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バークの哲学---義務について。ドラマIB、T大H学部、狂気のAY名誉教授への御助言です。 [政治]


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 ドラマIB放送中、申し訳ありませんが、T大H学部、狂気のAY名誉教授への御助言。 

 エドマンド・バーク曰く、


 「智恵(wisdom)も美徳(virtue)も欠いた自由(liberty)とは一体何か。智恵も美徳も欠いた自由とは、悪(evils)の中の最悪のものだ。なぜなら、そのような自由は、教導も自制もされない、馬鹿さ(folly)、悖徳(vice)、狂気(madness)だからだ。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、310頁)

 バーク曰く、

 「いやしくも文明社会(civil society)が当然に道徳の管轄分野(moral jurisdiction)に属すると考えるすべての人びとに対して私は、われわれが社会への義務(duty)を負っているという場合、これが決してわれわれの意思(will)に依存しないという真理を真剣に肝に銘じるように何度も繰り返し勧告したいと思う。

 義務は任意の(voluntary)ものではない。義務と意思は互いに相容れない(even
contradictory terms
)概念である。文明社会はある場合は確かに最初は自発的な意思の産物かもしれない〔事実多くの場合はそれは間違いなくそうであった〕が、その継続は社会と共に続く恒久的で確固たる合意(permanent standing covenant, coexisting with the society)に依拠し、それは社会内のすべての成員に彼自身のいかなる行為とも無関係に帰属し(without any formal act of his own)、それは人類の一般良識(general sense)に発する一般慣行(general practice)によって保証される。

 この結び付きによって人間は彼の選択とは無関係に恩恵を引き出し、彼の選択とは無関係にこれらの結果として自らの義務を負い、彼の選択と無関係に実定法規にいささかも劣らない拘束力を持つ実質的責務を取り結ぶ。

 人生の全体と義務の全体系を眺め渡すならば、最も強力な道徳上の義務は決してわれわれが選択した結果の産物ではない。」 (バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、654655頁)

 バーク曰く、

 「道徳の線は数学における理念上の線とは別であり、それは長さばかりでなく、幅と深みを有する。

 それは、(各人の置かれた状況の本性に従がって)例外を許容し、補正を要求する。

 これらの例外や補正は、論理学の手続きではなく、慎慮の規則によって行われる。

 慎慮こそは、単に政治的道徳的な諸特性の階梯の最高に位置するのみならず、これらの特性すべてを調整し誘導する物差しに他ならない。形而上学は定義なしには存立できないが、慎慮は定義を下すのに慎重である。

 それゆえ平常われわれの法廷は法律上の論点の判断の解明に際して、架空の非現実的な事例を引き合いに出すことを極度に自戒しなければならない。」(バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、593594頁)

 道徳の実践(現実への適用)の真理は、上記の引用文を踏まえて、次のバークの言葉を読めば理解できるはず。

 エドマンド・バーク曰く

 「個々人の置かれた場所が彼の義務を決定する。

 『神は汝を如何なる者と命じたるか?』という問いに対する回答はもう一つの別の問い『事物の如何なる人間的なる場面(状況・条件)に汝はある

 を解くことで求められるはずである。」(バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、654655頁)

 さて、フィクションドラマの中の、狂気のT大・AY名誉教授 殿、現実世界の道徳を理解頂けたでしょうか?

 ◆◆◆◆◆

 【補 足】(平成27年2月19日19:30、コメント欄より、本文へUP)

 付言すれば、上記のバーク哲学は、中川八洋 筑波大学名誉教授の「3回 13名ゼミ」における、バーク保守主義の哲学講義の<<ほんの一部分>>をまとめた(引用した)にすぎない。

 なお、上記ブログ本文の補足として、「国民の祖国に対する義務」についての以下ののバークの論述も大変に深淵であり、読者の方々の人生観(生き方)の参考になり、有益であるので、少し長いが引用しておきたい。

