満なのは、このドラマの結末が、事件に巻き込まれた子供の悲しい境遇・運命に心が痛み、後味が悪いことがしばしばあること。
 あくまで、フィクションだから、それが良いとか悪いとか言うつもりはないけれども、もう少し「心が安らぐ・安心できるような結末」にするよう御配慮頂けるならば、さらに、さらに良いドラマになっていくと思います。
 これも応援しております。頑張ってください。

 (3) 次に、朝日テレビの刑事ドラマ繋がりで、刑事ドラマ『相棒』。
  これは、定番ドラマでシリーズも長いが、やはり面白い。
  私は、水谷豊さん演じる「杉下右京」ほか、その「相棒役」、他課の課長・課員、特に鑑識の六角精児さんなども、いつもながら、皆さん、いい味を出していて、面白い。
 ただし、『相棒』に関して少し思うのは、ドラマ(フィクション)なら、あくまでドラマ・フィクションとわかる、環境設定をすべきだと思います。
 現実世界の政治的背景や社会批判と、ドラマの背景を、これ見よがしにダブらせて、風刺的に描き過ぎるところが、私としては少し嫌味に感じられ、若干残念に思います。
 ドラマはあくまでフィクション、現実はあくまで現実であり、同一のように錯覚して見せる(→視聴者が、混同して勘違いする)姿勢が、フィクションの許容域を超えているのではないか?と思う回が時々あるのやや難点か。
 例えば、相棒では、「警視庁や警察庁のお偉いさんは、皆、自己保身しか考えない悪人だ!」という固定観念を視聴者に与えている。
 また、ほかの例では、姑が嫁に向かって「あんたのつくる飯はいつも不味いね!」という場面を見たことがあります。
 これでは、視聴者が
 「嫁と姑はどこでも仲が悪く、常に嫌味と嫌がらせの遣り合いだ!結婚なんてロクなものではない!」
 という印象を強く受ける可能性があるのではないだろうか。
 ちなみに、私の母と姑(故祖母)は数十年間ずっと同居していたが、喧嘩をすることも時々あったが、いつもはお互いに感謝しあい、ずっと仲が良かったし、祖母が亡くなってからも、私の母は毎日仏壇の前で亡き祖母に「いいお母さんでした、本当にありがとうと」手を合わせている。
 そういう嫁姑の関係も現実世界には数えきれないほどたくさんあるのです。
 私は、『相棒』が嫌いではないし、いつも見ています。
 しかし、私上記のような母と祖母の下で育ったし、フィクションと現実の区別もはっきりと付けれるので、上記のようなドラマ設定を見ても別に(私自身に)何の不都合もないのだが、核家族でそだった、一般大衆(特に女性が)がドラマを見た場合、フィクションと現実とをしばしば混同するものです。少なくとも間違った先入見を与えます。
 ですから、ドラマ『相棒』では、そのような点のみ少し配慮して頂ければ、おそらく、視聴率はさらにグンとUPするのではないかと期待します。水谷豊さんよろしくお願いします。
 とはいえ、以上は、あくまで私の勝手な意見(感想)・予測にすぎませんが・・・。

 (4) その他

  その他、刑事物、推理小説物で、好きなのは、「赤かぶ検事」、「法医学教室」、「鉄道捜査官」、「朝比奈検事」、「十津川警部」、「温泉女将」等。
  
 ここでは、紙幅と時間の関係上、推理小説系ドラマに絞ったけれども、「謎解き」が好きなのは、私の性分なのかもしれない。

 他のテレビ・ドラマ系の趣味・感想については別の機会に・・・。
 
 さて、次にアニメ。

 私が定期的に観る

 (→ここでは、無料一般デジタル放送、Yahoo の無料GyaOに限る。)

 テレビアニメあるいは映画は、妻と子供の趣味にほとんど拘束されている。

 テレビアニメは、「名探偵コナン」、「ポケモン」、「ちびまる子ちゃん」、「サザエさん」、「おさるのジョージ(?)」、「ドラえもん」、「ドラゴンボール」・・・。

 GyaOでは、時々期間限定でやっている、「進撃の巨人」、「スペース・コブラ」、「金田一少年の事件簿」・・・等を偶に観ます。。
 
 ・劇場版名探偵コナン
 「業火の向日葵」は公開初日に観に行きました。怪盗キッドを最後まで信じた私は正解でした。面白かったです。

 初日にこだわったのは、妻と子供の強い要望。

 また、今年2月には鳥取県 青山剛昌記念館にも行ってきました。

 「名探偵コナン」は家族で応援しています。

 「充分に体調を整えられ、復帰されたらまた頑張ってください。期待しています!」(と、私の妻より)。
 
 ・ 劇場版ポケモンの公開が近づいてきました。
 
 「とても、楽しみにしてるよー。」(と息子と私より。)

