保守主義の哲学---第18回バーク『フランス革命の省察』、デモクラシーの弊害 [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
さて邦訳Series 18回目は、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』の中から“デモクラシーの弊害”と題してバーク保守理論の邦訳を進めたい。
本ブログの目的は、社会主義・共産主義思想の唯一無二の強力な解毒薬である保守主義の父、エドマンド・バークの真正保守哲学を日本国民に拡散し、徹底的に周知し続けることによって、民主党、社民党、共産党及びその他の社会主義政党などの政治思想を理論的破壊することにある。
読者の皆さまには、国家を滅亡へ至らしめる社会主義・共産主義を日本国から消滅させるべく“バーク保守哲学”つまり“真正保守(自由)主義哲学”の日本全土への大拡散に、ご協力頂きたい次第である。
日本国民の皆様平成24年2月10日に発行された、中川八洋 筑波大学名誉教授の新著(アマゾンへリンク→『脱原発のウソと犯罪』、日新報道)を読まれたであろうか。
もし、多くの日本国民がこの著作の全頁を読了し、反日・極左思想一色に覆われた日本社会の惨憺たる現状を、一旦理解すれば、
――何故、今、日本国に、早急に、エドマンド・バークやF・A・ハイエクら世界の真正自由(保守)主義者の政治哲学を復活させ、再構築させる必要があるのか――
を必ず御理解いただけるはずだ、と私〔=ブログ作成者〕は確信している。
◇◇◇真正の自由(保守)主義者の言葉◇◇◇
「法の支配」は、自由主義の時代に初めて、意識的に発展させられたものであり、その時代が達成した最大の偉業の一つである。
それは単に自由の保障制度というだけでなく、自由そのものを法に体現したものなのである。
…立法者の権力にはどんな制限もないという考えは、部分的には、主権在民(=人民主権)主義と民主主義政治(=デモクラシー)がもたらした結果である。
この考え方は、国家によるあらゆる活動が立法によって正当に権威づけられたものであるかぎり、「法の支配」は維持されうるという信念によってますます強化されてきた。
だが、その信念は、「法の支配」の意味を完全に誤解している。
この(「法の支配」という)ルールは、政府の一切の活動が司法上の意味において合法的かどうかという問題とは、ほとんど関係がない。
政府活動は、合法的でありながら「法の支配」に背くことがありうる。ある者の行っている行動が完全な合法的権威を持っているということは、法律が彼に勝手に行動していい権力を与えているということなのか、それとも法律が彼の行動を前もって明白に規定しているということなのか、まったく答えていない。
また、例えばヒットラーは、厳密に合憲的な(デモクラシーの手続きを踏んだ)方法でその無制限な権力を手に入れたのだから、彼がどんなことを行っても司法上は合法である、ということは言えるかもしれない。
だが、だからといって、誰がドイツで「法の支配」がいまだに堅持されていると言うだろうか。
(F・A・ハイエク『隷属への道』、春秋社、104~105頁)
政府の活力は自由の保障のために不可欠であること、確かな慎重な判断に従えば両者の利害は本来分離しえないものであること、強固にして効率的な政府を熱望する一見厳しい外見よりも、むしろ人民の諸権利を標榜するもっともらしい仮面の陰に、かえって危険な野心が潜んでいることが、同じく忘れられることになろう。
歴史の教えるところでは、後者〔人民の友といった仮面〕の方が、前者〔強力な政府権力〕よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった。
そして共和国の自由を転覆するに至った人々の大多数は、その政治的経歴を人民への追従から初めている。
すなわち、煽動者たることから始まり、専制者として終わっているのである。
(A.ハミルトン・J.ジェイ・J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、19頁)
このような見地からすれば、直接民主政〔ピュア・デモクラシー〕、つまり少数の市民から構成されており、その全市民が自ら集会し、自ら統治する社会を意味する直接民主政は派閥のもたらす弊害に対してこれを匡正することはできないのである。
というのは、〔直接民主政では〕ある共通の感情あるいは利益が、ほとんどあらゆる場合に全員の過半数の者の共鳴するところとなろうからである。
また、相互の意思の疎通と行動の一致とが、その政治形態そのものから容易に可能となるからである。
従ってまた、弱小の党派や気に入らない個人は、これを切り捨ててしまうという誘惑を抑えるようなものは何もないからである。
それゆえに、直接民主政諸国家は、これまで常に混乱と激論との光景を繰り広げてきたのであり、個人の安全や財産権とは両立し難いものとなり、また一般的にその生命は短く、しかもその死滅に際しては暴力を伴うものとなってきたのである。
この種の〔直接〕民主政治形体を支持する理論好きな政治家は、人間をその政治的諸権利において完全に平等なものとすれば、直ちにその財産・思想・感情においても完全に平等なものとなり、かつ相互に同一化されるであろうと考える誤りを犯してきたわけである。
共和政国家という言葉で、私は代表という制度(=代表制)をもつ統治構造を指している…。
(A.ハミルトン・J.ジェイ・J.マディソン『ザ・フェデラリスト』、岩波文庫、60頁)
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