 ※ バーク保守主義の哲学をもっと知りたい方は、バークの著作群、中川八洋先生の著作群、ハイエク全集など、真正保守(自由)主義の書籍を熟読して頂きたいと思う。

 なぜなら、それらを読めば、読者が自分自身の人生良く善く)送れるような、真の現実に即した指針”と“信念”を必ず、授けてくれるからである。

 エドマンド・バーク曰く、

 「われわれが結婚する場合、確かに選択は任意であっても個々の義務は選択の対象ではなく、状況の本性にもとづいて指図される。

 われわれがこの世に生れ落ちる道筋は暗くて究め難くこの自然造化の神秘的過程を生み出す本能もわれわれが作り出したものではない。

 だが、われわれには知られぬ、否、知られえない物理的原因に由来する道徳上の諸義務は、われわれにも完全に理解できるものゆえに不可避的に履行されるべきである。

 両親は彼らの道徳的関係に同意した事実がないかも知れないが、同意したと否とに関係なく彼らは現実に従来いかなる種類の協約も結ばずにいる子供たちへの長く続く負担の重い義務を負うている。

 子供たちは自己の血縁関係に同意した事実はないが、彼らの置かれる関係そのものが彼らの実際の同意をまたずに彼らをその義務へと拘束する

 ---といよりは、むしろ予測される事物の秩序に対応するものとしてすべての理性的人間による同意が推定される以上、最初からその同意を内包すると言う方が一層適切である。

 人間はこのような仕方で特定の両親の社会的境遇に伴う各種の恩典に浴し、各種の義務を負う形で共同社会の一員となる。

 もしも国家社会の構成単位であるこれら物理的諸関係(夫婦・家族)から紡ぎだされる社会的紐帯と羈絆が大抵の場合にはわれわれの意思とは独立に始まり、例外なしに必ずその形で継続する以上、われわれは同様に自分たちの側の特定の約定をまつまでもなく『あらゆる人間同士のあらゆる愛情』を包合する〔といみじくも形容される〕われらの祖国という名の関係に拘束される。

 そしてこの畏怖すべき強制的な義務をわれわれにとってそれと同程度に馴染み深くさせる強力な本能をも、われわれは併せ授けられる。

 われわれの祖国は単なる物理的な地縁を示す土地ではない。

 それは有体に言えば、われわれが(自分の意思と無関係に)生れ落ちた古来の秩序そのものである。

 ・・・各人が特定の共同社会へ生れ落ちたことで引き受ける根源的な人間関係や彼が両親の胎内から生まれたことで結ぶこの特定の血縁への恩義から免れる権利

 (=道徳的義務を無視したり、破壊したりしようとする、単に人間として生れたという理由のみに基づく観念的・抽象的な「人間の権利」や自然(原始)社会の「自然権」などの純粋な形而上学的権利など)

 を持たない、と確信している。

 個々人の置かれた場所(=生れ落ちた古来の秩序)が彼の義務を決定する。」(バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、654655頁)

 さらにバーク曰く、

 「我々は、国家に対する愛情を己が家族の中より始めます。

 身近な親戚に冷たい者が熱烈な国民たることはありません。

 我々は次いで隣人に、そして、慣習によって定まった各地方の人間的繫がりへと進みます。

 そうしたものは、いわば旅籠であり、休み場なのです。

 慣習によって

 ---(革命フランスの国民議会のような)支配権力の唐突な一捻りによって、ではなく---

 形成された我が国のそうした諸地方は、それぞれ、かくも数多く、偉大な国土の小さな似姿を示してくれます。

 人間の魂はその中にこそ、自らが貢献しうる何事かを見出して来たのでした。

 しかし、全体から見れば下位に属するこうした偏愛によって、その全体に対する愛が質滅してしまうことはありません。

 むしろそれは、より高次の、より広範な関心を涵養するための一種の基礎訓練となります。

 こうした訓練によってのみ人々は、自分自身の利害に対するのと同じように、・・・広大な王国(=国家)の繁栄にも心を動かされるようになるのです。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、249頁)

 以上。

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 写真は、中川八洋「第3回 13名ゼミ」に向かう新幹線の車窓より、〔=ブログ作成者〕(写真の)素人が撮影したものです。大変美しい富士山でしたので掲載しました。


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BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 ≪平成27年2月20日≫

 【産経Webニュース】(2015.2.19 23:10)より抜粋。

 共産党に「さすがテロ政党!」 ヤジの主は自民・山田氏 撤回し謝罪

 ---(ここから)---

 共産党の志位和夫委員長に対し「さすがテロ政党」とやじを飛ばしたのは、自民党の山田賢司衆院議員だったことが19日、分かった。山田氏は同日に国会内の共産党控室を訪れ、発言の撤回と謝罪をした。
 やじは、志位氏が17日の衆院本会議の代表質問の中で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」問題を取り上げたときに発生。共産党が事実究明を求めていた。