 ・ 「ドラえもん」、「ドラゴンボール」は私自身が小さいころ見て育った、昭和時代のアニメの古典か。

 私には、ドラえもんの劇場版は面白く、内容も感動的に思える。「のび太の恐竜」などは小学生の時映画館で見たけれども、復刻版を息子と見たときは、少し目頭が熱くなった。

 ドラゴンボールは、北斗の拳などと同時期に、「週刊少年ジャンプ」で読んで育った世代なので、やはり年をとっても面白いし、何度見ても見たくなる。ちなみに「神と神」は息子と映画館で真ました。今年の「フリーザ」は、まだ。

 ・進撃の巨人
 は、最初巷で噂になった頃は、あまり関心がなかったけれど、GyaOでたまたま見たら、何と面白かったことか。

 なお、ミカサ・アッカーマン、大ファンになりました。

 それと一番最初のオープニングソング「紅蓮の弓矢」も大好きでよく車で聞いている。

 ・ ちびまる子ちゃん。

 いつも家族で見ています。応援しています。頑張ってください。

 E-girlsのピーヒャラダンスのオープニング、最初はちょっと抵抗があったけれど、慣れるとノリが良くて聞いてて楽しくなりました。ノリが良くて元気がでるので、E-girlsのCDまで買ってしまい、車でよく聴いています。

 ・ サザエさん。

 いつも家族で見ています。応援しています。頑張ってください。

 オープニングソングの背景の都道府県が、半年ごとに交代し、背景映像が、3か月交代していきます。

 次の都道府県はどこだ?など と家族で予測したりして、地味に楽しんでいます。

 ちびまる子ちゃんと並んで、家族の大切さ、温かさを教えてくれます。

 いつも、ありがとう。

 以上、(政治哲学思想とは極力関係なしの)私の単なる思い付き、気まぐれによる【閑話休題】でした。
 
 (従って、決して特定番組の番宣を肩代わりする意図などありませんし、特定のテレビ局を支持・援護しているのでもありません。その点、誤解なきよう。)
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-24 10:27) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年5月24日≫

 【補足】

 (修正)
 「斉藤由貴さんのプロマイド」→正確には「ブロマイド(bromide)」だが、「プロマイド」と言われている。

 (補足)
 アニメについて、コメントが抜けていたので、補足します。

 ちなみに、私は宮崎駿監督のアニメシリーズもよく見ます。

 『千と千尋の神隠し』などは、私の妻と映画も見て、DVDも買って、テレビ放送でもみて5、6回くらい観たと思う。

 『となりのトトロ』その他の作品も何回観た事だろうか。

 やはり、どの作品を見ても、ズバリ!宮崎駿監督は、アニメ映画監督としては、「超一流」でしょう!

 宮崎監督の映画は大好きです。

 私が宮崎駿氏を一度だけ、批判したのは、監督の言動が直接的に、私の専攻領域(=政治哲学・法哲学・憲法学の領域)に踏み込まれたから。

 なぜなら、この分野・領域に関しては、私もある意味「命がけ」でやってますので、そこへもって、発言に超影響力のある監督が、反対思想・哲学を持って踏み込んでこられれば、黙って反論・批判なし、という訳にはいかなかったからです。

 ただそれだけの事ですが、それゆえに、今後もそういうことがあるかもしれません。
 
 その点、趣旨をご理解いただき、誤解なきよう、お願いしたいと思います。繰り返しますが、宮崎アニメは私も妻も息子も大好きで、ファンですので。

 以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-24 11:15) 

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≪平成27年5月26日≫安保法制

 産経Webニュース(2015.5.25 22:30 )

 □□□

 首相「木を見て森を見てない」 枝野氏「支離滅裂だ」 集団的自衛権の地理的範囲「他国領域入る? 入らない?」で激論
http://www.sankei.com/politics/news/150525/plt1505250035-n2.html
 (本文省略)
 □□□

 安保法制論議における、私からの個人的アドバイス。

 第一に、安倍内閣は、国会での安保法制論戦では、野党の口車に乗せられて、決して感情的になって、暴言を吐かないように極めて慎重・冷静に対応すること。

 第二に、共産党からの≪大東亜戦争(8年戦争)≫の戦争責任・反省関連の質問」に対しては、ぜひ以下のことを公の場で言明して欲しい。

 すなわち、

 ・ コミンテルン32年テーゼの翻訳者でコミュニスト河上肇の直弟子のコミュニスト「近衛文麿」の3期に渡る共産内閣が、主導・計画した、

 ・ 「東亜新秩序」声明(1938年11月)

 これを南方へ広げた、
 ・ 「大東亜共栄圏(=共産圏)」(1940年8月)

 ・ 資本主義(自由主義)国の対英米(蘭)戦への布石として、西欧のファシズム国家&共産ソ連と締結した、
 「日独伊三国同盟」(1940年9月)
 「日ソ中立条約」(1941年4月)
 
 ・政党政治を廃止した、近衛による「大政翼賛会」の設立

 等々を列挙して、日本共産党(=正式名称:コミンテルン日本支部)は、近衛文麿首相が、共産主義者であったこと、これらの施策をすべて彼の内閣が実施したことに関して、どう認識しているのか、そして日本共産党(共産主義)者)自身には、あの大東亜戦争に関する「反省(=自己批判)」は全くないのか?

 等々に言及して、日本共産党(コミンテルン日本支部)の「似非正義面」「似非平和主義」を白日の下に曝してやろう!

 第三に、日本民主党の党首&首脳部の無能で真に無意味な、「机上の空論・幻想」戦に対しては、

 例えば、政府は逆に、

 ・隣国の侵略国が、日本国領内に侵入せず、自国領域からミサイル等で、日本国や米国に絶えず攻撃を仕掛けてきた場合などは実際に想定できる事態であるが、このような場合に、民主党が政権にあるとすれば、一体どのように「具体的」「現実的」行動で対処するのか?
 その具体的方法論を、逆に問うて、明確に答えさせるべき。

 あるいは、別の言い方をすれば、
 
 日本国の領土と主権、日本国民の生命(安全)・財産・自由を守るためであっても、民主党は、将来どんな状況が起こっても、
 「絶対に他国領域で戦闘することはできない」ように、安保法制で日本国の防衛手段を縛ってしまうつもりなのか?

 もしそうなら、民主党には永遠に、反日政党、国民無視政党であり、政権担当能力は皆無!であり、政権担当の能力・資格は無い!と全国民を挙げて罵ってやろう。


 兎に角、野党のすべての質問は、すべて「詭弁の域を一歩も出ない」から、討論で質問攻めにあう前に、対抗的に、質問攻めで切り返して、勝利せよ。

 願わくば、コミュニスト近衛文麿とその3期の首相時に、対英米戦争開戦に向けて為した、上記の歴史事実だけでも、明確に言葉で述べるだけでも、日本国民の大東亜戦争(特に、対英米戦争)に関する真の戦犯(主犯)に関して、これまでの隠蔽された事実への見方が大きく、変化し、再検討しなおされるきっかけを与えるであろう。

 だから、ぜひともそれらの「用語」を言明して、日本共産党を逆に問い詰めてほしいものだ。

 が、たぶん、共産党となれ合いの、現在の自民党(特に左派)執行部には、そんな勇気も志も微塵もないのだろうが・・・。

 兎に角、政府は安保法制議論には、冷静沈着に、対抗質問で難を避けるのがベストであろう。

 以上。
以上。


by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-26 07:51) 

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≪平成27年5月9日≫安保法制

 NHKニュース(5月29日 5時05分)

 安全保障関連法案 対立点が浮き彫りに

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150529/k10010095041000.html

(本文省略)