 ---(ここまで)---

 自民党の議員は既に、ほとんど愚者ばかりになってしまったのだろうか?
 情けないを超えて噴飯もの愚か者と言うべきであろうか。
 
 そもそも、自らが発したヤジに対し、ブーメラン的に反撃されたならば、それを百倍にして即ブーメランで反撃すべきであるのに、全く反撃もできずに逆にすぐに負け犬のように尻尾を下げて、謝罪て撤回するだけの知識と能力しかないならば、不細工だから、「初めから何も言うな!」と言いたい。

 ヤジを撤回すれば、やっぱり、「共産党はテロ政党とは言えなかった!」という大きな誤解を国民に植え付けるであろう。
 政党政治家としてこれほどに愚かなことはあるまい。

 例えば、日本共産党は、「日本共産党綱領」(2004年1月17日 第23回党大会改定)の中で、

 (→その歴史の解釈と記述は、マルクス・レーニン主義の唯物史観(階級闘争史観)を無理やりこじつけて日本国の歴史に適用して真実を捻じ曲げた、噴飯ものの出鱈目物語にすぎないが、その根拠は適当な時期を見て、党綱領の赤ペン先生の添削要領で一括して示したいと考えている。ここでは割愛する。)

 次のように述べている。

 「・・・最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。
 しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、・・・」
 
 ウクライナの富農(クラーク)など数百万人の自国民を虐殺(残酷な餓死刑等々、悪魔的残虐な手段で)したり、あるいは事実婚制度を廃止して、家族解体の実験を実施した結果、レイプ・未婚妊娠が放置・蔓延し、犯罪が激増し、社会を大混乱させ、その他さまざまなレーニンの極悪行為をして、

 日本共産党は、
 
「少なくない試行錯誤しこうさくごをともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された・・・」

 などと党綱領で肯定・賛美しているではないか。
 なんと恐ろしい本性を隠し持つ政党であろうか!

 このことは日本共産党がマルクス・レーニン主義的の理論に基づいて日本国に共産(=民主主義)革命を起こすことを目標としているという宣明である。

 そして、マルクス・レーニン主義を信奉する「共産党」が国家を支配した国では、共産ロシア(旧ソ連)であれ、中国共産党の支那であれ、北朝鮮であれ、カンボジアであれ、ベトナムであれ、ソ連支配下の東欧諸国・エチオピアやアフガニスタン他多数・・・であれ、すべての国で例外なく、共産党政府に抵抗した大量の国民・民族が虐殺され、あるいは強制収容所へ強制移送されて過酷な重労働の強要の末、殺害されたのである。

 このように、マルクス・レーニン主義(=無神論・無道徳・無法・・・の無神論の政治宗教教義)を政治信条とする、世界のすべての政治政党(=共産党)は例外なく、暴力革命による政権奪取の過程で国民虐殺に至るのが20世紀の人類の歴史事実であった。

 これら共産主義の政策遂行による、各国で起こった全く同一の帰結(=大惨劇・ジェノサイド・全体主義専制政治)は、世界の偉大な真正保守(自由)主義の政治哲学者らが理論的側面から解明しつくしているし、さらに、第二次世界大戦後の東側社会の悲惨な歴史現実の面からも証明済みである。

 このことからして、「共産党=テロ政党である」という命題は、(共産主義者とそのシンパらを除く)世界各国・全人類の常識中の常識である。

 なお、戦前・戦後の日本共産党が、日本国(天皇・政府)に対して数々のテロ行為を、手段の直接・間接を問わず、行ってきたことも疑う余地なき史実である(→これも上記と合わせて、取りまとめて、適当な時期に示したいと考えている)。

 なお、日本共産党の上記の「党綱領」の表面的な文面を読んで、記述内容の文章全体の繋がりの異様な歪さや仮面の下(裏)に隠された共産イデオロギーの狂気の本性を直観・感得できぬ者は、政治的無能者(あるいは極度の政治的未熟者)と言わざるを得まい。

 以上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-02-20 02:31) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 すいません。
 訂正します。

 文中「事実婚制度を廃止して、家族解体・・・」

 →(訂正後)「法律婚制度を廃止して、家族解体・・・」

 補足:「日本共産党党綱領」アクセス
 →http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-02-20 02:43) 

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≪平成27年2月20日≫-2

 青年法律家協会、自由法曹団、日本ジャーナリスト会議、全国憲法研究会、日本平和委員会、日本科学者会議、新日本婦人の会、日本生活協同組合連合会、かながわ生協、日本民主青年同盟、全国商工団体連合会、中小企業家同友会全国協議会、中小企業家同友会、税経新人会、税経新人全国協会、全日本民主医療機関連合会、全国生活と健康を守る会連合会、全国保険医団体連合会、全国公団自治協議会、全国借地借家人組合連合会、日本国民救援会、憲法改悪阻止各界連絡会議、新日本体育連盟、日本婦人団体連合会、少年少女組織を育てるセンター、全国子ども劇場・おやこ劇場連絡会、親子読書運動、全国勤労者音楽協議会連絡会議、日本のうたごえ全国協議会、中央合唱団、全国合唱団連絡会、音楽センター、全国労演連絡会議、映画鑑賞団体全国連絡会議、日本科学者会議、・・・ ・・・。

 民放労連、統一戦線促進労働組合懇談会、大月書店、青木書店、労働殉報社、あゆみ出版、学習の友社、岩崎書店、草土文化社、汐文社、ほるぷ出版、民衆社、一声社、水曜社、飯塚書店、白石書店、理論社、百合出版、一光社、少年少女新聞社、ナウカ株式会社、極東書店、明治図書、日中出版、合同出版、同時代社、連合出版、太郎次郎社、国土社、蒼生社、芽ばえ社、晩成書房、みずち書房、青磁社、新興出版社、東銀座印刷出版KK、ひとなる書房、光和堂、草友出版、あけび書房、地歴社、あかつき書房、柏樹社・・・ ・・・。

 これらは私の単なる思い付きで並べた団体(組織)・出版社等にすぎない。 
 これらの組織・出版社あるいはマスコミとの間に、特に何か明確な、意図的繋がりや共通項があるかどうかも、私は言わない。

 だが確信的に言えることは、良識ある日本国民は、これまでこれらの団体が我が物顔でなしてきた(なしている)、やりたい放題の活動をこれ以上容認してはならず、これらに対して、強力に反撃・撃退・包囲できる大規模な「対抗的国民防衛組織網」のような、自由秩序維持体系を早急に構築する必要に迫られている、ということであろう。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-02-20 20:53) 

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≪平成27年2月25日≫
【中川八洋掲示板】更新情報
“夫婦別姓”潰しは、正しき日本国民の崇高な義務 ──最高裁に「“夫婦別姓”制度化を判決せよ!」と教唆洗脳する朝日新聞を、“不買・不読・不広告”対抗で250万部減らそう!
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

 *****
 思うに、文明社会の人間としての日本国民が、“伝統・慣習”から解放され(=進んで捨て去り)、“家制度”から解放され、“家族”から解放され、“美徳(道徳)”から解放されれば、我々は一体、何処に、何に、どのようにして、自分の安全と幸福(生きる喜び)を見出せるというのか?

 特に天才的資質があるわけでもなく、称賛される英雄であるわけもなく、特別の名声(有名)があるわけでもなく、金銭的な富豪であるわけでもない“普通の人間”の生の意味はこのような「解放」によって、「孤独」と「疎外」を加速させ、さらに「無力」と「絶望」の淵へと追い込まれるのではないか?そのようになった「個(アトム)」の人間が、自分の生きる価値をどこにも見出せないのは自明であろう。

 中川八洋曰く、
 「『夫婦別姓』は、妻を『家族から解放』し、夫を『家族から解放』するのが目的であるから、夫婦関係が希薄化し、いつでもその解消がし易くなるものである。そのような夫婦関係の下での親子関係も脆く弱くその絆は切断され易くなる。そればかりか、子供は両親のいずれかと姓が異なることにおいて、また兄弟関係も姓が異なることにおいて、家族の紐帯は薄く弱くなる。いずれは、子供も親から『解放』されて、親も子供から『解放』されてその親子関係はあっという間に雲散霧消する。兄弟姉妹は生まれながらに『他人』となる。」(中川八洋『国が亡びる』、徳間書店、144頁)