 ■■■

 「野党側は、自衛隊の海外での活動が際限なく広がりかねないと懸念を示す」

 「野党側は、新3要件の「存立危機事態」の基準があいまいで、自衛隊の海外での活動が際限なく広がりかねないと懸念を示しています。」

 →野党は、「際限なく広がる」と言うならば、その「際限なき想定事態」を文字道理際限なく、現実的・具体的に多数列挙せよ。

 そうでなければ、「新3要件」で歯止めがかけれるか否かすら、議論できまい。

 その具体的事例について全く述べない議論など、すべて「抽象的」「空想的」議論であり、(その時の他国の出方によって)起こり得る事態のすべてを予測できない、有事法制の議論として無意味であろう。

 また、今は「有事法制」の議論をしているのであり、野党は「有事法制」と「平時法制」の区別ができないような(しないような)愚かな質問は止めるべき。

 仮に野党議員が馬鹿ばかりで、「平時法制」と「有事法制」が全く区別できないとしても、それなら、国際法・国際慣例に基づく、「戦時」「平時」の≪交戦規則≫制定の必要性など、もっと有益な議論をすることができないものか?

 このような、野党の「無能」と「無知」は、驚くべき低次元である(NHK・朝日新聞の論調・宣伝もまた同じ。)

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-05-29 08:10) 

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 ≪平成27年6月1日≫

 「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」(いわゆる、同性パートナーシップ条例)の全条文を読まれた日本国民、あるいは政治家は、一体何人ほどおられるのだろう?

 この条例、はっきり言うけれど、論理は一貫性なく支離滅裂、前後条文間矛盾多数、憲法誤解釈(→世界共産化運動に都合よい、身勝手で出鱈目な嘘解釈)を羅列した雑文でしかない。区、区議会とは何と政治能力が低いことか!とあきれ返るほど低劣。

 こんな「トンデモ条例」を施行すれば、渋谷区が、すべての区民(もちろん性的少数者を含むが)の住みやすい、良き街になるだろうなどと、渋谷区及び区議会は、本気で考えているのだろうか?

 この渋谷区の条例、(私の大嫌いな)世界的な暴力革命文書である、1789年フランス「人権宣言」、1848年マルクス/エンゲルス「共産党宣言」の悪辣な政治文書と比してさえ、、1000倍程度、幼稚で悪辣な内容でしかない。

 今後、他の(愚かで幼稚な)自治体での同種条例の制定(の真似事)に波及・発展するの影響があるので、一度、渋谷区の「条例全文」を添削して、その支離滅裂の出鱈目内容を、私のブログ上で、真正保守(自由)主義の政治哲学論で、論破・解説しようと考えている(但し、いつ頃になるかは、現在は未定)。

 本日はここまで。

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-01 07:40) 

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 ≪平成27年6月9日(火)≫

 【中川八洋掲示板】更新情報

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 (平成27年6月8日付)
 『ネパール国の大地震は、王制廃止への神仏の怒りでは?──日本政府の復興支援は王制復活を条件とせよ』
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

 (平成27年6月2日付)
 『“ロシアは我が祖国”の「<反日>朝鮮人」北岡伸一と「安倍70年談話」』
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/06/02/130132

 歴史の教訓、歴史からの智恵と美徳を学び取り、現在と未来に生かすため、良識ある日本国民は必ず読みましょう!

☆☆☆☆☆

 安保法制の国会議論と憲法審査会での日本の憲法(解釈)学者の高尚なな御意見を聞いていて、絶対的に必要であると私が確信したことは、

 「日本国のすべての法学部を廃止せよ!」

 あるいは存続させたければ、

 「現在の法学部の社会主義法学・法実証主義一辺倒のカリキュラムのせめて半分以上を、英米法学に置き換えよ(義務とせよ)!」

 ということだ。

 この意味がよく理解できずに、昨今のくだらない安保法制議論を見聞している人々は、最小限度以下の著作を熟読し、「井の中の日本のドイツ(実証法:第9条:主義)憲法学ではなく、”法学”の”世界的常識”について学び、理解すべきであろう。最小限(の最小限?)の参考図書を挙げておく。多くの日本国民に読んで頂きたものだ。

 (1)中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書
   →この書を完全に理解せずして、法(法の支配)>憲法(立憲主義)を語るに値せず。
  ”第1章米国憲法、第2章英国憲法、第4章明治憲法”と「第3章フランス革命憲法、第5章GHQ欽定憲法=日本国憲法」の相違(というより背反)を理解せよ。

 (2)『ハイエク全集』
   →最低限
    『法と立法と自由〔Ⅰ〕』、春秋社、第4章以降
    『自由の条件〔Ⅱ〕』のすべて
    『法と立法と自由〔Ⅱ〕』第8章、第9章

 (3)A・ハミルトン/J・ジェイ/J・マディソン『ザ・フェデラリスト』、福村出版、最低限、第1篇から第51篇が最低限度か。

 なお、”自衛権”でない、「他衛権」とは、世界で通用している法学の学術用語なのか?