 また、ニスベット曰く、
 「歴史的に言えば、これまで、共同体の問題は、家族、地域小集団、その他、遠い昔より個人と社会を取り結んできた様々な伝統的諸関係といった集団のもつ機能的、心理的意義の減退という文脈で取り上げられてきた。かつては、そうした集団の道徳的作用が、諸個人の具体的な生活にとって決定的なものであった。他のもっと強力な結合形態も、むろん、なかったわけではないけれども、道徳的、心理的に諸個人の生活におよぼしていた主たる影響は、家族、地域集団、教会から派生するものであった。愛情、友情、威信、認知といった人間における同化の基本的諸類型はすべてそうした集団の中で発生をみたものである。そうして労働、愛、祈り、それに自由と秩序に対する献身等、人間にとってさらに基本的な性向も、同じく、そうした集団の中で生成するとともに強められてき。このような結合領域は、ふつう、そこから個人が外なる世界に対する見方と、そこでの自己の位置づけを獲得するところであった。個々の人間の具体的な地位や役割の感情、庇護や自由、善悪の区別、秩序観、罪とか無知に対する意識なども、総じて、このような第一時的集団の枠内における彼の関係から生起し、形成されたものである。かつて、本能とか人間関係の社会性と呼ばれたことは、実のところ、人間関係の所産に他ならない。それは、形式的な道徳律のみならず、ホワイヘッドが『われわれが遠い昔から受け継いできた巨大な象徴体系』と呼んだものまでも含み、育むところである。」(R.A.ニスベット『共同体の探求』、梓出版社、55~56頁)

 このような日本国民の「解放」=「解体」に最高裁(「夫婦別姓」訴訟への判決)や自民党(「民法」の大改正)で加担しようとしている。

 もはや世も末か?と諦めたくなるだが、我々は決してあきらめない。断固として抵抗するのみ。良識ある日本国民は共に頑張ろう!

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-02-25 08:12) 

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 ≪平成27年3月6日≫
 
 今大流行の馬鹿馬鹿しい「妄言」がある。
 その要旨をいくつか挙げておこう。

 「世襲で得た財産の上がり、つまり不労所得によって生きる資本家の横暴を抑制しなければならない」

 「これらが原因となって生じる格差拡大は強力な政府介入によって是正されねばばらない」

 「<保有資産>に対する毎年の累進課税こそ(=のみが)、格差拡大を抑えるための<正しい解決策>である」

 「経済的格差が好ましくないのは<社会においてもっとも不利な立場にある人々に>最大限に配慮し、その基本的権利のみならず<物質的基盤>を提供することが社会の全成員の義務という考え方である。そのためには、社会で有利な立場にある人々の権利を<侵害>するような国家介入もやむを得ない」

 「著者は、所得再分配を含めその役割を拡大してきた<社会国家>を高く評価している」

 ・・・等々。
 
 「不労所得は悪である!」は、社会主義・共産主義者(あるいは、マルクス主義orケインズ主義経済学者)が、人間の物的、金銭的な格差・不平等を批判する<<常套句>>である。

 では、逆に彼らに尋ねたい。

 国家(政府)の強力な政府介入によって、強制的に所得再分配が行われる場合、富者から貧者へ分配される所得は、貧者にとっての「不労所得」とはみなさないのか?

 さらに言えば、個人の世襲財産とは、”世襲の原理”・”時効の原理”によって”法的に正統性”を持つが、国家権力により強制的に強奪・再分配される(不労)所得には”法的正義”や”法的公平性”など一切存在しない。

 つまり、”法的正統性”のある前者の相続財産から生じる不労所得を「悪」と見做しながら、”法的正義・法的公平性”など一切存在しない後者の不労所得を「善」と見做すのは、経済学の公式(数式)を扱う以前の、経済学者の法的・道徳的誤謬であり、(マルクス・ケインズ)経済学の目的それ自体の欠陥(誤謬)である。

 (小説の)名探偵シャーロック・ホームズ曰く、
 
 「データを手に入れる前に仮説を立てるのは致命的な誤りだよ。自分でも気づかないうちに、事実を曲げて仮説に合わせようとしてしまうからね。仮説を事実に合わせるのではなくてね。」

 ただ、だからといって、私は厳しい物的欠乏に直面する人々に対する、政府による一定の生活最低限度の補償を否定するのではない。

 なぜなら、”国民の生命(安全)・私有財産・自由”を保護・保障することこそ、”法”の目的であり、”政府の役割”だからである。

 そして、この”法にもとづく政府の正統な役割”と「すべての人間の格差・差異を政府権力によって無くそうと試みること」は、<<全く異なる概念>>であって同一扱いや混同をしてはならない。