 国連憲章第51条は加盟国に対し、”武力攻撃が発生する”場合の”個別的又は集団的自衛の固有の権利”と行使を認めているが、日本の憲法学者は、国連憲章を「戦争法」という用語で括って解釈するのか。

 日本の憲法学者の言い分では、国連憲章代51条を承認しているすべての国連加盟国は”自衛”と”侵略”の区別がつかない野蛮国家だと言いたいように聞こえるが?

 あるいは現在の日本国政府・日本国民は特に野蛮だから、かならず侵略と自衛を混同し、戦争は無限に拡大すると言いたいのか?

 個別的であれ、集団的であれ自衛権の行使は、”国民の生命・財産・自由を保護する目的である”

 及び

 ”国連憲章の目的”及び”(戦時及び平時の)国際法・国際慣例を遵守して行動する”等の義務規定を、安保法案の前文に明記さえすれば、

 ”自由主義政府”ならば、自衛と侵略を混同する余地がほとんどないだろう。

 仮にしんばしばそれらを混同しがちな、国家社会主義や共産主義政党(=左翼・極左政権)が政権を奪取して、両者を混同して行動したとしても、上記条件が悪徳政権の行動を完全に縛るし、その無制限な拡大などを国際社会が許すわけがあるまい。

 もはや、理解した人もおられるだろうが、民主党や極左憲法学者の世界的に「非常識極まる」不毛な議論など、聞く価値もない。上記に挙げた著作から世界標準の法学を学ぶべき。

 以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-09 07:40) 

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 ≪平成27年6月10日(水)≫

 【中川八洋掲示板】更新情報

 (平成27年6月9日付)
 『赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型 ──学界の極左化を放置してきた“堕落と腐敗の自民党”六十年間の無為は、日本人の国防否定主義を矯正不能にした』

 →http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

 ☆☆☆☆☆

 必ず読みましょう。

 なお、私のブログ(6月9日付)で示した最低限読むべき参考文献に、中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版を追加しておく。

 日本国の大学の法学部から排出される憲法学(者)の言説が、世界の法学の標準からいかに逸脱した、偏狭な虚構・狂言に堕しているかの全体像が瞬時に理解できるだろう。
 
 良識ある(=左翼・極左思想を日本国から一掃したい)日本国民は必ず読みましょう。

 (→特に、首相・防衛相のほか、政府閣僚は1日2日で1冊全部を読んで全て頭に記憶せよ!
 ここで言う、「記憶する」とは、国会の討論で、相手の議論の、論理矛盾・詭弁を即座に判別し、上記著作の内容から逸脱しない論理で、速やかに、相手に対し、数倍程度の反撃ができる程度まで、暗誦していることを言う。

 この程度の学力がないような政治家は落第政治家で、国際政治の舞台において、他国のエリート政治家・官僚と同等レベルの議論するのは全く不可能で、日本国の国益を損なうのは100%自明であるから、そもそも、そのような政治家は国家の政治家になる資格なし!というのが私の持論。エリート官僚もまた同じ。)

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-10 07:00) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年6月10日(水)≫補足

 上記のコメントについて誤解があってはいけないので補足しておくが、私は、中川八洋先生の『悠仁天皇と皇室典範』の内容が「易しい」などと言っているのではないし、言うこともできない。

 真実は全く逆であり、その著書の内容は、日本国の憲法学者の著作群の「真実の歪曲・知性の極貧」のレベルに比すれば、”法学的に正統かつ超ハイレベル”と言えることを誤魔化そうとは思わない。

 が、それでもこの著書を1日2日で読了し、その内容の正統性・重厚性が理解できないな者は、開かれた世界の外国のエリート政治家・官僚(外交官)と議論する場合には全く歯が立たないであろう、という意味である。誤解なきようお願いしたい。