 ハイエクは次のように述べている。

 「二つの保障概念を区別することが重要である。
 その一つは(①)ある限度の保障で全員にとって達成可能ないかなる特権ともならないものと、もう一つは(②)絶対的な保障でそれは自由社会において全員にとっては達成不可能なものとである。
 前者(①)は厳しい物的欠乏に対する保障、すなわち、全員に対する一定の生活最小限度の保障であり、後者(②)はある一定生活水準の保障で、個人あるいは集団の享受する水準それと他の人びとあるいは集団のそれとを比較することによって決定される。
 従ってその差異は、全員に対する等しい最低所得の保障(①)と、ある個人が(自分が)受けるに値すると考えられている特定の所得の保障(②)との区別である。
 後者(②)は福祉国家を煽る第三の主要な野心、すなわち財のいっそう均等な分配もしくは公正な分配を保障するために政府の権力を用いたいという願望と密接に関連している。
 これによって特定の人々が特定のものを得ることを保障するために政府の強制(権)力を用いるべきであることを意味するかぎり、それは異なった人々に対するある種の差別と不平等な扱いとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。
 <社会的正義>を目的とし、<第一義的に所得再分配者>となるのはこうした福祉国家である。
 それは必然的に社会主義とその強制的かつ本質的かつ恣意的な方法へと逆戻りすることになる。」
 (ハイエク『ハイエク全集Ⅰ-7「自由の条件〔Ⅲ〕」』、春秋社、11~12頁、丸カッコ内の番号は私が付したもの。)

 なお、以下のことを付言しておく。
 「資本家(例えばビル・ゲイツ氏としよう。)が搾取しているから、私(=あなた)は貧乏なのだ」
 などというような抽象的観念・扇情的観念は、ほとんど現実的な意味をなさない妄言にすぎないから捨て去るべきである。
 もし、そのような論理・理屈が意味をなすのだ!と主張する者は、私(=あなた)が、どのような因果関係・現実的手段によって、ビル・ゲイツ氏から、いくらの所得を搾取されたのかを合理的に、明証的に算出せねばならない。
 そうでなければ、誰も(=政府も)公正で法的に平等な累進課税率を決決定できないし、「すべての人々の物的・金銭的平等」を目的とする、所得再分配などできるわけがない(=社会的正義の根拠などどこにもないということ)。
 経済学の数式をいくら駆使しても、すべての個々人に関するそのような関連・関係の算出・計算など出来ない(=不可能)。
 であるのに、、政府の強制力(権力)による所得再分配をせよ!唱えるのは、「平等主義」を装ってはいるが、実は、正義・公正の根拠など全くない「法的不平等を強制するにすぎない、(マルクス・ケインズ)経済学の<<致命的な欺瞞>>と<<人間からの真実の搾取>>」にすぎない。

 それでは、Good-bye、ピケティ!

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-03-06 07:57) 

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 ≪平成27年3月19日≫

 【中川八洋掲示板】更新情報

 〔平成27年3月16日付〕
 “プーチン皇帝の臣下”メルケルと日独伊三国同盟を演出した「黄色い猿」安倍晋三の外交醜態
 ⇒http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

 〔平成27年3月11日付〕
 “八百長”ヘイトスピーチを操る背後の巨大組織は誰? ──“日本解体の悪法”「人種差別撤廃基本法」制定を狙う大道芸  ⇒http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/03/11/123937

 〔記事一覧〕
 ⇒http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/archive

 皆様、更新情報提供が遅くなり、申し訳ありません。
 理由は、私事ですが、読書集中期、小論論考・執筆中は、気が散るのでインターネットは開かないことにしているためです。
 そのような時期には、申し訳ありませんが、読者の皆様の方でも、中川八洋先生の掲示板をRSS登録するなどして、進んでお読み頂きます様お願い申し上げます。

 ☆☆☆☆☆

 ところで、巷で、r>g式が大げさに騒がれているが、その真の理由は簡単明瞭である。

 r>gが(その統計データの信憑性も含めて)どれほどの意味を持っているにせよ、大騒ぎされているのは、この理論式がマルクスの歴史信仰(=史的唯物論という歴史の発展法則)の予言の一部に理論的説明を与えているように錯覚するからであり、マルクス主義狂信者の運動の目的・意味を肯定・促進するかに思い込み、馬鹿騒ぎしているのである。