 但し、それもできない政治家もたぶん多いだろうから、そのような真の意味で無能な政治家でも、上記著書の「第3部 憲法神授説---日本の憲法学界を跋扈する、憲法の宗教経典化」(=第7章、第8章)くらいは1日で読めるであろうから読みなさい、と助言しておこう。

 最後に、著書の第8章の中川八洋先生の結びの言葉を引用しておこう。

 中川八洋曰く、
 
 「日本の憲法学界が、”立憲主義”を正しく理解する日が来ることはもうない、と覚悟すべきかもしれない。

 (最後の望みとして中川八洋たった一人ではなく、良識ある日本国民すべてが、この異常な事態に、真剣かつ即座に対処しないならば)

 自由の崩壊が、近未来の日本を、必ず襲うことになろう。」
 (中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版、328頁、丸カッコ内:私の希望的補足)

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-10 07:47) 

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 ≪平成27年6月12日(金)≫

 産経ウェブニュース(2015.6.11 21:08)

 ☆☆☆☆☆

 憲法学者の見解は「絶対」なのか? 国民の生命と財産を守る国家安全保障という観点からの考察を
http://www.sankei.com/politics/news/150611/plt1506110047-n1.html

 (本文省略)

 ☆☆☆☆☆
 
 枝野幸男民主党幹事長が、1912年~1913年の上杉慎吉(東京帝国大学教授)と美濃部達吉(同)の「天皇機関説論争」を持ち出して、
 <立憲主義の解釈変更が大東亜戦争の敗戦という国家滅亡の一歩手前まで行った>などいう虚構によって、この度の安保法制における、憲法解釈変更(=正常化)に対する危険を煽っているが、根本的に的外れの出鱈目論理である。

 なぜなら、1912年~1913年の上杉慎吉(東京帝国大学教授)と美濃部達吉(同)の天皇機関説論争とは、「ルソー原理主義者でアナーキストであった上杉慎吉が<天皇制度破壊と明治憲法の転覆>を<目的>として起こした狂気の論争であったからである。

 すなわち、狂気のルソー主義+幸徳秋水系アナーキズムの病に犯された、狂った(似非)憲法学者、上杉慎吉の『帝国憲綱領』とは、国家国民の安全保障などとは全く無関係に、真逆に、
 <天皇制度と明治憲法を破壊して国家改造する目的(=恣意・意思・ルソー主義、アナーキズムのイデオロギー)>
 で展開したのである。

 これを引き合いに出して、この度の安保法制(=国民の生命・私有財産・自由の保護目的)のための政府自民党の憲法解釈正常化と結び付けて、
 <拡大解釈が無限に広がって戦争が歯止めなく拡大し続ける>
 などと結論するのは暴論中の暴論であり、無知の中の無知であろう。 

 どうやら枝野氏は、1912年~1913年の天皇機関説論争→1935年1月の天皇機関説事件/国体明徴声明→2・26事件にいたる事件の主因が当時の日本社会のマルクス主義(1917年以降はマルクス・レーニン主義も)による思想汚染にあり、大東亜戦争への道も、共産主義者(=極左)・近衛文麿政権(三期)が、何から何に至るまで、すべてを準備した歴史事実も知らないのだろうか。
 明治憲法を事実上完全停止させた大政翼賛会も近衛の主導であった。

 立憲主義を無視するのは、自由主義者ではなく、常に社会主義・共産主義者である。18~21世紀の世界史の事実としても自明ではないか。
 だが、これについては、別の機会に触れよう。
 脱線するので、ここでは省略する。
 また、明治憲法を意図的に破壊しようとしたもう一人の狂気の憲法学者・宮澤俊義(東京帝国大学)の(天皇現人神)憲法学説についても、別の機会に触れたい。

 最後に、これまでの安保法制の国会内外での議論について若干触れておきたい。

 ◇ 戦後の日本の憲法学がいかに偏狭な論理に終始して来たかについては、以下の2書を読めばその全貌が容易に、明確に理解できるであろう。戦後日本の憲法学界の真実を知るために、ぜひ読んで頂きたい。
 
 1.中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版
 2.同『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書
 