 すなわち、マルクスによる「社会主義の到来」の予言に関するする歴史信仰ドグマである、
 
 「人間の意識がその存在を規定するのではなく、むしろ、人間の社会的存在こそがその意識を規定する」
 
 とか

 「労働生産性の増大の傾向は、階級間の社会的諸関係の領域で、より多くの富をますます少数者の手に蓄積せざるを得ない」
 
 (→ここに、ピケティがr>gの経済理論的説明を(とうとう)与えた!というわけで、馬鹿騒ぎしているのである。)

 さらに、、マルクスの次段階の予言では、

 「社会は支配する少数のブルジョワジーと搾取される大多数の労働者階級を除けば、爾余の全階級は消滅するか無意義なものとならざるを得ず、2つの階級間で高まる緊張は社会革命へ至らざるを得ない」

 とされる。

 だが、実際にはこの第二段階の予言、「爾余の全階級は消滅する」根拠は「歴史信仰」自体には全くないから、革命運動家が運動によってマルクスを支援する必要が生じる。

 で、左翼・極左運動家が、国民(国家・社会)をマルクス主義に合わせるように、宣伝・扇動する。

 要するに、ブルジョワジー以外の日本国民のすべてをプロレタリアートというアトム(=平等で属性なき根無し草的「個」人)に分解する運動、あるいは「資本主義社会の自己破裂の苦しみを事前に緩和する」ための、革命家(あるいは左翼政府の成立)による経済と中間組織の破壊運動(=予言を予言に見せるための下ごしらえする運動)を熱狂的に推進するのである。

 例えば、その運動は、

 「大企業(資本家)に強度の累進課税をかけよ!」、
 「資本主義米国を日本から追い出せ!」「米軍基地反対!」
 「(ロシア・中共・北朝鮮)の日本侵略を妨げる自衛権の行使反対!」
 「私的所有の強奪!・相続の廃止・重い相続税!」
 「産業の国有化」(東電の巨額賠償による破綻・国有化論など!)
 「労働者間の競争排除、賃上げ要求」
 「農業の産業軍化(農林水産省・JA全中の農業統制、TPPの合意・締結妨害」
 「(出生率向上政策なき)少子化(=亡国前提)政策」
 「子供の教育の社会化(=家・家族・家庭内教育の放棄」
 「男女平等社会実現!」「男女の性差なしの中性人間の増産!」
 「女性の結婚・主婦・出産を悪とみなす、自然の摂理への反逆と思い上がり」
 「夫婦別姓(=親子・兄弟姉妹別姓=家族の廃止!)」
 「原発再稼働反対!運動(=日本経済破壊運動)」
 ・・・ ・・・等々として展開されているが、日本国の場合、その他にも枚挙にいとまがない。

 さらに、マルクスの予言の最終段階では

 「労働者がブルジョワジーに勝利した後、一階級からなる社会である無階級社会、すなわち社会主義(社会)が出現する」

 と結論される。

 そして、そこでの進歩した人間の姿とは、

 「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」

 「(社会主義)社会によって、共同的かつ計画的に経営される工業は、諸素質があらゆる方向へ発展した、生産の全体系を見渡せる状態にある(平等あるいは同一)人間を、完全に前提する」
 
 と予言されている。

 さて、このマルクス主義の途方もない歴史信仰(歴史の発展法則)の予言の真偽、そもそも予言が存在するのかという問題に関する論駁(=矛盾の論理的指摘)は、これまで多くの学者によってなされてきたが、私はすべて不十分だから、ピケティの如き、社会主義思想の亡霊的経済学者を、次から次えと復活させるのだと考えた。

 そこで私は、現在、マルクやヘーゲルの哲学以前の(政治)哲学・道徳哲学理論によって、全く別の観点(手法)でマルクスの歴史信仰の根本に潜む矛盾を指摘する着想を得た。

 このマルクス歴史信仰を永眠させるための、ブログ記事の論考と執筆作業に今取り組んでいるため、上記に述べたように中川先生のブログ更新情報の提供が遅延したのである。

 が、読者の皆様にはどうか、綿密な論理構築の必要ため、ブログ掲載まで、もうしばらく時間を頂きたいと思う。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2015-03-19 01:57) 

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