 ◇ ルソー主義、マルクス主義、マルクス・レーニン主義等の極左・左翼思想の義務教育からの洗脳を完全に説くには以下の書を読むべし。

 3.中川八洋『正統の哲学 異端の思想』、徳間書店
 ※この著作の思想除染の効果は「私自身」が体験済み。なぜなら、この著作を読むまでは、かくいう私も、中学高校で教えられたとおりの、「日本国憲法は世界最高の平和主義憲法!」信者だったのだから・・・。

 ◇ 憲法第81条により、違憲立法審査権は最高裁判所にあり、憲法学者の意見にはない。自明であろう。

 ◇ すなわち違憲立法審査権は、最高裁判所(司法権)に属するのであり、司法権とは国民や憲法学者の多数決の原理を排除する。
 であるのに、安保法案の審議において、憲法学者の人数比較で法案の合憲・違憲の“正しさ”が決したかのような言い分をする、民主党議員とはなんと知性が低劣なのか。見聞するに堪えないおぞましさである。

 ◇ 多数決の原理は単なる決定の方法論であって、必ずしもその結論は”正義”や”真理”の決定基準と一致しない。
 ましてや、学問的真理が学者の多数決で決まるなどと主張する学問など、その時点で、自己否定そのものであろう。

 以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-12 07:27) 

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≪平成27年6月15日(月)≫

 【閑話休題】 憲法
 
 安保法制に関する国会議論に関連して、日本の代表的な憲法学者の著書を買い集めて読んでいるが、日本の憲法学とは果たして、法学なのか、社会学なのか、修辞学なのか、(共産)革命学なのか、フランス革命(ルソー主義)賛美学なのか?不思議な学問分野である。が、今日の話題は、別。
 今日の話題は、フランス革命扇動屋の修道院長(ラベ)シェイエスに関して少々。

 シェイエスは言った!

 「国民はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である。その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである」(出典:『第三階級とは何か』、岩波書店、84頁)

 「憲法はあらゆる組織に先んじて国民意思により創設される」(出典:同、85頁)

 「政府は人定法にのみ依存する。国民は存在する事実だけで、その欲するすべてのものとなる。」(出典:同、86頁)

 「国民は、ただ単に憲法に束縛されないばかりでなく、そうあり得ないものであり、またそうであってはならないものである」(同、86頁)

 「国民はいつでもその憲法を改正できる」(同、93頁)

 さて、シェイエスの言うように、国家(社会)や国民は、「すべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である。その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである」のだろうか?

 答えは、明確に否定できる(というより既にされている)。

 このことは、後日、ブログ本文の方に『自由主義の反撃』の付録としてに詳しく、丁寧にまとめる予定である。

 ここでは、ハイエクの次の言葉を引用するに留めておこう。

 ハイエク曰く、

 「まず最初に社会があり得るのであって次に社会が自身に法を与えるという誤解から完全に解き放たれている必要がある。デカルトとホッブスにはじまり、ルソーとベンサムを経て現代の法実証主義(=人定法主義)者たちにいたる設計主義的合理主義の基礎になっているこの誤解は、研究者の目を法と政府の真の関係からそらせてきた・・・」(出典:『ハイエク全集Ⅰ-8』、春秋社、128頁、丸カッコ内:私の補足)

 このことが、示されれば、シェイエスの論理は総崩れとなるだろうと、私は予想している。

 なお、僧侶シェイエスとは、(邪悪・狂気の)ルソー教の狂信者で、自著『第三階級とは何か』の主張とは裏腹に、僧侶でありながら憲法制定に参画し続けた。
 また、1789年には貴族階級の絶滅を叫んでいたのに、1808年に念願の帰属〔伯爵〕になった。
 さらに、自分らが原案を書いた1799年12月憲法は、クローヌ城を与えられる交換条件で、ナポレオンに売り飛ばし、ナポレオンはその憲法を皇帝主権の憲法に書き直して皇帝となってしまった。
 このようにシェイエスとは、自分の権力と財産のためなら、国民主権など草履のごとくポイ捨てした、真正のクズ男であった。(→詳しくは、中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版、第8章、304頁~305頁、を参照されたい。)

 私が思うに、ルソー主義の吸引者は、絶対的に腐敗する。

 最後に、日本の憲法学の堕落と悪性を知るには、中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版社を必ず読みましょう!(まずは第7章、第8章から。)

 以上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-15 01:39) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

≪平成27年6月15日(月)≫

 訂正
 「また、1789年には貴族階級の絶滅を叫んでいたのに、1808年に念願の帰属〔伯爵〕になった」
 帰属→貴族
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-15 07:38) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年6月16日(火)≫
 【朝日新聞記事】
 ■■■
 安保関連法案の撤回を求める長谷部氏と小林氏の発言詳報
(2015年6月16日01時38分)
http://www.asahi.com/articles/ASH6H73D9H6HUTFK024.html
(本文省略)
 ■■■

 長谷部氏の以下の言論は、長谷部氏自身が偶々現在、安全な社会の中(政府の下)で生存できている、という<基本前提>の中でのみ通用する論理ではないか。

 長谷部氏は言う、
  ‐‐‐‐‐
  「我が国の存立が脅かされ、国民の生命自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」。
  この文言はいかにも限定的に見える。
  しかし、このいかにも限定的に見える文言と、地球の裏側まで自衛隊を派遣して武力行使をさせようという政府の意図との間には、常人の理解を超えた異様な乖離があり、この文言が持つはずの限定的な役割は否定されている(本当?)と考えざるを得ない。
 機雷掃海活動を超える武力の行使についても、時の政権によって必要と判断されるのであれば、行使されないという法的論拠はない(→当然逆の行使しないと言う場合も多いだろう)。
 安倍首相はあれはしない、これもしないとおっしゃっているが、これは彼がいま現在、そのつもりであるというだけであって、明日になって、あるいは来年になって、彼が考えを変えればそれまでの話であって歯止めは存在しない(→危機とはそのように勃発するものであり、安保法制はそのためのそなえであろう)。
 いかにも限定的に見える先ほどの文言も、実は、武力の行使を限定する意味はない、そんな役割を果たさないということ(?)であり、とすると、従前の政府見解の基本的論理の枠内に入っているはずもない(→そのために、現実と論理のギャップを埋めておこうとしているのではないか?誰も、危機に乗じて積極的に戦争をしようといっているのではないだろう?)ということも改めて確認できる。
 ‐‐‐‐‐
 これは、馬鹿馬鹿しい、超無責任の愚論としか私には思えない。
 このような論理は、長谷部氏自身が、現在、たまたま安全な時代(時期)と場所(国・社会)に生存できているから、すなわち、「自分(だけ)は、常に、<国家の存立の重大な危機の外にいる>ことを前提」にしているからできる議論である。
 もし、長谷部氏が言うように、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が生じたとき」という現実的歯止め(=具体的に、他国の行動が起これば、常識的な国家国民なら判断可能。これができないようなら人類の世界平和など存立しない!)が、政府の武力行使を限定する「意味がない」とするならば、長谷部氏は、日本国民に対して、「そのような危機が、(日本国・日本国民にとっては)将来永劫、絶対に生じない」と証明してみせるか、もし、そのような証明が出来ないならば、「集団的自衛権を行使してでも日本国を守らねばならない、重大な危機が現実に発生したときでも、<日本国政府は(憲法第9条に縛られているから)決して何もしてはならず、日本国民は座して死を待つべきだ!>という自らの本音を言明」すべきではないのか。
 それとも、そのような場合には、日本国はあくまで集団的自衛権を行使せず、「諸外国が行使する集団的自衛権に守ってもらえばよいではにか!」と言うのか。
 周知のとおり、日本国憲法第9条は、GHQの占領下で、(実質上)日本国が主権を喪失しているという状況下で、”日本国の主権の自衛という国家固有の法”に反して、意図的(恣意的・人為的)に設けられた「条文規定」である。
 これを絶対視して現実を無視することは真の意味で「違法」「違憲」であろう。
 なお、集団的自衛権を行使可能と解釈しても、日本国政府は、それを必ず行使せねばならないという訳ではなく、行使する権利も、行使しない権利も共に有するのであり、「行使を認める」=「戦争(をする)法案」とか「集団的自衛権」=「他衛権」などという<左翼・極左の常套句>を憲法学者が使用するのは笑止千万ではないか。
 なお、共産党・共産主義者は、歴史を通じて形成される、自生的な”(自由)法(=Law)”という概念自体を一切否定するので、彼らの立憲主義は、真の意味の立憲主義ではないので、良識ある日本国民は誤解なきように。

 今日は、以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-06-16 08:06) 

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